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「オーソドックス」の意味とは?使い...(続き3)

その文章がいかにして読み手のニーズをつかんでいるか。

そして興味・関心を引かせ続ける工夫を凝らしているか。

面白い文章、興味を引く文章には読み手の興味・関心を捉えてはずさない工夫が施されているのです。

それを行っていない文章を「オーソドックス」という言葉で置き換えて批判されてしまっている、という事になるのです。

流行に左右されないオーソドックスなファッションが好きです

ファッションというものは絶えず最新の流行がついて回ります。

1年経てばあっという間に新しい新商品が市場を賑わすのです。

しかしながらずっと何年も同じ服装を貫く人もいます。

勿論、服自体が傷んだりしたら買い替えますが基本的な着こなしは同じです。

そしてそれも一つのファッションといえるのです。

このようにファッションは流行に過敏である面とそうでない面とを持ちあわせています。

流行に振り回されず自分が着たいと思うものを着る。

これがファッションにおけるオーソドックスさといえるのでしょう。

「オーソドックス」の類語


それではここからは「オーソドックス」の類語をみていきましょう。

正当な

「正当な」とは、道理や法規にかなった正しいことやその様、を表します。

つまり何らかの決まりやルールがあってそれに習った行動や規範を行っていることを指していいます。

人々が世の中を渡ってゆくためにはこの「正当さ」というものを身につけて行動することが求められるというわけです。

つまりは言い方を変えれば「オーソドックス」な生き方、ということになるでしょう。

正統な

「正当な」の意味は、正しい系統や血筋・嫡流を受け継いでいるものをいいます。

さらにその時代において社会で最も妥当とされる立場や思想も「正統」という意味で解釈されます。

「正統」には証明されるようなルールや決まりが文書化はされていません。

広く大衆やその事柄に関係する人たちから認められていることが肝心なのです。

主流な

「主流」とはいくつもの分派がある中で最も世の中に受け入れられている一派をさしていいます。

分かりやすいのは本家と分家という言い方でしょうか。

ただ、主流となるためには世の中からの指示を一心に受けなければなりません。

つまりいくらかつては主流の立場があったとしても時代の変遷とともに分家に追いつかれてついには抜かれてしまって反主流になってしまうこともあり得るのです。

本流な

「本流」とはいくつかある分派の中でもっとも王道的存在である一派をさしていいます。

川の流れに例えればわかりやすいでしょうか。

川の本流は大きく太いのが一般的ですね。

これを人間の世界に当てはめれば最も力と権を備えた一派ということになるでしょう。

ただ「主流」と同じく自己研鑽を怠っていると支流派にその立場を逆転されてしまう可能性をはらんでいることを忘れてはならないでしょう。

王道な

「王道」とはものごとが進むべき正統な道、ということになります。

つまり世間一般からの常識から離れておらず人の道をそれていない行為、ということになるでしょう。

王道を貫くためには間違った方法や社会規範に逸した行為を一切、排除し世の中の利益のために貢献する姿勢が求められます。