“懐疑心”(かいぎしん)には、疑う、不安という意味があります。
懐疑心は、閉塞感に包まれた今の日本の姿を象徴する言葉とも言えます。
職場や学校で日常化しているイジメの多さは、日常生活の中に“懐疑心”が蔓延していることを物語っています。
今の時代、自分の身近に信頼できる人が居ない状況も、当たり前になっています。
また、安心して相談できる人が居ない生活が日常化しています。
このような、今の日本の姿を象徴する言葉が“懐疑心”です。
懐疑心は、多様な価値観を認めずに、狭い固定観念に縛られた生活環境の中から生まれてきます。
人々は職場でも学校でも、“浮いた存在”にならないように、周りの視線に全神経を注いでいます。
日々の生活の中で、自分自身を周りの人と比較をして、周りに合わせることに疲れ果てている人が増えています。
職場や学校で過ごす生活が息苦しいものになっているのです。
様々な考えや色々な人柄を認めようとせずに、閉塞感に陥っている多くの人々の心は、“懐疑心”に包まれています。
懐疑心を克服するためには、自分自身の可能性を信じて、周りとは比較をせずに、自分の個性を育てていくことが大切です。
自分の個性を大切に育て続けていくと、思いがけないキッカケで、信じ合える存在との出会いにより、懐疑心を払拭することが出来ます。
懐疑心とは
「懐」の意味は“ふところ”です。
“ふところ”とは、“心の内”、“思う”を意味します。
「疑」は、文字通り、“疑う”、“信用しない”を意味します。
懐疑心は、相手を疑う心、相手に不信を抱く心を意味します。
人間関係が希薄になる原因の1つに、懐疑心があります。
今の日本では、職場や学校の中で、“懐疑心”を抱いていて、心を開かずに“固く”なっている人も多いです。
職場や学校で、周りの人を信用できずに、安心して心を許せない環境で時間を過ごす人が増えています。
職場で働く人も、学校で学ぶ生徒も、懐疑心で心が疲れ果てているケースが少なくありません。
懐疑心に包まれた人が増えています。
しかし、“懐疑心”とは縁のない、安心に包まれた心で日常生活を送ることが、望ましい姿と言えます。
「猜疑心」との違いは?
「猜疑心」(さいぎしん)とは、“他の人の言動を疑う心”という意味があります。
相手の人が、“自分とって不利な言動をするのでは”、と信用できずに、ねたみ疑う心を指します。
一方、「懐疑心」(かいぎしん)には、疑う、不安という意味があります。
相手をいつまでも疑い続ける不安な心を指します。
懐疑心が強い人の特徴まとめ
懐疑心が強い人は、自分の身近に信頼できる人が居ないケースが多いです。
また、安心して会話や相談ができる人が居ないことが多いと言えます。
懐疑心をもつようになった原因には、色々なケースがあります。
心を許していた身近な人に裏切られた経験をもつ人もいます。
また、イジメを受けて、心に大きな傷を負ってしまった人もいます。
懐疑心が強い人の特徴は、“辛い”体験のため、心に深い傷を負ってしまい、人を信じることが出来なくなっている点が挙げられます。
1.自己中心的な側面がある
懐疑心が強い人は、他の人を信じて心を許すことができません。
ですから、「信じられるのは自分だけ」という考えになっている可能性があります。