実際に当人がどう思っているのかまで含めたら、自他共に完璧な人間など、世の中には存在しないのかもしれませんね。
完璧じゃないからこそ人間味がある
完璧な存在と聞いて直ぐに思い浮かんでくるのは機械でしょう。
機械は人間のようにあれこれと感情的に考えることはありませんし、インプットされたマニュアル通りに動きますので、ある意味完璧な存在と言えます。
けれどその機械でさえ、時にはバグを起こしたり、故障してしまったりしますよね。
人間の場合には、そんな機械のような完璧さを持っているとしたら、そこには何の人間らしさも感じられなくなってしまうでしょう。
不完全で、時に失敗や間違いを犯し、感情的になることもある人間だからこそ人間味があり、私たちが親近感や共感を覚えやすくなるのです。
そう考えれば、欠点や欠けている部分があるとしても、必ずしもそれが悪いものだとは思えなくなるでしょう。
もちろん欠けている部分は補うに越したことはありませんが、欠けている部分があるからと言って、その人が人間的に劣っているだとか、悪いものだと決めつけることはできないでしょう。
欠けていると思いがちな事柄とは?
どんな部分が欠けていると思えるのかは人それぞれです。
身長が低いことを欠点だと思っている人もいれば、人前で話すのが苦手なことが欠点だと感じている人もいます。
自分にとってはたいしたことでなくても、それが他人にとっては致命的に「欠けている」と思えてしまう部分もありますので、一概に何が欠けているのかと決定することは難しいです。
けれど一般的に欠けていると思われることの多い事柄はあります。
どんな事柄について、「欠けている」と思われやすいのか具体例を以下に挙げていきます。
容姿
生まれ持った容姿は、メイクで変身したり、整形したりしなければ変えることはできません。
目の大きさや鼻の高さなどは、お金を貯めれば整形することも可能ですが、身長を伸ばしたり、頭の形まで変えたりすることはできませんよね。
容姿に関しては、弄れる部分もあれば、そうでない部分もあります。
また、メイクや整形でどうにもならない部分に関して、悩みを抱く人はそれを「欠けている」「劣っている」と思ってしまいがちです。
自分では変えられない容姿でコンプレックスを抱いてしまう人は、自分の容姿への見方や考え方を変えない限り、いつまでも自分の容姿を欠けていると悩んでしまうでしょう。
誰かが自分の欠けていると感じる部分を認めてくれたり、もしくは自分自身で認めてあげることができれば、欠けている部分を補うこともできます。
それをするかしないかは人によって差がありますので、前向きな人や積極性のある人ほど、容姿に関する「欠けている」部分を補うこともできるでしょう。
経済力
経済力も、容姿と同様に人によってさまざまです。
ものすごくイケメンでも、経済力に恵まれなければその日暮らしをすることになるでしょう。
一方で、お世辞にも格好いいとは言えない容姿の人でも、経済力があれば高級マンションの最上階に住むことだってできます。
経済力は、どんな職種に就き、どんな仕事をするかによって大きく差が生まれます。
「こんなうだつの上がらない仕事は嫌だ」と感じていても、一流企業に勤めるだけの能力が自分になければ、どんなに必死で働いても楽な生活を送ることはできません。
反対に、仕事における能力がある人ほど、そう苦労せずして高収入を得ることも可能です。
働いてお金を稼ぐからには、誰だってたくさん収入は欲しいですし、良い仕事に就けばそれが自分のステイタスにもなるでしょう。
経済力の部分で自分が「欠けている」と思う人は、恐らく今の経済状況に不満があり、もっとたくさんの収入を望んでいるのでしょう。
仕事の能力
仕事の出来不出来、能力差は集団社会の中にいれば必ず生まれるものです。
個人が集団の中でどの程度仕事の能力があるのかを、売上げなどの数値として明確に示している会社もあれば、そうでない会社もあります。
数値にしない会社の場合でも、「あの人はあの程度の仕事もできない」とか、「あの人なら安心して仕事を任せられる」など、同僚や上司からの評判によって、何となく組織の中で能力差が生まれることも多いでしょう。
少なくとも、仕事の能力があると周囲から評価されている人は、「まだまだ物足りない」とは感じても、能力が欠けていると感じることはあまりないでしょう。
一方で、頑張っているのに周囲から評価されない人や、自分で「仕事ができない」と自覚している人では、仕事の能力の部分において、欠けていると感じることがあるでしょう。
忍耐力
何かをしていても、すぐに飽きてしまう人や、我慢ができない人は、そんな自分のことを「忍耐力が欠けている」と自覚していることが多いです。