利他的
「利他的」とは、自分を犠牲にしても他人の利益を図ることです。
これの反対語である「利己的」は、自分の利益だけを追求しようとすることです。
世の中には、圧倒的に利己的な人の方が多いでしょう。
なぜなら誰もが、自分のことを大切に思っているからです。
自分という人間は自分だけのものですので、何よりも自分を一番大切にして、自分が一番いい思いをしようという考えは、生存本能から考えれば当たり前のことでしょう。
とくに野生下においては、何よりも自分を一番に優先させなければ生き残ることは出来ないため、私たち人間が自己の利益だけを追求しようとするのは何もおかしなことではないと言えるでしょう。
しかし私たちは集団社会を形成する理性的な動物です。
社会を営む上で、自己の利益だけを追求していては、とてもまとまって生活を送ることは出来ないでしょう。
だからこそ時には他人に譲ったり、思い遣りの気持ちを持ったりしながら生活していますが、それでもやはり利己的な考えの方が強いでしょう。
そんな中で、時々自分ではなく他人の利益ばかりを図ろうとする人がいます。
自分は損をしてもいいから他の人たちに幸せになって欲しいと願って行動したり、自分は痛い目に遭っても他人を助けられればそれでいいと考えたりする人がいます。
そうした献身的で奇特な人のことを利他的と言います。
生存本能とは真逆の性質を持つ利他的な存在によって助けられている人は、世の中に大勢いることでしょう。
自己犠牲
よく自分の身を犠牲にしてまで他人のために一生懸命になる人に対して、「あの人は自己犠牲の精神が強い」と言うことがあります。
献身的の場合には、言葉の響きが柔らかく優しいため、悪い印象を持つことはそうないでしょう。
一方で自己犠牲の場合には、同じような意味でもより残酷な印象を持たれることの多い言葉です。
自己犠牲の意味は「自分を犠牲にして他のために尽くすこと」です。
「犠牲」という言葉の響きから、自分の命を失くしてまで他人を助けるといったイメージを抱きやすく、それゆえに残酷な印象を持たれやすいのかもしれません。
また、献身的の場合にはその行為を非難する人はあまりいませんが、自己犠牲の場合には「自分が犠牲になってまで他人のために尽くすなんて馬鹿じゃないのか」と非難の声を浴びることも時々あります。
自分を犠牲にする、というフレーズは、それほど聞く人によっては不快に感じられるのかもしれません。
また、言葉の響きからどこか自虐的な印象を抱く人もいるかもしれません。
自分で自分の身を犠牲にするというのは、通常ではあまり考えられることではないため、献身的という言葉よりも良くないイメージで使われることがあるのかもしれませんね。
連想される言葉
「献身的」という言葉は、誰かのために自分が一生懸命になるということです。
そこには懸命さや必死さがうかがえますし、また他人に対する愛情や思い遣りなどの暖かな感情も感じられるでしょう。
さらに自分のためではなく、他人のために一生懸命になれることへの誠実さや真面目さなどもうかがえますので、それらの献身的から連想される言葉についても知っておきましょう。
以下にいくつかの連想される言葉をご紹介していきます。
全身全霊
「全身全霊」とは、「その人の持っている心身の力のすべて」という意味です。
言葉の響きから、「自分の魂をかけて」といったイメージも持たれやすいですが、これは「全力」や「本気」などの言葉よりも、より必死さがうかがえる言葉でしょう。
例えばスポーツ大会に臨む人が、「全身全霊で闘います」と宣言をすることがありますが、これは文字通り精神的、肉体的に全力で試合に臨むという気持ちを表わしています。
気持ちだけなら「一生懸命に」の言葉でも足りるでしょう。
しかし体も全力で使うのなら、「身」の文字が入った全身全霊という言葉の方が、口にした時にも説得力がうかがえます。
献身的な人というのは、気持ちだけなく行動で他人を助けます。
それも自分が持てる限りのすべての力でもって他人のために尽くそうとしますので、その様子から全身全霊という言葉が連想されるでしょう。
親身になって
「親身」とは、「肉親のように心づかいをすること」です。
よく「親友の悩み相談を親身になって受ける」と表現することがありますが、これは親友をまるで自分の家族のように思い遣りながら相談を受けるということです。