嘘をつくことに対して抵抗もないので、常識的な人から見れば不思議な光景に映るのかもしれません。
また、嘘をついて他人の反応を見たり、様子を見たりすることで話を盛ったり、面白おかしく話の内容変えることもしばしばあります。
しかし、それくらいならかわいい範囲の話なのですが、あることないことの嘘まで出せば、少々病的に感じる人も多いのではないでしょうか。
嘘は嘘でも、許せることと許せない嘘が存在します。
しかし、許されない嘘も平気でつきますので、そこが、姑息な人の怖いところです。
見苦しい
姑息な人は、そのように自分が嘘を平気で付いていたり、他人をおとしめていたりしていても、他人が全く気づいていないと言うふうに考えています。
また自分の嘘や盛った話すら、他人を信じ込んでいると思っていますので、質が悪くまた、見苦しい一面でもあります。
このように、心の中で見苦しい行動しているなどと思われていることすら全く思っていません。
姑息な人は、非常にかわいそうな性格とも言えるでしょう。
逆に言えば、姑息な人は他人からどう思われているのか、相手に嫌なことをすれば当然自分に返ってくると言うようなことも考えていません。
その場しのぎのことが多いと考えられます。
そのため行動が浅はかであったり、軽率な行動面取りやすいので、周りの人からの信頼も薄くなってしまう可能性があるのです。
コソコソしている
コソコソしていて、何をしているのか周りから理解されないところも特徴になるのかもしれません。
コソコソすることで、周りに不快な思いや嫌な雰囲気にしていることすら気づきません。
影でコソコソし、悪いことをすることは得意中の得意なのかもしれません。
姑息な人が、コソコソし始めれば周りの人たちは「また、あの人何か企んでいる」などと言うような感じになります。
周りの人たちも何が起きるのか警戒するようになるのかもしれません。
そのように、姑息な人は周りからの信頼も薄いのです。
コソコソし始めると、何か良からぬことが起きるのではないか?と周りは少し不安になることもあるようです。
人から信用されない人って本当にかわいそうな人ですよね。
責任転嫁する
自分に被害が及んでおり、自分も悪いことが起きた渦中いるにもかかわらず、自分が少しでも悪い立場になろうものなら、嘘をついたり他人を売ったりしてまで責任転嫁をするようになるでしょう。
またそうすることで周りはさらに姑息な人のことを、益々子信用できなくなってしまうに反比例し、姑息な人はそのことにも気づかず、ますます言い訳や責任転嫁をするようになってしまうのです。
それだけ自分だけがかわいいので、間違った考え方や行動すら気づくことがありません。
立派な人ではないけれど、普通に常識を教え込まれた人間であれば、責任転嫁をする事はまずありえないのです。
正々堂々と、悪さや非を認め反省している姿を周りに見せることが、何より大切なことだとわからないのです。
問題の根本を解決しない
姑息な人は、そもそも反省もしませんので問題の根本を解決できる能力はありません。
その場しのぎの嘘や、責任転嫁なので逃れる能力はあっても、「なぜ自分があそこでこんな行動をとってしまったのか」または、「あんなことをしてしまったのか」などと考えることもありません。
そのまま反省もせず前につき進んでしまいます。
そして、また同じことを繰り返し、他人に迷惑をかけて生き続けていくのです。
何かの折で、反省することができるのであれば、問題の根本を解決します。
でも、自分に非がないなど考えてしまう癖があるため、なかなか良い方向に進むことができないのです。
しかし、賢い人間なら反省することを学ぶのですが、学べないのが姑息な人なのかもしれません。
言ってることが前と違う
また、言っていることがコロコロ変わるのも姑息な人の特徴なのかもしれません。
前は、「こう言っていたのに、今日になればこんな話になっている。」なんて話も姑息な人にとっては、よくある話なのかもしれません。
しかし、周りの人間からすれば振り回されたと感じる人や、言っていることが毎回違うので信用できないなどと言う人も多いのではないでしょうか。