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自分の欠けている部分を補う7個のコツ(続き3)

同じように、自分の欠けている部分を補う方法を、自分の過去から探し出そうとしても、どこにも補う方法が見つけられないこともあります。

欠けている部分を補いたいと考えた時にこそ、過去ではなく新しいことに目を向けて、そこから補える部分があるかを学び、探し出そうとする姿勢が大切です。

常に新しいことを学ぶ姿勢を忘れなければ、徐々に自分の欠けている部分を補えるようになるかもしれません。

欠けている部分にばかり囚われて落ち込むのではなく、それを補うためにも前を向いて、常に新しい可能性を模索して、自ら解決策を探し出す気持ちを持つように心がけましょう。

欠けている部分が徐々に減っていく

常に新しいものに目を向けて行動していれば、今までの自分では考えられなかった思考を持つようになったり、できることが増えたりします。

するとこれまでの限界を超えて、新たな領域へと自分で進めるようになりますので、欠けていると感じていた部分に対しても、その部分を埋められるようになっていきます。

自分がどんどん新しいことをすればするほど、欠けている部分も徐々に減っていき、最後には欠けている部分のない自分になれるかもしれません。

もしくは、例え欠けている部分があったとしても、「それも含めて自分なんだ」と受け入れられるようになるかもしれません。

新しいことを学べば、その都度これまでにはなかった発見や経験を得られます。

前向きに行動し続けていれば、自然とこれまで欠けていた部分も、自分が意図せずして埋められるようになるかもしれませんね。

毎日小さな目標を設定し、クリアしていく

自分の欠けていると思う部分を補いたければ、毎日小さな目標を設定して、コツコツとクリアしていくのがおすすめです。

例えば人の目を見て話をすることができないことが欠点だという人では、毎日ほんの数秒程度でもいいので、会話の際に相手の目を見ることを目標にして、クリアを目指しましょう。

最初はたった2秒しか相手の目を見て話せなかったとしても、それを毎日続けていれば、次第に5秒、10秒と目を見る時間を伸ばしていくことができるようになります。

「今日は何秒目を見るぞ」と目標を立てて、それをクリアしていくことを毎日続ければ、次第に相手の目を見てしっかりと会話ができるようになっていきます。

いきなり大きな目標をクリアするのは誰でも難しいので、まずは小さな目標を立てて、そこから地道にクリアして次第に大きな目標へと近づいていきましょう。

それができるようになれば、自分の欠けている部分もいずれは補えるようになっていきます。

自分に自信が積み上がっていく

どんなに小さな目標でも、毎日それを確実にクリアしていくことで自分の中に自信が積みあがっていきます。

自信は積み重ねれば積み重ねるほど、一つひとつはたいしたことでなくとも、いざという時には「自分はあれだけのことをクリアしてきた」という自負に繋がります。

何かを行動しようとする時に、躊躇いや不安をかき消すのはいつだって自分が積み重ねてきた自信です。

そのため、小さなことでも毎日目標を立てて、確実にそれをクリアすることを目指しましょう。

誰に褒められなくても、自分でクリアできた時にはそれが必ず自分の自信になることでしょう。

自分に欠けている部分があると自覚している人は多い

余程の自信家でもない限りは、自分に長所と短所の両方があることを自覚している人が多いです。

また、自他共に悪い部分は特に目に付きやすいため、自己PRなどの際にも、自分の長所よりもまずは短所の方が思い浮かぶことが多い、という人も少なくはないでしょう。

短所は言い換えれば長所にもなりますが、それでも自分にとっては欠点、すなわち自分に欠けている部分に思えてしまいますよね。

どんなものが欠けているのかは人それぞれですが、世の中の大抵の人は、自分に何かしらの欠けている部分があることを自覚しています。

それを補おうとしてせっせと努力する人もいれば、頭では分かっていてもなかなか行動に移せないという人もいるでしょう。

もしくは、欠けている部分は欠けている部分として、それも自分の個性の一つだと認めて受け入れている人もいるかもしれません。

または、「欠点はどうしようもない」と諦めてさじを投げてしまっている人もいるかもしれませんね。

自分の欠けている部分との付き合い方も人それぞれですが、なるべくならばネガティブになり過ぎず、上手に補っていきたいと思う人は多いでしょう。

完璧な人間なんていない

世の中に完璧な人間など、ほぼいないと言ってもいいでしょう。

一見周りから見た時には完璧に思える人でも、心中は穏やかでなかったり、実は裏の顔を持っていたりすることもあります。

誰にでも優しいかと思えば、実は自分が嫌われたくなくて必死なだけだという人もいますし、スポーツが万能でも、勉強は苦手だという人もいるでしょう。

自分から見れば完璧に思える人であっても、その人自身にとっては、自分に欠けている部分があると考えていることは非常に多いです。

特に人間の場合には、感情や理性など、さまざまなことを頭で考えながら行動していますので、何もかもが機械のように完璧な人間などいません。

それでも時折「あの人は完璧だ」という意見が生まれるのは、そう評価している人にとって、対象となる人物が自分の完璧の理想像に当てはまっているからでしょう。