しかしながらこの絶対評価に変わることで全体で見るのではなく、その個人の実力を見て評価をするというような形になりました。
いわゆる今の実力からどれだけ成長をすることができるのか、という事が絶対評価という事になります。
相対評価の場合は全体の平均ですが、絶対評価の場合は1人1人を評価していくというような形になったのです。
ゆとり学習が失敗だったといわれる理由
ではこの様な制度が入ったにも関わらず失敗だったといわれるのには必ず理由というものがありますよね。
例えば知識量を増やす授業が減ったことにより学力低下をしたのではないかというような事や、忍耐力などが育たなかったというような事もあるでしょう。
特に一番に思うような事は競争心が育たないという事や、協調性がないというような事がゆとり教育をしての失敗だったのではないかという人もいます。
このゆとり教育の世代の人達というのは確かに難点な箇所も多いかもしれませんが、これがもっと早めに実施されたいた場合はどのようになっていたのかと想像をすると良いかもしれませんね。
ゆとり世代だからと言って皆がその様になっているわけではないという事を覚えておくようにしましょう。
ではどのようなことが失敗だったといわれているのか、詳しく見てみたいと思います。
1.学力低下に陥った
学力低下に陥ったというような事は、ゆとり教育を実施してから大きく見られました。
いわゆるその事に関して興味があるものであれば伸ばせるものの、苦手なものに関しての知識というものが全く入らずに、全体的に得意不得意というようなものが生まれ、学力低下に繋がったのではないかというような事もあるのではないかと思います。
学力低下になる原因がどうしても「学習時間が少ないから」というような事を考える人も多いかもしれませんが、決してそうではなく、学力低下に陥った原因はもっと他にもあるのではないかとも思います。
その1つには後から説明する「興味のないことをする機会がなかった」という項目で説明をしたいと思います。
2.忍耐力が育たなかった
忍耐力が育たなかったというような事もあるでしょう。
基本的に昔の人達というのはとにかく粘り強く勉強をするというようなイメージがありました。
これはいわゆる耐え抜くというような事であり、辛いことでも頑張るというような考えをするような人達が多い傾向があるのではないかと思います。
しかしながら今の環境というのは、辛いことから逃げるというような考えを持つ人が多く、また何かあると直ぐに反論をするというようなイメージを強くもっているので、忍耐力が育たなかったというようなことを考えるのではないかと思います。
3.興味のない事をする機会がなかった
ゆとり学習が失敗だったと思われる多い原因の1つには興味のないことをする機会がなかったというような事があります。
これはどういう事かと言うと、人というのはどうしても興味がある分野に関しては吸収が早いものの、興味のない分野に関しては触れない限りは無知でいるという状態が普通だと思います。
しかし昔は知識量というものが主となっていたので、様々な事に関しての知識を持っていた人が多いです。
しかしながらゆとり学習、ゆとり教育になり「考える」という思考力を鍛える方針に変わり、知識量が少なくなってしまいました。
なので興味の無いことに関しては一切触れることがないというような環境になってしまい、雑学的な分野でも無知なことが多いというような人が増えたのではないかと思います。
ここで重要なことは興味のないことをする機会がないという事は、学力低下にも陥ってしまうということとイコールになっているという事です。
興味がなければ無知でいる、というのは同時にその事に関しての知識が無いという事になってしまうので、どうしても学力が低下をしてしまう原因にもなってしまったのではないかと思います。
4.みんなが1番のため負けることを知らずに育った
みんなが1番のため負けることを知らず育ったというような事もあるでしょう。
これは先ほど言った絶対評価に方針が変わったからという事になります。
一見その1人1人を見るというような事で、評価が違うので努力をした人は認めてもらうというような形にもなっていると思います。
しかしこれは同時に、皆が1番であるというような、いわゆる皆頑張ったのだから、皆が同じ位置にいるというような考えをするようになったという事です。
負けることを知らずに育つというのは、いわゆる競争心というようなものであったり、競い合うというような事がなく育ったという事になります。
5.競争心が育たなかった
競争心が育たなかった原因の1つには先ほど説明した皆が1番のため負けることを知らずに育ったというような事がありますが、他にもあります。
例えば競争心というのは、どうしても競い合うというような事をしなければ生まれないですよね。
簡単に言えばゲームをしてどちらが勝つのか負けるのかというような事をしない限り、その様なことが無いという事になります。
この勝ち負けというような事はどうしても人間関係などを崩れさせたり、お互いが相手のことを嫌うというような事にもなってしまうので、競争心などをなくし、絶対評価というような基準になったのではないかと思います。
その影響により競争心が育たないので、お互いが切磋琢磨して成長をする環境を作ることができなくなったというような失敗を言うような人も多いのではないかと思います。