結局、それで心のバランスを崩してしまうことだってあるでしょう。
それに、そのお人好しが人に媚びているように見られてしまった場合、自分の思いとは裏腹に、人に嫌われることだってあるんです。
「お人好しだね」と言われるとしたら、人に良く思われていはいないということなのですから。
11.人の顔色を伺う
そして、人に良く思われたいという強い気持ちが満たされないと、次第に“人の顔色を伺う”ようにもなってしまうんですよね。
これは、お人好し度が行き過ぎた人の特徴になるんだと思います。
人の顔色を伺ってしまうというのは、自分に自信が無い人の行動とも言われています。
自分の意見を主張しないのも、頼られることに過剰に喜びを感じるのも、自信のない自分の心を埋めるためなのでしょう。
自分の意見を主張せずに他人に従っていた方が楽だし安心。
頼られることで自分の価値を見い出せる。
そういった気持ちが、人の顔色を伺う行動へと繋がっていくんですよね。
もはやお人好しとは呼べず、お人好し風なだけなのかもしれません。
12.平和主義
そうなるともちろん、お人好しな人は“平和主義”も貫きますよね。
人に良く思われたいし、その為に人の顔色を伺うような人であれば、当然争いも嫌うでしょう。
それが、断れない気持ちも、人への甘さも生んでいるのでしょうね。
確かに人が争うことがなく、平和な世の中になることは人々の願いです。
みんな仲良く出来たら幸せな気もします。
でも、実力行使の戦争と、意見を主張し合うことは違います。
ただただ相手の意見を受け入れるだけでは、本当の意味での平和とは言えないと思います。
お互いを尊重し合い、意見をぶつけ合い、お互いの納得と満足があってこそ、関係性はより良いものへとなっていくはずなんです。
お人好しな人が我慢しているのだとしたら、その関係に本当の意味での平和は生まれないはずです。
お人好しぶりを利用した悪人を生み出すか、相手にだけ満足を与え自分の心が壊れるか…。
利他主義も平和主義も、捉え方や使い方を間違えれば、本来の素晴らしい精神とは外れていってしまうんです。
自分の平和を願うのか、世の中の平和を願うのか。
それが、お人好しな人と本当の人格者との違いなんだと思います。
13.話し合いが苦手
お人好しな人は“話し合いが苦手”であるという特徴も、平和主義を貫く理由なのかもしれません。
平和主義のお人好しという人柄に身を隠し、苦手な話し合いを避けたいというのが本音なのかもしれませんね。
お人好しな人が何故嫌われることがあるのか。
それはこれまでにも見てきた特徴と併せて、苦手なことを避けることにも表れていると思います。
人は、苦手を克服して成長していけるものです。
もちろん、苦手の克服の道は困難。
誰だって避けたいものです。
それでもいつかやらなければならない時がくるものですよね。
でも、お人好しの人はそれを、平和主義や人の良さという、誰もが口を出せない素晴らしい人柄を盾にして逃げてしまう。
皮肉交じりに「お人好し」と言われてしまうということは、そんなズルさを見透かされているということです。
14.優しすぎる
お人好しな人といえば“優しすぎる”のも大きな特徴ですよね。
冷たい人よりは優しい人のほうが好かれるし、怒りっぽいより優しい人のほうがいいんかもしれません。