子どものように無垢な心を持った人や、心に一切のけがれのない人に対して、「あの人はとても純真な人だね」などと言うことがあります。
純真な人には裏表がなく、悪意をもって人に接することもないため、一緒にいる人から信頼されやすく、また愛される傾向にあります。
純真ゆえに騙されやすくもありますが、周りの人たちが警戒して、守ってくれることも多いでしょう。
そんな純真さを持つ人の特徴や、「純真」という言葉についてご紹介していきます!
純真とは
あなたの周りにもし、一切人や物事を疑うことをせず、素直に自分の心を相手にさらけだすことができる人がいるとしたら、その人はきっと純真な心を持っている人なのでしょう。
純真とは、その漢字が示すように、純粋で心の清らかなことをいいます。
辞書の意味としては「心にけがれのないこと」や「邪心がなく清らかなこと」です。
心にけがれがないため悪巧みや人を悪く思う気持ちも芽生えずに、澄んだきれいな心を持っています。
どんなに温室育ちで周りから愛されて真っ直ぐに成長した人でも、社会に出ればイヤなことをたくさん経験するでしょう。
その中で他人を妬む気持ちや恨む気持ちも芽生えることがありますし、他人を蹴落としてでも自分が上にあがろうとする思いが生まれることもあるでしょう。
しかし純真な人というのは、そうした社会の負の連鎖にさらされながらも、心の清らかさを失うことはありません。
そうした人はこの社会の中では、とても希少な存在と言えるでしょう。
心にけがれのないこと
純真とは、心にけがれのないことです。
元々「けがれ」という概念は宗教的なもので、物欲や色欲のように、己の煩悩を心のけがれだとする考えもあれば、他人を妬む気持ちや蔑む気持ち、恨みや憎しみといった負の感情をけがれだとする考えもあります。
宗教的な見方としては、心に巣くった欲望や、悪い感情がけがれですので、純真な人はそのけがれが一切ない状態と言えるでしょう。
厳しい修行を重ね、悟りを開いた修行僧でもなければ、なかなか己の煩悩を消すことはできませんし、他人に対する負の感情も抱かないようにするのは難しいでしょう。
心に一切のけがれがない人間というのは、その多くはまだ幼い子どもです。
例え悪いことをしてしまっても、物事の善悪をまだ判断出来ていないために、それが悪いことだと意識した上でわざとやったことではありません。
自分の感情に無垢で素直、そして周りの人の意見をそっくりそのまま受け入れてしまう真っ直ぐな心が、子どもの持つ純真さと言えるでしょう。
普通はこの純真さも、子どもが大人になっていくにつれて、徐々に失くしていきます。
大人で純真な心を持ち続けている人というのは、よほど周りの環境に恵まれているか、本人がそうであろうと努力を重ねているのでしょう。
邪心がなく清らかなこと
純真は、邪心がなく清らかなことを意味します。
邪心は悪い心や邪な心ですので、人間の持つ良くない心のことを指します。
例えば自分よりも経済的に豊かな人を見て、「破産して生活に困ってしまえばいいのに」と相手の破滅を願ったり、「高級車を乗り回して嫌味なやつだな」と嫉妬の感情から悪意を抱いたりすることが邪心でしょう。
人間は自分にないものを持っている相手のことを、妬んだり僻んだりしやすい生き物です。
自分が今幸せではないと感じているほどその傾向が強く、自分の生活や周囲の環境に対する不満の感情から、恵まれている人に対してやっかみをしたり相手が困ってしまうことを望んだりします。
もちろんその悪意を向けられている相手は、自分が恨まれたり妬まれたりすることをしているつもりはないため、あれこれと悪意を向けられるのは心底理不尽に感じることでしょう。
一方でもし、恵まれている人がそうでない人を見下すような態度をとっていれば、それを向けられた人の邪心はますます強くなってしまうことでしょう。
純真の類語や関連語
「純真」は、心の清らかさを表わす言葉です。
そのため美しく、けがれのないといった意味での類語や関連語がいくつかあります。
また、純真という言葉は、そこから心の清らかさ以外のことを表現することもあります。
純真とよく似た意味や、そこから少しひねった意味などを踏まえて、類語や関連語を以下にご紹介していきます。
1.欠点がないさま
純真とは、心に一切のけがれもない状態です。
すなわち「一点の曇りもないさま」ですので、そうした意味から、欠点がないさまと表現することができます。
欠点がないと聞くと、「そんな人間はいない」と誰しもが思うでしょう。
誰だって完璧に物事をこなせるわけではありませんし、時には誘惑にかられることもあれば、悪いことをしてしまうことだってあるでしょう。
どんなに純真な人でも、時には悪い感情に流されそうになることはあります。
しかし、ほんの一時悪い気持ちが芽生えてしまったとしても、直ぐにそれを正したり、気持ちを切り替えたりすることができます。
そうやって直ぐに気持ちを切り替えることで、また心の中をきれいな状態に保つことができているのでしょう。
それゆえに、全体を通して見た時に、欠点がないさまと表現することができます。
潔白
「身の潔白を証明する」や「自身の潔白は明らかだ」などのように、時々「潔白」という言葉が使われることがあります。
この「潔白」とは、「心や行いがきれいなこと」や「後ろ暗いところがないこと」といった意味があります。
心や行いがきれいという意味では「純真」とよく似ています。
また、「後ろ暗いところがない」という意味では、推理小説やドラマの中で犯人だと疑われた人が、自分は何も悪いことなどしていないということを証明する際に、「身の潔白を証明してみせる!」などと言うことがあります。
心や行いがきれいであれば、必然的に何も隠すものがないため、後ろ暗いこともないのでしょう。
潔い
「潔い」とは、「事物や風景などが清らかでけがれのないさま」や「思い切りがよく、未練がましくないさま」「道に反するところがない」などの意味があります。
「純真」と関連する意味としては、「道に反するところがない」という部分でしょう。
道に反するところがないというのは、道をそれることがなく、またわざわざ道から外れるようなこともしないということです。
例えば自分の人生に敷かれた一本道が、正しい生き方を示しているのなら、その道からそれることがなければ、正しい人生を送ることができるでしょう。
自ら道に反する行動をしないため、何も後ろ暗いこともありません。
人から認められることはあっても、責められるような人生を送ることはないでしょう。
無垢
「無垢」とは、「けがれがなく純真なこと」です。
元は仏教用語で、「煩悩のけがれから離れて、清らかであること」という意味の言葉です。
「純粋無垢」という四文字熟語でも使われるように、けがれのない清らかな心を持つ人を表わしています。
無垢はその純真さゆえに、時には「何もものを知らない無知な存在」とも言われることがあります。
無知ということは、何も知らないからこそ悪いことをしてしまったり、愚かな行動を取ってしまったりすることもあるでしょう。
それをバカだと笑う人も中にはいますが、無知な人を笑う人こそ邪心の塊と言えます。
無知ゆえに悪いことをしてしまっても、それが悪いことだったと分かれば深く反省をして、同じことは二度としないと注意して人生を送っていけば、また無垢で清らかな心でいることができるでしょう。
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2.世慣れしていない、または世俗的ではない
「純真」な人は、いかにも世慣れしていないといった雰囲気があります。
社会に出て、世間とはどんなものなのかを肌で感じていれば、少なからず悪い感情を覚える機会もありますし、またさまざまなトラブルに巻き込まれることもあるでしょう。
真っ直ぐに正義だけを貫いて生きていくことが難しいという現実を思い知り、時には良くないものに巻かれながら生きていく必要もあるのだと、挫折をすることもあります。
たくさんの人の感情や、変動する世の中にもまれながら生きていれば、誰でも多少なりとも世慣れして、世間に適応した生き方になっていくでしょう。
しかし、純真さは世慣れや世俗的なものにはまったく馴染むことのない存在です。
例えばのんびりとした穏やかな土地で育ってきた人は、純真な性質を持ちやすいです。
しかしそんな人でも、1年も都会で生活していれば、心身に大きな変化が表れることでしょう。
それでも純真さを失わずにいる人の方が、とても珍しく希少な存在と言えます。
そんな世俗的なものとは相いれない純真さを表わす類語を以下に挙げていきます。
天真爛漫
「天真爛漫」とは、「飾ったり気取ったりせずにありのままであること」や「無邪気で微笑ましくなるようなさま」のことです。
人には誰しも自我がありますので、「人の上に立ちたい」「人から良く見られたい」などの感情を抱くことがあります。
それらの自我が強い人ほど、自らを着飾ったり、本来の自分以上であるように見せようとしたりします。
そうやって、自分の狙ったものを得ようとする行為は決して悪いものではありませんし、また誰にでもよくあることでしょう。
しかし天真爛漫な人というのは、自分が何かを狙ったり、意図したりして行動することがまずありません。
人からどういう風に思われたいかということを頭で考えずに、自分の気持ちに素直に行動しますので、時にはそれが好ましく思われることもあれば、悪く思われてしまうこともあるでしょう。
子どもでもない限りは、あまりに無邪気な行動は時に他人を不快にさせてしまうこともあります。
しかし本当に天真爛漫な人というのは、そうした周囲の悪い感情を意識することもないのです。
他愛ない
「他愛ない」は、「正体がない」「しっかりした考えがない」「手ごたえがない」などの意味があります。
この内の「しっかりした考えがない」というのは、幼い子どもに思慮分別がないように、先のことや身の回りのことなどをきちんと考えていないという意味でもあります。
そのため友達との旅行の日にちが迫っているのに、友達から何か言われるまでまったく何も考えていなかったり、将来どうするのかと問われた時にも、明確な将来への希望やビジョンなども持っていなかったりします。
子どもっぽい性格の人に多く見られますが、いい歳になってからも他愛ないままでいると、周囲からは「しっかり考えなよ」と呆れられてしまいます。
純真な人はあれこれと考えを巡らせて悩むことがそこまで多くはないため、そうした部分と他愛なさとが関連していると言えるでしょう。
純真なことは邪な考えがなくて良い反面、少々考えなしなところもあります。
初々しい
「初々しい」は「もの慣れない感じで、好感のもてるさま」です。
よく恋愛をしたことがない人が、戸惑いながら好きな人と接しているさまを見て、周りが「初々しいね~」「初心で可愛いね」などと言うことがあります。
やったことのないことや、未知のものに対しては、誰しもが戸惑い自信がなく、ためらいの感情を見せます。
そうした様子がもの慣れた人からすれば可愛らしく見えて、好感を抱く際に「初々しい」と表現することがあるでしょう。
初々しさはその内容によっては、大人でも子どもでも関係がありません。
子どもで初々しいさまが好意的に思えることもあれば、高齢になってから初めてすることに対して、初々しい様子でいる人を微笑ましく思うこともあるでしょう。
3.自然で飾り気のない性質
純真には、自然で飾り気のない性質もあります。
他人から良い人だと思われたくて自分を取り繕ったり、好きな異性に好かれたくて相手の好みになろうと思ったりと、誰かに何かを思われたい一心でいる人の場合は、自らを何とかして飾り立てようと努力します。
自分を飾り立てる理由が、誰かに良く思われたいものであったとしても、動機があれば積極的に行動して、自分を良い方向へと変えていくことは出来ますので、それ自体は良いことでしょう。
しかし、そうして行動していること自体が、自分の意志ではなく、誰かの意志に依存して行動していることになります。
また、人によって誰かに気に入られよう、ご機嫌伺いをしようとして飾り立てようとすることもありますので、他人から見ればどうしても打算的に思えてしまうこともあるでしょう。
一方で純真な人は、そうした飾り気が一切ありませんので、行動にも計算を感じさせず、ごく自然に振舞っています。
率直さ
純真な人は自らを飾り立てることがないために、いつでも率直さがあります。
「率直」とは「ありのままで隠すところがないこと」や「飾ったりつくろったりしないこと」ですので、まさに純真さを表わす言葉と言ってもいいでしょう。
率直に人の意見を伺ったり、率直な行動をしたりと、言動や行動がストレートで嘘がないため、周りもその人を信用しやすくなります。
とはいえ、ある程度オブラートに包んだ表現をしなければならない場面でも、純真な人は率直な物言いをしてしまうことがありますので、場合によっては「もうちょっと場の空気を読んで」と注意されてしまうこともあるかもしれませんね。
真率さ
「真率」とは、「真面目で飾り気がないこと」です。
純真な人は自分が「これは間違っている、よくない」と思うことがあれば、例えその流れに乗らなければならない場面であっても、頑なに従おうとはしません。
周りや目上の人間に媚びへつらうこともせずに、真面目で自分の芯を通して生きていこうとしますので、時には周りの人から疎まれることもあるでしょう。
例えば上司が脱税をしていることを部下は皆知っていて、誰もが面倒を避けて何も言わないでいる時にも、純真な人は1人立ち上がって上司に抗議しようとしたり、さらに上の立場の人へそれを報告しようとしたりします。
周りとしては「波風を立ててくれるな」と思い忠告しようとしても、「いや、これは間違っているから」と周りに合わせて流されることなく、真面目さを貫こうとします。
そのため時には理不尽な目にも遭いますし、会社によってはクビにされてしまうこともあるでしょう。
それでも「自分は間違っていない」という確固たる自信があるため、純真な人はその純真さを失うことはないのです。
関連語
「純真」の関連語は、心のけがれのなさや清らかさといったものを表わしているものが多いです。
「純真」は普段使いをされることはあまりありませんが、関連語はあちこちの機会で使われています。
「純真」の関連語には、例えば「純粋」や「可憐」、「真っ直ぐな」や「ひたむき」「一途な」などがあります。
「純粋」はけがれや邪念、私欲がないことを意味しており、「可憐」は姿形が可愛らしく、守ってやりたくなるようなさまという意味があります。
「真っ直ぐな」は隠し立てのない正直なさまを意味し、「ひたむき」「一途」は一つのことに一生懸命になり、熱中するさまという意味があります。
どれも「純真」の、真っ直ぐでけがれのない心や、無垢なところ、また何も隠し立てがないような部分を表わしています。
そのため日常会話の中で「あの人は純真だね」と言う機会はあまりなくても、「あの人は純粋だね」「可憐だね」「ひたむきな様子が良いね」などと言う機会は多いでしょう。
純真の使い方
「純真」という言葉は、そこまで普段使いをすることはないでしょう。
どちらかと言えば「純粋」「正直」「素直」などの表現をすることの方が多いため、せっかく意味を理解しても、「純真」という言葉を使う機会がなければ、どのように使うのかを忘れてしまうことでしょう。
以下に「純真」を用いた例文を挙げていきますので、使い方について確認し、使い方を忘れてしまわないようにしておきましょう。
その少女は、あまりにも純真で清らかに見えた
少女の年頃は、まだまだ純真で無垢です。
心身ともに清らかで、良いことも悪いことも素直に吸収してしまいます。
悪いことを知らずに良いことばかりに囲まれて育った少女の場合、他の子どもよりもさらに純真で清らかに見えることでしょう。
そのけがれのない様子に、少女の両親は将来が楽しみになるでしょうし、他の大人も無垢な少女の姿を見て、自分の子ども時代を思い出し、その思い出に浸ることでしょう。
純真で無垢な少女を表現する時に、例文のように使うことがあります。
それは純真で素直な喜び方であった
人から褒められた時や、何か褒美をもらった時などに、それに対する喜びの表現はさまざまです。
はにかむように照れた笑顔でお礼を述べる人もいれば、満面の笑みと大声で喜ぶ人もいるでしょう。
また、両手を高く掲げて喜びの感情を表す人もいます。
それが全て本心からのものであれば、褒めた側も相手の反応で自身が満足出来ることでしょう。
しかし、時には嬉しくもない世辞や賛辞を受けて、社交辞令として喜ぶ素振りをすることもあります。
嫌いな上司から褒められても嬉しいと感じられないこともあれば、本心では嬉しくないと思う褒美や贈り物を受けて表面上のみで反応することもあるでしょう。
そうした社交辞令としての喜び方が透けて見えてしまっていると、褒めた側や贈り物をした側も、嫌な気持ちになってしまいます。
しかし純真な人の場合、そうした社交辞令をすることがないため、心の底から素直な気持ちで相手の厚意を喜びます。
その純真なさまを表現する際に、例文として用いることがあるでしょう。
出会いは、本当にまだ若く、純真な頃だった
歳が若いほど、心は純真できれいなことが多いです。
歳が若いということは、それだけまだ社会に染まっておらず、物を知らない無垢な状態です。
そのため心もけがれておらず、清らかな人が多いでしょう。
その純真な時期に出会いがあると、相手の純真さが眩くて、とても魅力的に感じられます。
それは思い出の中に強く残るため、何年経った後でも、その出会いの光景を忘れることはないでしょう。
そして出会いの時期を思い出すたびに、例文のように表現して当時の思い出に浸ることがあるでしょう。
純真な心を持つ人の6個の特徴
子どもの頃は誰でも、純真な心を持っています。
大人が冗談のつもりで教えた嘘も本当のことだと信じ切って、「嘘だよ」と言われれば「嘘をつかれた」と心底傷つきます。
子ども心はとても純粋ですので、ちょっとした悪意にも敏感ですし、相手がほんの冗談のつもりで自分を騙した時にも、「騙された!裏切られた!」と強いショックを受けます。
子どもの頃は純粋無垢だからこそ、そうやってささいなことにも傷ついたり喜んだり、周りの意見を素直に受け入れたりします。
しかし、そうした経験を積みながら大人になっていけば、大抵の人は用心深くなるため、甘い声をかけてくる人がいれば警戒しますし、初対面の相手を信じることもないでしょう。
それはごく当たり前のことですが、純真な人は多くの人たちとは異なった考え方や信念を持っています。
では、純真な心を持つ人には、私たちとはどのように違った特徴が見られるのでしょうか?以下にその特徴を挙げていきます。
1.素直である
純真な人は、とても素直な性格をしています。
相手が自分のことを「好きだよ」と言えば、「ありがとう!」とその好意を素直に受け取ります。
また、もしもそれが心にもない嘘だったとしても、「嘘だったのか・・・」と素直に落ち込みます。
ごく一般的に世間に揉まれてきた人からすれば、「人の言うことをいちいち真に受けすぎなのでは?」と少し心配になるほどに、純真な人は素直な性格をしています。
そのため悪意を持って近づいてきた相手に対しても、悪意に気付かなければ簡単に騙されてしまうでしょう。
さらには騙されたと気付いた後でも、相手がもしも同情に訴えてくるようなことがあれば、それで怒りの気持ちが揺らいでしまうほどに人の良い性格もしています。
そのため素直な人は周りの助けや助言があって、悪事に巻き込まれることなく過ごせている人も少なくはないでしょう。
2.嘘がない
純真な人には嘘がありません。
嘘をつく必要性もなく、また嘘をつくという行為を嫌うため、自分にも他人にも嘘がありません。
嘘をつかない人は、嘘をつこうともしないため、周りも安心してその人の言動を信じることが出来ます。
いざ嘘をつく必要性にかられた時にも、良心の呵責が大きいため、どうしても不自然な物言いになってしまうでしょう。
嘘がないというのはそれだけ周りを安心させてくれますが、反対に嘘が必要な場面になった時にも上手に周りに合わせることが出来ないため、周りをハラハラさせてしまうことがあります。
3.感情移入しやすい
純真な人はとても素直な性格をしていますので、それだけ他人に対しても共感や感情移入がしやすいです。
誰かに悲しいことがあれば、自分まで当事者のように落ち込んでしまったり、人が死ぬ映画やドラマなどの作品を観れば、とても悲しい気持ちになって役者と一緒に泣いてしまったりもします。
感受性も豊かなので、他人から向けられる好意や悪意にも敏感です。
人から好意を向けられれば、自分もその人のことを人間として好きになりますし、また敵意を向けられるとこちらも相手を苦手に感じてしまいやすいです。
頭で考えるのではなく、心で感じることが多いため、周りの人の感情によって自分の感情も左右されることがあります。
感情移入しやすい特徴を持っていますが、かといって自分の芯を曲げることもしないのが純真な人でしょう。
4.真っ直ぐである
純真な人はいつでも真っ直ぐです。
1つの仕事を与えられれば、それが自分の使命だとでもいうように一生懸命に取り組みます。
その結果それが上手くいって上司から誉められれば大喜びしますし、失敗して叱責されれば酷く落ち込んでしまいます。
純真な人は、真っ直ぐな性格をしているがゆえに、喜怒哀楽の変化も周りからみてとても分かりやすいです。
また、感情が分かりやすい上に、自分を飾ることがないためそれが嘘でないということも周りには伝わります。
気分を害している様子であれば心の底から怒っていますし、にこにこと笑顔でいれば何か良いことがあったのだというのが良く分かります。
純真な人は、どんな時でもとにかく真っ直ぐなのです。
5.人を疑わない
純真な人は、人を疑うということをしません。
人からどれだけ胡散臭い話をされたとしても、それを素直に信じてしまう危うさを持っています。
「身内が急に亡くなってしまって、今日を生きるのも必死だ。どうか少しだけでもお金を援助して欲しい。」と言われれば、その言葉をそのまま信じてお金を貸してしまおうとします。
純真な人は何度騙されても人を疑うことはせず、また一度自分を騙した相手であっても、相手が名演技であれば再度騙されてしまう可能性が高いです。
そのため周りにいる人たちは、純真な人が騙されたという話を聞くたびに「またか」と呆れたり、心配したりすることが多いです。
元来の人の良さから、そんなふうにいつも人から騙されていても、仲の良い人たちは心配して警告したり、自分も一緒に確認したりと、お節介を焼いてくれることが少なくはないでしょう。
6.誰にでも優しい
純真な人は、人間関係で損得勘定をすることがありません。
自分に好意を向けてくれる相手であれば、どんな相手でも自分も好意で返しますし、また初対面の人にもこちらから好意を向けようとします。
もし相手に敵意や悪意を向けられたなら、こちらも鏡のように相手を嫌うことはなくても、やはり相手のことを少なからず苦手には感じてしまうでしょう。
好意や悪意が明確でなければ、基本的には誰に対しても優しいです。
「この人には優しくしておくと有利だな」という打算的な考え方もしないため、立場や年齢、性別に関係なく誰に対しても優しさを持っています。
まとめ
子どもの内は誰もが純真ですが、大人になるにつれて次第にその純真さは失われていきます。
しかしそれは決して悪いことではなく、悪い人に騙されたり、悪意に翻弄されたりしないために自らの防衛反応として、簡単に人を信用しなくなったり、警戒心が強くなったりするのです。
それら自分を守る術は身に付けた上で、純真さを忘れずに保つことが出来ている人が、理想的な大人の姿なのかもしれませんね。
普段周りを警戒し過ぎてしまっている人は、今よりももう少し、素直に人を信じる気持ちを見直す必要があるでしょうし、何もかも信じすぎてしまっている人は、行動に移る前に冷静になってきちんと考えてみる必要があるでしょう。
また、日常会話の中では、「純真」という言葉を使う機会はそこまで多くはないかもしれません。
そんな時には類語や関連語などを用いて、誰かの純真さを表現してみましょう。