この記事では「野次馬」という言葉について解説していきたいと思います。

言葉の意味や由来、実際に野次馬をやってしまう心理状態などについてみていきます。

この記事の目次

「野次馬」の意味などを解説!

「野次馬」の意味などについて解説していきましょう。

「野次馬」の意味


まずは「野次馬」の意味について説明していきます。

自分に無関係な事で面白半分に騒ぎ回ること

野次馬の意味を表す最も代表的なものがこれです。

「自分にとって全く無関係な物事に対して、面白半分に騒いで周囲を引っ掻き回す行為」です。

ここで重要なのは本人にとってその物事はどうでもいいという事です。

そのどうでもいい物事を面白おかしく大きく誇張させて自分の周りにいる人間に言いふらして、その人たちの反応をみて楽しむことが目的なのです。

「騒ぎまわる」という意味自体、あまりいい感じには受け取られません。

つまり騒ぎを起こして自分自身の欲求のはけ口にしている、という解釈が根底にあると考えていいでしょう。

関係ないことに興味本位で騒ぎ立てて見物をする人

「野次馬」の意味には「自分には関係ないことを興味本位に騒ぎ立てて、そのときの人々の反応や様子を見物している」という意味もあります。

例えば火事。

ひとたび火事が起こると大勢の野次馬が集まってきます。

火事が自分とは関係ない場所で起こっているから集まれるのです。

それを見に行かないと自分が損をして衝動にかられるからでしょうか。

必ず、火事が起こると大勢の人間が見物に現れます。

こういった行動形態は俗に「野次馬根性」と呼ばれたりもします。

人物評価の上ではあまりありがたくない評価となってしまいますね。

人の尻について回って騒ぎ立てる人の様子

こちらの意味は「野次馬根性」を一層、引き立たせた意味となります。

とにかく人の尻について回って、あることないこと、今見てきたことやそれに空想話しも加えて大騒ぎして周囲の動向を見て楽しむ、といったものです。

ここまでくると一種の「愉快犯」ともいえる性癖でしょう。

騒ぎ立てることによって自分自身の存在感、特別感をアピールしたい思惑があるのでしょうね。

老いた馬や気性の荒い馬のこと

「野次馬」の元々の意味となるのがこの「老いた馬や気性の荒い馬」のことを指しています。

つまり人間にとって使い物にならない馬のことをいっていたわけです。

それがいつしか対象が人間の方に行き、取り立てて褒めるべきところもない人物への「総称」のようなニュアンスになっていったようですね。

「野次馬」の読み方

それでは今度は「野次馬」の読み方についてです。

「野次馬」=「やじうま」

読み方は「やじうま」です。

「のじうま」でも「やつぎうま」でもありません。

正しい読み方をしっかり頭の中に叩き込みましょう。

「野次馬」の由来

今度は「野次馬」の由来について説明していきましょう。

老いた馬である「親父馬」

元々の由来は老いた馬を表す「親父馬」というところからきています。

「おやじ」の「やじ」の部分が「野次馬」と呼ばれるようになっていったことが有力な説として残っているようです。

使えない馬の親父馬と暴れ馬

「野次馬」の意味の由来は、使えない馬が元々の意味の起源です。

「親父馬」という言い方は「老いた馬」という意味になります。

馬も老いてしまうとさすがに人間の仕事の役には立たなくなってしまいます。

また「暴れ馬」も同様に人間の手には負えません。

このように人間の暮らしに役立つ活躍が出来なくなった馬を総称して「野次馬」と呼ぶようになった、ということになりますね。

何の役にも立たないから派生

そして「野次馬」という言葉はいつしか何の役にも立たない人間に対しても使われるようになっていきます。

役に立つ人は、人前で偉そうにしたり自身を誇示したり飾り立てたりはしません。

実直に仕事をこなす人間が尊ばれる中にあって、「野次馬」と呼称されるような人物は自分に無関係な出来事全般に対して必要以上に誇大宣伝したり人だかりに交じって高みの見物にはまったり、という行動を示します。

このような人物、世の中からみたら周囲にいるだけで有難迷惑。

ろくに仕事もできないくせに要求だけは一人前にしてくる。

まさに老いた馬のごとく「野次馬」並み、という評価を下されていたようです。

「野次馬」という言葉の由来は、何の役にも立たない、という部分がいつしか人に当てはめられてきたのが有力そうですね。

「やんちゃ」由来の説もあり

「野次馬」の由来には「やんちゃ馬」からきている、という説もあるようです。

ただ「やんちゃ」という行為は幼児や子供が主に行うもので大人が行うさまではありません。

能力があるのにわざと「やんちゃ」ぶるのは本来の「野次馬」の意味合いとは一線を画するというように判断されたのでしょう。

野次馬をしてしまう8個の心理


それではここからは「野次馬」をやってしまう真理を8個、ご紹介していきましょう。

心配な気持ちから

「野次馬」をしてしまう真理の1つ目は「心配」です。

例えば目の前で交通事故が起こってしまった。

ケガをした人はいないか。

高給処置が必要ではないのか。

自分にできることがあるのなら手助けしたい。

こういった「心配」な気持ちがあるからつい野次馬的にその現場を見に行ってしまうケースです。

人の痛みを自身に置き換えているからこそ、起こしてしまう行動パターンといえるでしょう。

そういった意味ではごく一般的な「野次馬根性」のものとは一線を画しているでしょうね。

興味でなんとなく

「野次馬」をしてしまう心理には「興味」というものを避けては通れません。

人間は様々なものに興味や関心を示します。

それは人間が持ち合わせている知的な欲求を達成させるために備わっているものであって特別、避難されたりするものではありません。

ただ、人の興味や関心というものは同一種のものにはあまり振り向かなくもなります。

例えばテレビの番組にしても毎回、同じテーマで同じような結末を迎える番組だと興味・関心の対象として区別されるということです。

ところが野次馬的行動に走る人たちは、この「興味」という欲求が旺盛なようです。

どんな些細な事柄にも首を突っ込みたくなるのです。

それを行うことによって自身の欲求願望を満たしているからでしょう。

確かに「興味」をもつことは様々な分野でその人の成長を促す元になります。

ただ、むやみやたらに首をつっこんで周囲を騒がせるような動機づくりに利用するような行為は避けてしかるべき、だと思いますが。

話のネタになる

野次馬をしてしまう真理には「話しのネタになるから」といった理由も多いでしょう。

確かに人は情報を欲します。

今まで聞いたこともないような話しや最新のニュースなどには飛びつきたくなる心理を持っています。

だからニュースという媒体が存在するのです。

野次馬をやってしまう心理を上手く逆手にとって職業に当てはめたのが新聞記者でしょう。

記者はあらゆる出来事に敏感に察知する能力があるようです。

そのためには興味や関心というものが常に備わっていないと出来ない仕事でしょう。

ネタを常に欲している記者には「野次馬」精神が欠かせないということになるのです。

怖いもの見たさ

「野次馬」をしてしまう真理にあげられる要因に「怖いもの見たさ」というものがあります。

人間は恐怖や怖いモノに対して極度の嫌悪感を持ちます。

それらのものは人間を心理的に追い詰めて情緒不安定にさせたり常に不安や怯えに苛まされることになるからです。

ところがそんな弱点があるにもかかわらず身の安全が確保されているという保証があると何故か人間は怖いものを見たがったり体験したがります。

遊園地での猛スピードの乗り物や急降下するアトラクションに乗りたがったりするのがいい例でしょう。

つまり人は安全とスリルという相反するものを欲しがっている、ということになるのです。

野次馬をやめられない理由。

分かるような気もしますね。

「同調行動」から

人には自分と違う何かに対して「同調する」という特性があるようです。

映画のワンシーンを見て悲しんだり、逆に喜んだり、といった行為です。

オリンピックのような国家同士のスポーツの祭典になると、それまであまりスポーツに興味のなかった人でも無意識に自国のチームを応援してしまいますよね。

それで勝利を掴むと我が事のように大喜びできます。

知らない人同士が握手をしたり中には抱き合ったりする行為がそれに当たります。

同調行為は野次馬精神があるからこそ、生まれるものなのでしょう。

誰かを助けたい

「野次馬」の心理には誰かを助けたい、という願望がこもっているケースもあります。

何かの騒ぎに首を突っ込んでお節介をやくということは、人並み以上に人間のことが好きであり困っている人がいたら放っておけない、という性分があるからでしょう。

このような特質を持つ人は、好奇心と正義感を常に持ち合わせ自身のアンテナを常に張り巡らせているのです。

世の中の事に無関心で関わりを持ちたくないと思う人とは正反対の性格といえるでしょう。

誰かを助けたいと思う気持ちは人間が本来、持っているはずのものです。

その心の表れが「野次馬」精神となって発動されるのでしょう。

好奇心が生まれる

「野次馬」を起こしてしまう心理に最も近いものとして「好奇心」をあげることは異論がないと思います。

例えば新聞記者。

彼らは好奇心の塊です。

世の中に起こること全てに好機の目が向けられています。

そしてそれらを「報道」という形にして世の全ての人に伝えようとするのが記者の役目です。

また何かの趣味に特化していけば人はおのずと「野次馬」精神が芽生えます。

趣味ではなくてもスポーツでも仕事でも構いません。

人は興味ある対象をもっと上手くなりたい、上達したいと思うからその対象となるものに接近し、極意を享受しようと思うのです。

「野次馬」という表現は一種、蔑まされる対象ともなり得ますが、そこに「好奇心」という万物創造のためのエネルギーがあるからこそ、私たち人間を豊かな生活に導いてくれたともいえるわけです。

SNSで発信したい

「野次馬」をやってしまう心理の一つには「SNS」の影響も今や大きいでしょう。

「SNS」は携帯やPCを使って誰でも手軽に簡単に行うことができます。

人が何らかのものをもって「つながりたい」という意識があるからこそ、この「SNS」が大きく世の中に定着したのでしょう。

そして「SNS」は形を変えた記者のような役割でもあります。

「SNS」を使って自然災害や交通事故などの現場風景を動画でアップする現象は珍しくなくなってしまいました。

これらは以前なら新聞記者たちの役割です。

それを一般人が代行して行うさまを見るにつけ、いかに人が何かを誰かに伝えたがっているのか、という深層心理を垣間見る思いになります。

「野次馬」という行為・行動には場合によっては批判の対象となる場合も多いですが、世の中のことを正しく知るためには「野次馬」という精神、やはりなくてはならないようですね。

野次馬の意味や心理が分かりましたか?

今回は「野次馬」について解説してまいりました。

「野次馬」の意味や心理が多少なりとも理解できれば幸いです。

「野次馬」という言葉からは人を蔑んだ意味合いが込められます。

基本的に人の好奇の目が向く対象はスキャンダルや事故。

災害の現場など少なからずそこに「不幸」が居合わせているシーンになるからです。

「不幸」なシーンや現場を見ることによって人は自身の身の安全や幸福感を増大させてしまうのは皮肉な結果です。

「知りたい」という心の欲求が高まりすぎると人間は常軌を逸した行動にも出てしまいます。

「野次馬」精神には自身の欲求を抑制する「倫理観」というものも備えていってほしいものですね。