「一心不乱」という言葉は日常においてしばしば見たり聞いたりする言葉だと思います。
ただ、言葉の意味をどこまで理解して使っているかどうかは定かではありません。
今回は「一心不乱」についてしっかり学習していきましょう。
「一心不乱」の意味や使い方を学ぼう!
「一心不乱」とはどういった意味があって、どのような使い方をすれば正しい使い方になるのか。
じっくりとみていきましょう。
四字熟語である「一心不乱」
「一心不乱」は四字熟語の一つです。
多くの人が四字熟語として理解し、身に付けて使用している言葉ですので、それにならって覚えていきましょう。
「一心不乱」の読み方
「一心不乱」は「いっしんふらん」と読みます。
特別難しい読み方ではありません。
「一心不乱」の意味
「一心不乱」の意味とは、「何か一つのことに心を集中して、他のことに心を奪われないさま。一つのことに熱中して、他のものに注意をそらさないさま。」となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%80%E5%BF%83%E4%B8%8D%E4%B9%B1/より引用
では、さらにその意味について突き詰めていきましょう。
他のことに心を乱されずに1つのことに心を集中させて打ち込むこと
「一心不乱」とは、自分が今、行っていることに対して他からのいかなる妨害も気にならず、脇目もふらず達成に向かって作業に没頭しているさま、ということになります。
つまり、集中しているのです。
それも並大抵の集中力ではありません。
例えば、テレビの音や家族の人が声をかけてきても聞こえないくらい、集中しているのです。
「一心不乱」とは、それくらい強い集中力を発揮している状態、といえるのです。
「一心不乱」の使い方
それでは「一心不乱」の使い方を紹介していきましょう。
他人の様子を表すときに使う
「一心不乱」は他人の様子を表す時に使います。
ということは、一人称、二人称の区別なく用いられる言葉である、ということになりますね。
よって、自分以外の第三者の様子を表現する際に、遠慮なく使うことができる、というわけです。
自分の状態を表すときに使う
「一心不乱」は自分自身の状態を表すときにも使えます。
これは先ほどの一人称、二人称の区別がない、という部分に準拠してきます。
自身の行いを「一心不乱」と言い切るくらいですからよほどの集中力を発揮したのでしょう。
自画自賛するくらいの一種の「褒め言葉」とも言えますね。
作文などの文章に用いる
作文などの文章を書く時にも「一心不乱」はよく使います。
今や定番的な四字熟語となって定着しています。
人が何かを一生懸命、打ち込んでいるさまを一言で言い表せることができるのですから、重宝されるのも頷けますよね。
生き物の行動に対して使う
「一心不乱」は生き物全般に対しても使えます。
「ネコが一心不乱に遊んでいる」「小鳥が一心不乱に餌をついばんでいる」などです。
「一心不乱」は人間にも動物にも使える便利な言葉なのです。
「一心不乱」の例文
それではここからは「一心不乱」を使った例文を紹介していきましょう。
彼は一心不乱にその本を読み続けた
この本を読んでいる彼は、よほどその本の中身が気に入ったのでしょう。
一心不乱に読み続けられるのは、本の内容が彼の興味・関心にぴったり一致した証拠です。
本を集中して読み続けられることは、その人に向学心がある証明になりますね。
その悔しさを胸に一心不乱にバットを振り続けた
「一心不乱にバットを振り続けた」。
恐らくそのままにしておけば1時間でも2時間でも彼はバットを振り続けるでしょう。
それくらい悔しい気持ちが彼の胸中にあるということです。
人は一心不乱状態に陥れば、今行っていることを際限もなく継続します。
バットを振り続けるのは、恐らくチャンスで凡退したか三振に打ち取られたからでしょう。
バッターとしてこれほど悔しい気持ちはないはずです。
だから、次の試合では絶対に打つぞ!という気持ちの表れが一心不乱となってバットを振り続ける、という行動になっているのです。
一心不乱に研究に力を注いだ学生生活だった
この例文の主人公の学生時代は、研究に明け暮れた時代だったのでしょう。
それこそ寝る間も惜しんで研究室に入り浸っていたのが容易に想像できますね。
研究というものは、やればやるほど時間の経過が早いはず。
一心不乱に力を注ぎ込むのに何の疑問も持たずに済む学生時代だったのですね。
なにか一心不乱になれる趣味を見つけたい
この例文の主人公は、趣味が欲しいようです。
それも打ち込みはじめたら、三度のご飯も忘れてしまうくらい没頭できるものを。
趣味は人間の心を豊かにしてくれます。
人のために役立つものならなおさらでしょう。
一心不乱に打ち込めるのも、趣味が持つ魅力でしょう。
一心不乱に努力できることは1つの才能だ
「一心不乱に打ち込める」。
こんな素晴らしいことはないでしょう。
確かにそのようにやれるということは、一つの才能なのかも分かりません。
しかし、それが簡単にみつからないのも現実です。
才能の開花は一筋縄ではいかないということでしょう。
「一心不乱」の語源
それでは今度は「一心不乱」の語源についてみていきたいと思います。
もともとは仏教の言葉
「一心不乱」という言葉。
元々の語源をたどっていくと、どうやら仏教用語である可能性が高いようです。
言葉自体を分解して調べてみますと、
「一心」とは、
1.多くの人々が心を一つにすること。同心。
2.心を一つの事に集中すること。また、その心。専念。「会いたい一心で探し続ける」
3.仏語。㋐あらゆる現象の根源にある心。㋑浄土真宗で、真実の信心。
となっています。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%80%E5%BF%83/より引用
また「不乱」とは、乱れないこと。また、乱さないこと。となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%8D%E4%B9%B1/より引用
両者を総合して考えますに、「心を一つにすれば心、乱れることなし」といった解釈が成り立ちそうです。
仏教の経典「阿弥陀経」
しかるところ、「一心不乱」とは仏教の経典である「阿弥陀経」の中に登場したことが語源となっているという説が一般的なようです。
「一心」自体の意味として仏教用語の「あらゆる現象の根源にある心」という説明もありますので、どうやら語源的には仏教用語という線で落ち着きそうですね。
「一心不乱」の類語
それではここからは「一心不乱」の類語についてみていきましょう。
一生懸命
「一生懸命」とは、「命をかけて物事にあたるさま。本気で物事に打ち込むさま。」となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%80%E7%94%9F%E6%87%B8%E5%91%BD/より引用
つまり本気で物事に打ち込めば、自然と心は一心不乱になる、ということです。
どちらも一蓮托生の関係にある言葉といえるでしょう。
一意専心
「一意専心」とは、「他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中すること。」となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%80%E6%84%8F%E5%B0%82%E5%BF%83/より引用
ひたすら一つの事に心を集中させれば、おのずと一心不乱の状態になるということです。
ということでこの両者も全く同じ意味合いを持った言葉といえます。
揺るがない類語関係といえるでしょう。
無我夢中
「無我夢中」とは、「ある事にすっかり心を奪われて、我を忘れてしまうさま。」という意味になります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%84%A1%E6%88%91%E5%A4%A2%E4%B8%AD/より引用
意味合い的にはほとんど「一心不乱」となんら変わらない言葉であることが分かります。
また、「無我夢中」も語源的には仏教用語であった部分も類語以上に共通項のある言葉といえるでしょう。
無心で
「無心」とは、「無邪気であること。また、そのさま。」となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%84%A1%E5%BF%83/より引用
「無心」にはまだそれ以外にも意味はたくさんありますが、何かに気持ちを取られて心が他のことに影響されていない状態を表す意味で、この部分が類語となります。
熱心に
「熱心」とは、「ある物事に深く心を打ち込むこと。また、そのさま。」となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%86%B1%E5%BF%83/より引用
「深く心を打ち込むさま」は、まさしく「一心不乱」と同じです。
よって「熱心」は疑うところのない類語として認識できます。
専念する
「専念」とは、「一つのことに心を集中すること。そのことだけに熱心になること。専心。」という意味になります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B0%82%E5%BF%B5/より引用
そのことだけに熱心になるということですから、一心不乱の状態と何ら変わりません。
両者とも、類語として扱ってもらって異存はないでしょう。
傾注する
「傾注」とは、「精神や力を一つの事に集中すること。」となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%82%BE%E6%B3%A8/より引用
精神や力を一つの事に集中させれば、一心不乱の状態と同じになるでしょう。
「一心不乱」も「何か一つのことに心を集中して、他のことに心を奪われない」状態になっています。
ということで、どちらの言葉も類語として扱われるのです。
夢中になる
「夢中」とは、「物事に熱中して我を忘れること。また、そのさま。」となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%A2%E4%B8%AD/より引用
一心不乱も、「何か一つのことに心を集中して、他のことに心を奪われない」状況になっています。
ということは「夢中」になっているということです。
よって、この2つの言葉も明らかに類語としてみなしてよろしいでしょう。
集中する
「集中」とは、「1か所に集めること。また、集まること。」となります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%9B%86%E4%B8%AD/より引用
まさしく「一心不乱」が気持ちを集中させないと起こらない理由を、この言葉が説明してくれています。
心をある1点にだけ集めているから、何時間でも同じ事を継続させることができるのです。
集中力というものを発揮している状態が「一心不乱」ということになります。
脇目も振らず
「脇目も振らず」とは、「その方ばかりを見て。心を散らさず一心に。」という意味になります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%84%87%E7%9B%AE%E3%82%82%E6%8C%AF%E3%82%89%E3%81%9A/より引用
「一心不乱」の状態も「脇目も振らず」の状態になっているはずです。
「一心に」という共通項がありますので、疑いようもない類語として扱えます。
取り憑かれたように
「取り憑かれたように」とは、「妄想・固定観念などが頭から離れず、それに操られる。」となります。
https://www.weblio.jp/content/%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%86%91%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%8Bより引用
つまり、心を1点に集中させると、何かに憑りつかれたかのように他の事に意識がいかなくなってしまう状態を表しています。
表現の仕方は少々オカルトっぽいですが、大義的な意味合いでは類語として成り立ちます。
「一心不乱」の意味や使い方、分かりましたか?
今回は「一心不乱」についてみてまいりました。
意味や使い方正しく理解できれば、日常会話の中で使用する頻度が非常に高い言葉だということが分かるはずです。
ご自身も、何かに熱中して「一心不乱」にやり続けた経験があるのではないですか?