先のことが全く読めないとき
これから先に起こる展望や展開が全く読めない状況の時にも「神のみぞ知る」という言葉は使われます。
例えば野球の試合。
ツーアウト、満塁。カウント3ボール2ストライク。
この1球で勝負の行方は決着します。
果たしてどちらのチームが勝つのか、どんな展開が待ち受けているのか誰にも分かりません。
このような展開を読めない状況の時にこの言葉は効力を発揮するというわけなのです。
答えが出ないことに悩むとき
何かの出来事で答えを見つけられないときも「神のみぞ知る」という言葉が使われます。
例えば入試です。
合格か不合格か、その答えは分かりません。
結果発表の当日になるまで分かりません。
だからこそ、この言葉が生きてくるのです。
「神のみぞ知る」を使う場面
それではここからは「神のみぞ知る」という言葉を使う場面を紹介していきましょう。
自分では知り得ない答え
「神のみぞ知る」という言葉は「自分では知りえない答え」が求められる場面において使われることが多いです。
スポーツなど試合の結果
スポーツなどの試合の結果は誰にも分かりません。
スポーツは真剣勝負の醍醐味があるから面白いのです。
結果が最初から分かっていたら、それはスポーツとは言えません。
結果が分からないからこそ、人々はスポーツの醍醐味を味わえるのです。
就職試験での面接の結果
就職試験における面接の結果も最後まで分かりません。
1次、2次選考を通過してやっとたどり着いた面接試験。
いわゆる最終試験です。
この結果は最初から分かるはずがありません。
いわゆる「神のみぞ知る」という言葉が相応しい世界なのです。
計画が成功するかどうか
何かのイベントの計画が成功するかどうかについても誰も分かりません。
やってみなければ答えは出ません。
当然ながらその結果は「神のみぞ知る」、という世界になるのです。
ただ、その計画があまりにもずさんで、最初から成功する見込みのないようなものも時として存在します。
そのような時は参加者もある程度、結果を想定できるので誰も「神のみぞ知る」という心境にならないでしょう。
「神のみぞ知る」という心境になるときは真剣勝負の時だけなのです。
この恋愛がうまくいくか
恋愛というものの成り行きは当事者には勿論、周囲の者にも全く先行きが見通せません。
よって恋愛は「神のみぞ知る」という境地の権化ということになります。
恋愛には様々なアクションやイレギュラーな結果が待ち受けます。