自分のことをさらけ出せない内は、それは愛とは言えません。
恋を愛に変えたければ、勇気を出して自分をさらけ出しましょう。
自分の悪い癖なども隠さずにさらけ出してみよう
足で扉を開ける、運転中につい乱暴な言葉遣いになってしまうなど、自分の持つ悪い癖はいくら隠そうと思っても、いずれはボロが出てしまいます。
何十年と隠し続けて、後になってそれが相手にバレて関係が悪化してしまうよりは、早い段階から自分の悪い癖などを隠さずにさらけ出しておけば、その先何十年と安心して好きな人と一緒に過ごすことができるでしょう。
自分の悪い癖を長年隠し続けようとすれば、それは自分の本音や本当の姿を相手に見せずにいることになりますので、自分にとってストレスですし、相手もそれを不満に感じてしまうでしょう。
「さらけ出したら嫌われるかもしれない」という気持ちが強く、なかなかさらけ出せないかもしれません。
しかし、言い換えればその程度で幻滅して離れてしまうような相手であれば、結局は恋から愛に変わることはなかったでしょう。
それどころか、もしも幻滅せずに自分を受け入れてくれたなら、あなたは早々に自分を愛してくれる存在と一緒になれたことになります。
相手の愛を確かめるためにも、自分の悪い癖などをさらけ出すことは大切なのです。
焦らずに育てる
「恋をしている内は子ども!本気で好きな相手なら直ぐにでも気持ちを愛に変えないと!」という考えを持った人が時々います。
また、「愛し合ってこそ本物!」という考えを持った人も、付き合ってまだ間もない内から「愛してる」や「愛し合っている」といった言葉を使いたがる傾向があります。
愛を求めること自体は悪いことではありません。
しかし、あまりに性急すぎると恋を愛に変える前に、相手に「気持ちが重たすぎる」「一方的だ」と逃げられてしまうかもしれません。
愛とは、直ぐに育てられるものではありません。
それこそ付き合って半年や一年そこらで得られるものでもないでしょう。
愛とは時間をかけて、ゆっくりと育てていくものです。
例えどんなに恋を愛に変えるための努力に励んだとしても、それなりの時間の経過がなければ愛を育てることはできません。
ましてや自分は愛を育むことができたとしても、相手もこちらに合わせて愛を育んでくれるとは限らないため、お互いの気持ちに擦れ違いが生じないためにも、ゆっくりと時間をかけて愛を育てていきましょう。
愛は2人でゆっくりと時間をかけて育てていくもの、ということを忘れない
一方的に愛を育てようと思っても、それは恋をしていることと変わりありません。
一方的という時点で、それは既に愛ではないからです。
愛は2人でゆっくりと時間をかけて育てていくもの、ということを忘れないようにしましょう。
愛を育てるには、穏やかで何も問題のない日々を送っていればいいかというと、そういうわけではありません。
時には喧嘩をし、互いの価値観をぶつけ合うことも大切です。
そうしてお互いの気持ちや考え、また良い面や悪い面もすべてさらけ出した上で、それでも2人でこの先も一緒に過ごしていきたいと思えれば、その気持ちは恋ではなく、愛が育っているのでしょう。
恋と愛の違いってなに?
そもそも、恋と愛の違いとはなんでしょうか?
どちらもお互いを好きな気持ちには変わりありませんし、尽くすタイプの人や優しい性格の人は、恋をしている時から相手のことを優先的に考えたり、気遣いや思い遣りを持って接したりするでしょう。
自分が大好きな人でもない限りは、大抵自分よりも好きな人のことを優先的に考えるものです。
しかしそう簡単にそれを「愛」だと断言する人はいないでしょう。
恋は簡単に落ちるものというイメージがありますが、一方の愛はそんな簡単に得られるものではないというイメージが強いです。
何故そのようなイメージになってしまうのでしょうか?
一般的に考えられている、恋と愛の違いについてご紹介していきます。
1人か2人か
恋は1人でもできますが、愛は2人で育むものです。
好きな人ができた時、相手の気持ちがこちらに向いている、いないに関係なく、恋という気持ちは成立しています。
そのため恋は自分1人だけでもできるでしょう。
しかし一方の愛は、基本的に2人で育むものです。