その一方で愛は、互いへの信頼が揺るぎないものになっています。
そのため例え他の異性と出かけることがあっても、「自分への気持ちが変わることはない」と大きく構えていることができますし、いちいち小さなことで不安を覚えたり、疑ったりすることもないでしょう。
恋「相手を疑う」・愛「どんな時も相手を信じる」
恋は些細なことでも相手を疑ってしまうことがありますが、愛があるからといって不安をまったく覚えないというわけではありません。
どんなに相手のことを理解しているつもりでも、しょせんは他人同士ですので、相手の本心までを理解仕切ることは難しいでしょう。
それでも愛がある人は、どんなに不安になっても相手を信じることを止めません。
「あの人ならきっと大丈夫」と強く信じているからこそ、不安になってもそれを表に出すことなく、胸の内で不安な感情を抑えておくことができるのです。
また、愛を育み合っている者同士は、不安に感じることがあれば、直ぐにそれを相手に伝えて、気持ちの確認をし合います。
「嫌われたくないから」と黙って不安を抱えているだけでは、いつか爆発して相手と大喧嘩になってしまうでしょう。
恋ではしばしばみられることですが、愛の場合にはそうなる前にきちんと相手に自分の気持ちを伝えます。
そしてお互いに不安を解消し合うからこそ、お互いのことを心から信じて愛を育むことができるのでしょう。
持続するか
よく、「恋は一時のもの、愛は永遠のもの」と言われます。
その言葉の通りで、恋とはあくまでも一時的なものです。
長年ひっそりと忍ぶ恋をし続ける人もいますが、大抵はその途中で恋に破れたり、または恋から愛へと関係を進展させたりします。
恋の期間は人それぞれですが、大抵は1年~3年程度と言われています。
とくに恋の盛んな学生時代には、入学から卒業までの3年間で恋愛をしたり、恋に破れたりするでしょう。
そのため、恋の期間は一般的に長くても3年程度だと言われています。
もちろんそう決まっているわけではありませんが、同じ恋だけで何十年と保ち続けることはそうあることではないでしょう。
一方で、愛は永遠のものだと言われています。
生涯を共にしたいと思える相手と一緒になり、その相手だけを一途に死ぬまで愛し続けるため、愛は永遠だと言われています。
途中でその愛がなくなってしまうこともありますが、上手く続けば本当に一生のものになるでしょう。
責任があるかどうか
恋と愛とでは、責任の有無の違いがあります。
恋は刹那的なもので、期間も一時だけです。
そのため恋愛が成立しても、いつそれがダメになってしまうかは分かりません。
恋を大切に育てることで愛に変わっていきますが、恋には責任がありませんので、簡単に次の恋へと乗り換えてしまうこともできます。
極端な話、例えば恋愛をする過程で女性に新しい命を授かったとしても、結婚という愛を形にしたもので結ばれていない限り、男性はそれを放棄して女性の元から逃げてしまうことだってあります。
もしも2人が既に結婚していたのなら、そんな悲劇的な結末には決してならないでしょう。
一方で愛の場合には、遅かれ早かれ結婚して家庭を築くことになりますので、互いに責任を負うことになるでしょう。
責任と聞くとずっしりと重たいもののように思えますが、お互いにお互いのことに対しての責任を負いますので、それは重たい枷ではなく、むしろこの先も一生一緒に過ごすという誓いの証でもあるでしょう。
互いに愛し合っている関係であれば、責任を重たく感じてしまうことはないでしょう。
恋「お互いのことに責任はない」・愛「お互いの責任を負う」
恋をしている内は、相手に例え何か起きたとしても、それで自分が責任を背負うことはないでしょう。
もしも恋人の親戚が結婚式を挙げることになっても、自分まで一緒に参列をする義務はありませんし、また恋人が多額の借金を背負ってしまっても、自分も一緒になってそれを支払う義務はありません。
恋人である内は、相手のことで自分も一緒に責任を負う必要はどこにもないのです。
そのため、その気楽さが心地よくて、いつまでも恋愛だけを楽しもうとする人もいます。
一方愛情を育んだもの同士は、いずれ結婚という形で結ばれるでしょう。
そうなれば互いのことはもはや他人同士ではなく、同じ家族の一員となりますので、お互いにお互いの責任を負うことになります。
夫が借金をしたのなら妻もその責任を負いますし、また妻が仕事を辞めたら夫は妻の分まで家計を支えなければなりません。