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配慮に欠ける人の10個の特徴と行動(続き5)

配慮の欠けている人というのは、人生の中で「今が一番大切なんだ!」と知っているかのような口をきいて後先を考えずに、今この瞬間を思いっきり生きようとしています。

しかし、それと同じように“今”をどのように生きるかによって、やってくる未来というのも変わってしまいます。

後先を考えないことは、未来を考えていない…要するになりゆき任せの未来がやってくることを承認しているのと同じことになります。

あなたは、後先を考えないようなことをしていませんか?

今がよければそれでいいなんて考えていませんか?

考えないから思ったことをしてしまう

自分のなりたい職業に就いている人、そして自分のしたいような人生を生きることができている人というのは、自分のほしい未来がやってくるように、その未来のために“そのための今”を生きています。

逆算的な未来方程式で未来を迎えているんですね。

しかし、配慮が欠けている人というのは、未来のことはあまり考えていないため、行き当たりばったりの人生を歩んでしまっています。

8.人のせいにする

配慮が欠けている人は、だれがどう見てもその人のせいで起きた問題であっても自分でも「自分がやってしまったことであり原因は自分自身だ」と分かっていたとしても、それを認めません。

それどころか人のせいにすることもあります。

必死にフォローしてくれている人がいても、その人の気持ちを裏切るかのようにその人のせいにしたりします。

もう少し配慮が欠けている人が未来のことを考えて、そのように行動していれば失敗することもなかったかもしれないのに、それを頑なに認めないのです。

しかし、周りの人は「あの人はまた人のせいにしている」という目で見ているのですが、配慮が欠けている人は自分は悪くないと思っているので、まさか周りからそのように思われていることにも気づきません。

自分は悪くないと言い張る

周りの人が正当性のある根拠や証拠を持ち出しても、絶対に認めません。

それは、配慮が欠けている人にとっては「自分のせいにならなかった」または「自分のせいにするなんてなんて悪党なやつらなんだ」なんて一安心しているかもしれません。

一見、配慮の欠けている人にとっては良いことのように思えますが、そこに反省する気持ちがないために結果的には成長する機会を逃すことになり、いつまでも同じように配慮の欠けた“周りのことを見ることができない自己中心的な性格”からは卒業することができないんです。

9.配慮しているつもりができていない

配慮が欠けている人でもたまには配慮を見せることがあります。

しかし、それは“打算的”で“計算的”で“自分の評価を気にしているもの”であるために、そのような配慮の気持ちを見せられた人は配慮されていると思わないんですね。

むしろ「これは利用されているのかもしれない」なんて思うことも。

相手のことを思って配慮しているつもりでも、そこに下心が見えてしまっては相手はそれを配慮として受け取ることができません。

周りから見ると配慮ができていない

では、どうして配慮しているつもりでも配慮できていないのでしょうか。

それは“相手の立場に立って考えることができているかどうか”にあります。

相手の立場を本当に考えることができていれば、自分の評価を気にすることもありませんし、計算的に配慮を示すこともありません。

真心がこもっていない、そして相手が求めていることを見極めることができていないので周りから見ると全く配慮のできていない“自分勝手な行動”になってしまいます。

10.軽い言動

配慮の欠けている人というのは、他人の気持ちをあまり考えません。

そのため、軽い気持ちで相手が傷つくようなことを話したり、そのような行動をとることがあります。

時には、コミュニケーションをとるうえでは軽い言動をすることによって、その場を盛り上げることもできますし、それによって“ノリの良い人”とみなされて人気者になることもあるでしょう。

しかし、そればっかり―それもすべきではない状況において―行うことによって、「周りの見えていない配慮ができない人」扱いされることになるのです。

言葉を選べない

軽い言動というといったいそれがどのようなものなのかを想像することができない人もいるでしょう。

「言葉」を選ぶことができないというとわかりやすいでしょうか。

「ありがとうございます」と敬語を使う相手であると誰もがわかっているところで「あざーっす」などのような言葉を使ってしまう…。

TPOをわきまえることができないことは、配慮ができていないとみなされます。

それこそ、配慮が欠けている人を卒業するためには“周りをしっかりとみる目”が必要になるということがわかるかと思います。