「習得」の意味
「習得」とは、学問や技術、習い事などを習って覚える、という意味になります。
つまり誰かから教えを受けてそれを自分の身に付ける、という解釈になるわけです。
「体得」の意味との差
「体得」と「習得」の違いを簡単に表すと、「体得」は経験です。
「習得」は習うということになるでしょう。
「体得」は頭で勉強して知識を増やすという部分よりも実体験を通して頭だけでは理解しきれない専門的な技術やスキル・コツといった領域を表します。
一方の「習得」は、人から習うことにより知識量やノウハウ、マニュアルなどに精通していく様をいいます。
資格の勉強や塾の習い事など、あまり体を使わなくてもいいものを指していうのですね。
「体得」の例文
それでは次に「体得」を使った例文をいくつかみていきましょう。
高いPCスキルを体得するためにスクールに通う
PCスキルというものは教えてもらったり本で読んで頭で理解することも勿論、重要です。
しかし、実際に自分の指でPCを操作しながら作業を行わないことにはPCスキルは身に付きません。
ましてや高い次元のPCスキルともなれば実体験を行わないことにはいつまでたっても上達しません。
よってPCスキルというものは「習得」というよりも「体得」と表現したほうがピッタリ当てはまるでしょう。
学生時代のアメリカ留学で英語を体得した
語学は勿論、学問の一つです。
文法や単語などは座学によって勉強するものでしょう。
ところがこれだけでは会話はできません。
英会話というものは単語やボキャブラリーが必要なことは勿論ですがヒアリング、発音、抑揚、表情といったものがミックスされてはじめて成り立つようになります。
つまりコミュニケーションとして活用できるかどうか、という部分が求められるのです。
語学としての英語は資格で2級や1級を目指して勉強できるでしょう。
しかし、それだけでは英会話としての実力は備わりません。
英会話を不自由なくでききるようになるには実体験を通して人と会話をするよりないのです。
留学して英語を体得した、という意味の本意。
おわかりいただけましたでしょうか。
その技術を体得するには長い年月がかかる
技術というものは本で読んだり人から教わって身に付くものではありません。
自分の手を動かして感覚、つまり「勘」という言葉では表現しきれないものを身に付けることによって上達していくのです。
例えば野球におけるバッターの内角打ち。
例えが少々、マニアックですが内角というのはどんなバッターにとっても苦手コースです。
下手に打ちにいくとデッドボールになるときもありますし、まともに打っても多くの場合、内野ゴロが関の山です。
とにかくヒットになりにくいコースなのです。
内角打ちはいくら理論や知識を頭に叩き込んでもダメです。
実際に打席に立って自分の目で見てバットを振って当てなければ始まらないからです。
このように一つの技術を体得しようと思ったら、長い年月がかかるのも致し方ないのです。
多くの人と話せば様々な価値観を体得できる
価値観というものは実際に多くの相手と話し合うことによって初めて分かったり理解することができるものなのです。
本を読んだだけでは多くの価値観は蓄積できません。