サーブを相手コートにしっかり打ち込むことができなかったから何度も練習を重ねてついにはほぼミスすることなくサーブを打てるようになった。
こういった事例が「体得」となるのです。
ただ行っただけでは「体得」とは言いませんからね。
学んで物事をしっかり理解したとき
学ぶことによってそのものごとの神髄をしっかり理解できたときにも「体得」という表現を使います。
何かを学ぶということは身体を通して学ぶ、ということにも通じます。
例えば掃除の仕方です。
床のモップ掛けにしても実際に自分でやってみないことには上手になれません。
もちろん、人のやる動作を見て頭で理解する行為も必要になります。
学ぶということは見たり聞いたりやってみたり、を繰り返すことによって自分のものにしていくトータルした姿勢です。
これらを全てやり切ってはじめて「体得した」といえるのです。
初めてそのスキルを身につけたとき
体得には「初めて」という意味も込められます。
つまり1度体得した技術や技を改めて会得したとしてもそれは「体得」とは表現しないことになります。
何事にもつけ、「初めて」得たスキルや技術、能力が対象となります。
この辺りもよく理解しておきましょう。
文章中では名詞として使用
「体得」は文章中では「名詞」として扱われます。
よってただ「体得」とだけ書かれている文章では意味を成さない文章ということになります。
「体得」+〇〇の形が多い
一般的に「体得」を会話や文章中で意味を成り立たせるときには「体得」のあとに「する」や「した」などの言葉を添えます。
こうすることによって「体得」という言葉の意味が成立するのです。
「体得する」
「体得する」という表現は多くの媒体で耳にすることでしょう。
「する」は自らの意志で何かを得ようとしたり行おうという行為を表す言葉です。
「体得する」は何かの物事をこれから始めて自分の意志により身に付けようという行動予定を表現した言い方になるのです。
「体得した」
「体得した」という表現は、行動を起こした結果、何かの特技や技、技術などを習得した、という解釈になります。
「した」は過去形になります。
きっと多くの時間を費やして必死の思いで体得したのでしょう。
「体得して」
「体得して」はその後に「〇〇を行う」、「〇〇をやりたい」といった使い方になります。
何かを接続する役割を果たす使い方になるのです。
「体得させる」
「体得させる」は第三者が指示や命令を下して体得を目指している人にその成果を出すための経験を積ませる事を指して言います。
つまり何かをやらせる、という事ですね。
親や師匠が子供や弟子に何かをやらせる、といった解釈になります。
「体得」と「習得」の違い
それでは次にまいります。
今度は「体得」と「習得」の違いについてみていきましょう。