「一心不乱」は生き物全般に対しても使えます。
「ネコが一心不乱に遊んでいる」「小鳥が一心不乱に餌をついばんでいる」などです。
「一心不乱」は人間にも動物にも使える便利な言葉なのです。
「一心不乱」の例文
それではここからは「一心不乱」を使った例文を紹介していきましょう。
彼は一心不乱にその本を読み続けた
この本を読んでいる彼は、よほどその本の中身が気に入ったのでしょう。
一心不乱に読み続けられるのは、本の内容が彼の興味・関心にぴったり一致した証拠です。
本を集中して読み続けられることは、その人に向学心がある証明になりますね。
その悔しさを胸に一心不乱にバットを振り続けた
「一心不乱にバットを振り続けた」。
恐らくそのままにしておけば1時間でも2時間でも彼はバットを振り続けるでしょう。
それくらい悔しい気持ちが彼の胸中にあるということです。
人は一心不乱状態に陥れば、今行っていることを際限もなく継続します。
バットを振り続けるのは、恐らくチャンスで凡退したか三振に打ち取られたからでしょう。
バッターとしてこれほど悔しい気持ちはないはずです。
だから、次の試合では絶対に打つぞ!という気持ちの表れが一心不乱となってバットを振り続ける、という行動になっているのです。
一心不乱に研究に力を注いだ学生生活だった
この例文の主人公の学生時代は、研究に明け暮れた時代だったのでしょう。
それこそ寝る間も惜しんで研究室に入り浸っていたのが容易に想像できますね。
研究というものは、やればやるほど時間の経過が早いはず。
一心不乱に力を注ぎ込むのに何の疑問も持たずに済む学生時代だったのですね。
なにか一心不乱になれる趣味を見つけたい
この例文の主人公は、趣味が欲しいようです。
それも打ち込みはじめたら、三度のご飯も忘れてしまうくらい没頭できるものを。
趣味は人間の心を豊かにしてくれます。
人のために役立つものならなおさらでしょう。
一心不乱に打ち込めるのも、趣味が持つ魅力でしょう。
一心不乱に努力できることは1つの才能だ
「一心不乱に打ち込める」。
こんな素晴らしいことはないでしょう。
確かにそのようにやれるということは、一つの才能なのかも分かりません。
しかし、それが簡単にみつからないのも現実です。
才能の開花は一筋縄ではいかないということでしょう。
「一心不乱」の語源
それでは今度は「一心不乱」の語源についてみていきたいと思います。
もともとは仏教の言葉
「一心不乱」という言葉。
元々の語源をたどっていくと、どうやら仏教用語である可能性が高いようです。
言葉自体を分解して調べてみますと、