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野次馬とはどういう意味?野次馬をし...(続き4)

そしてそれらを「報道」という形にして世の全ての人に伝えようとするのが記者の役目です。

また何かの趣味に特化していけば人はおのずと「野次馬」精神が芽生えます。

趣味ではなくてもスポーツでも仕事でも構いません。

人は興味ある対象をもっと上手くなりたい、上達したいと思うからその対象となるものに接近し、極意を享受しようと思うのです。

「野次馬」という表現は一種、蔑まされる対象ともなり得ますが、そこに「好奇心」という万物創造のためのエネルギーがあるからこそ、私たち人間を豊かな生活に導いてくれたともいえるわけです。

8.SNSで発信したい

「野次馬」をやってしまう心理の一つには「SNS」の影響も今や大きいでしょう。

「SNS」は携帯やPCを使って誰でも手軽に簡単に行うことができます。

人が何らかのものをもって「つながりたい」という意識があるからこそ、この「SNS」が大きく世の中に定着したのでしょう。

そして「SNS」は形を変えた記者のような役割でもあります。

「SNS」を使って自然災害や交通事故などの現場風景を動画でアップする現象は珍しくなくなってしまいました。

これらは以前なら新聞記者たちの役割です。

それを一般人が代行して行うさまを見るにつけ、いかに人が何かを誰かに伝えたがっているのか、という深層心理を垣間見る思いになります。

「野次馬」という行為・行動には場合によっては批判の対象となる場合も多いですが、世の中のことを正しく知るためには「野次馬」という精神、やはりなくてはならないようですね。

野次馬の意味や心理が分かりましたか?

今回は「野次馬」について解説してまいりました。

「野次馬」の意味や心理が多少なりとも理解できれば幸いです。

「野次馬」という言葉からは人を蔑んだ意味合いが込められます。

基本的に人の好奇の目が向く対象はスキャンダルや事故。

災害の現場など少なからずそこに「不幸」が居合わせているシーンになるからです。

「不幸」なシーンや現場を見ることによって人は自身の身の安全や幸福感を増大させてしまうのは皮肉な結果です。

「知りたい」という心の欲求が高まりすぎると人間は常軌を逸した行動にも出てしまいます。

「野次馬」精神には自身の欲求を抑制する「倫理観」というものも備えていってほしいものですね。