いくら以前にエリートコースの組織に所属していても今の自分の持ち場が何をおいても絶対なのです。
そこで全力を賭けることが出来ないのならその人は淘汰されるだけなのです。
このあたりの理屈を踏まえて生きていくことが賢い生き方というわけなのですね。
自分の価値観と違っても集団に合った行動を取るべきだ
「郷に入れば郷に従え」という言葉の意味には「自分の価値観とその集団の価値観とが合わなかったとしても集団の価値観を優先させる」ということが鉄則となります。
価値観というものは自分そのものなのですが、それはあくまで自分の中だけにあるもの。
一旦、組織というところに所属したならばその組織や集団の価値観に合った行動を取らないとメンバーから総スカンを喰らうのは目に見えています。
価値観の優先順位。
これを気付けるかどうかが社会で生き延びる重要な要因となるでしょう。
「郷に入れば郷に従え」の意味まとめ
「郷に入れば郷に従え」の意味、お分かりいただけましたでしょうか。
「郷」イコール「組織」「集団」「ルール」「やり方」「価値観」ということになります。
つまり、人は社会に出れば何らかのチームや組織に所属します。
そこでのルールや人間関係の優先順位を間違えないようにすることが一人前の社会人であり、仕事が出来る人間として求めてもらえるかどうかの分岐点となるのです。
「郷に入れば郷に従え」は、人が世の中を上手に渡っていくための超有効なことわざといえるのです。
「郷に入れば郷に従え」の語源
では次に「郷に入れば郷に従え」の語源について簡単に触れておきましょう。
中国から入ってきたことわざ
「郷に入れば郷に従え」は古代中国より我が国に入ってきたことわざだと言われています。
出典はいくつかの説がある
「郷に入れば郷に従え」が使用されていた出典は鎌倉時代から明治時代中期まで日本の初等教育で用いられた「童子教」にておさめられた説が有力のようです。
また語源として遡れば、中国禅宗の歴史書「五灯会元」という書物の中に使われた「入郷随俗」という言葉がこの言葉の語源とみられているようですね。
「郷に入れば郷に従え」の使い方
それでは「郷に入れば郷に従え」の使い方をみていきましょう。
自分が指導をする立場のとき
使い方の1つ目にあげられるのは、「自分が指導をする立場になったとき」です。
指導者というものはその人が所属しているチームや組織の行き地引。
つまりルールや規則などを公平に体現できる人でないと務まらないでしょう。
指導者が自分勝手な振る舞いや独自のやり方に則った、やりたい放題のやり方をやっていたらその組織の「郷」は説得力も何もなくなってしまいます。
指導者自身がその「郷」を見事に体現してこそ、「郷に入れば郷に従え」という教えを自分自身が体現できるわけです。
自分が新人となる立場のとき
自分自身がその組織やチームなどで新人になったときは、有無を言わさずこの言葉の方針に従うべきです。
組織もチームも会社もそれぞれのルールや社風、文化というものを持っています。
その中に所属している人々はそういったものの中で互いの関係性をセーブ、調整して社会性を形成しているのです。
そんな中に例え新人とはいえ、やりたい放題の人間が一人入るだけで秩序は大きく乱れるでしょう。
秩序の乱れは職場の生産性を著しく悪化させる原因となります。
よって、新人は自身がこれから所属する組織に対しては「郷に入れば郷に従え」方針で臨むことが最も望ましいのです。
コミュニティの様子を表すとき
「コミュニティ」は何らかの共同体です。
地域的なものもあれば趣味で知り合ったコミュニティもあるでしょう。
そういったものの中では見事に「郷に入れば郷に従え」の精神がその全体層を表しています。
つまり、そうやっていかないとたちどころにつまはじきにされる可能性があるということです。
悪く言ってしまえば「ムラ社会」の発想。
自分たちの殻を作ってしまって新しい文化や改革的なものを排除してしまう考え方のことです。
ただ、そこでずっとやっていきたいと思うのなら余計な波風は立てない方が無難でしょう。
狭いコミュニティに慣れ親しんだ人間は、自分たち以外の価値観を認めたくなくなってしまう傾向があります。
いいか悪いかは別にして「コミュニティ」という空間の特異性はしっかり認識しておいたほうがいいでしょうね。
「郷に入れば郷に従え」の例文
それではここからは「郷に入れば郷に従え」の例文を紹介していきましょう。