同情とは?
同情とは、「他人の身の上になり、感情をともにすること」です。
誰かが辛い目に遭えば、それを自分のことのように思いやって、相手を労うことが同情です。
例えば家族の誰かが怪我をすれば、自分が怪我をしたような気になって、相手を労わります。
また、恋人が仕事で辛い目に遭ったら、恋人の立場を想像して、自分も辛い気持ちを共有しようとするでしょう。
とはいえ、どんなに同情したところで、自分が相手とまったく同じような立場や状況、気持ちになることは不可能です。
しかしそれでも、少しでも相手の気持ちを理解しようと働く心が同情心です。
理性的で、集団での社会生活を営む人間にとっては、この同情心は必要不可欠なものでもあります。
他人に共感しようとするからこそ、人が人を思い遣って安定した集団社会での生活を営むことができています。
対義語
同情の対義語は、非難や批判、反発などです。
これらはいずれも、相手に対して反抗する気持ちを持つ言葉です。
同情は相手の身の上になって思いやる気持ちであるため、相手の気持ちに理解を示そうとすることです。
その一方で、非難や批判、反発といった言葉は相手へ理解を示すことなく、真っ向から相手を否定する気持ちを表していますので、まさに同情の対義語と言えるでしょう。
同情する時とは?
人が人に同情する時とは、どのような時でしょうか?
大抵は、自分が「大変だな」「辛いだろうな」と思うレベルの出来事に誰かが遭遇した時に、自分が相手の立場になって同情しようとします。
つまり、自分が実際に起きたら辛いと感じる出来事や、苦しい、大変だと思える目に誰かが遭った時には、つい同情をしてしまうことが多いです。
反対に言えば、自分が「たいしたことはないな」と感じていることであれば、誰かがそれを「大変だ」と言っていても、自分がその大変さをあまり想像することができないため、相手に同情することはありません。
例えば自分にとって病人の看護が大変でなければ、友達が親の看護で「苦労する」と嘆いていても、それに同調することはできず、「でも頑張らないとね」と逆に励ますようなことを言うでしょう。
どんな時に同情するのかは、その人によって違います。
しかし自分の基準で大変だと思える目に誰かが遭えば、その時には安易に同情する人は多いでしょう。
相手の境遇を聞いたとき
同情しやすい人の多くは、大抵自分と近しい関係の人が苦労していると、その境遇に同情することが多いです。
例えば恋人に暴力や借金癖があるとか、友達が怪我をしてしまったとか、身近でかつ自分が想像つくような境遇の人に対してはとくに同情しやすいでしょう。
また、場合によっては友達を通して他の人の方が大変な目に遭っていても、自分にとって友達の方が親しい関係であれば、一番苦労している人よりも、むしろ友達の方に同情することもあります。
例えば友達の家族が病気で入院をしており、友達が毎日家族の面倒をみるのに大変だと話していれば、一番大変な友達の家族に対してよりも、面倒をみるのに追われている友達に対して同情を示すことがあるでしょう。
ドラマやテレビを観たとき
同情しやすい人は、ドラマやテレビといったフィクションの出来事であっても、それを自分の立場と重ねたり、想像したりして同情することが多いです。
例えば会社でいじめられている主人公がいれば、自分をその主人公の立場に置き換えて考えて、「大変だなぁ」と同情したり、恋人が亡くなってしまうドラマを観た時には、「もしも自分の恋人が死んでしまったら」と想像して悲しい気持ちになったりします。
同情しやすい人は、それだけ想像力や感情が豊かですので、例え対象がまったくのフィクションでも、現実と関係なく同情心を示すことがあります。
同情をしてしまうと損をしてしまう理由
他人に同情することで、時には自分が損をしてしまうこともあります。
同情とは他人を気遣うことでもあり、自分とは関係のない要素によって、自分の心が大きく揺り動かされることです。
それだけ感情が豊かなのは、人間としては悪いことではないでしょう。
たくさんのことを感じ取れる感受性の豊かさは、芸術性を育んだり、人のためになったりすることも多いです。
しかしその一方で、自分自身に損をさせてしまうことも少なくはありません。
いったいどのような損をしてしまうのでしょうか?
その理由を以下に挙げていきます。
自分が経験したかのように感情が出てしまう
他人に同情することで、実際には自分が体験したわけではないのに、まるで自分まで体験したかのように感情が出てしまうことがあります。