ケルト人というと一般的にどのようなイメージを持っている人が多いのでしょうか。
多くはケルト人というと北欧のイメージがあるかもしれませんね。
最近では日本でもケルト音楽などがはやっている影響もあり、以前よりはケルト民族に親しみを持っている方もいるかもしれません。
ですが、実際にケルト人というとどこの民族であり、どのような歴史があって、どのような文化を持っているのかと聞かれると、ぼんやりしたイメージしか持っていないということもあるのではないでしょうか。
ケルト人というと、日本人にとってはあまりなじみのない文化であり、その具体的なイメージがないでしょう。
最近では音楽や歴史映画での扱いなどで触れること多い「ケルト人」についていくつかの知識をまとめてみました。
ケルト人とは
ケルト人という言葉を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。
最近では日本でもケルト人という言葉自体はあまり珍しくなくなってきているように思えます。
一方で詳しい知識を持っていない人が多いのがケルト民族です。
独特の文化を持っていることは何となく分かっていても、それがどのようなものであるのかは全く知らない人も珍しくありません。
そこで、ここではケルト人のプロフィールのようなものをまとめました。
ケルト人の歴史や文化について、まずは概要をおさえておくようにしましょう。
ケルト人の歴史
国を持たないケルト人ですが、彼らはいったいどのような歴史を持っているのでしょうか。
歴史の中でケルト人たちはどのような文化を創り出してきたのでしょうか。
ケルト人の文化には分からないことも多くありますが、現在の定説をまとめました。
大陸のケルト
大陸のケルトと言われるのは、中央アジアから移動してきた民族のことです。
驚いたことに、中央ヨーロッパ周辺にいたケルト人たちのルーツは中央アジアにあるのですね。
彼らは移動してそこでケルト民族としての文化を創り出すことになりました。
特徴的だったのは鉄製の武器を持っていたことでしょう。
また、牛や馬に引かせた車輪の乗り物に乗って移動する好戦的な民族であったことが分かっています。
大陸のケルトはガリア人と同様であると考えられることもありますが、それは違います。
ガリア人とは言葉も文化も異なりますし、ケルト人はガリア人の移動よりも前に中央ヨーロッパにいました。
ただし、ガリア人の移動と共に混血が進んでしまったのは確かでしょう。
島のケルト
島のケルトというのは、大陸のケルトが移動したものです。
移動先は主にブリテン島であり、現在のケルト人の末裔は、スコットランドやアイルランドに多く残っています。
正確には島のケルトをルーツとして語られることはないのですが、やはり古い時代に移民をしてそこで文化を作ってきた島のケルトが、一つのケルト人のルーツであることには違いありません。
その後、島のケルトは混血が進んでしまいます。
ヴァイキングの移動もありましたし、ローマ人の支配が及んだ時代もあったからです。
さらに、その後にはアングロサクソン系の国家ができたため、イギリス全体でケルト人が多かったわけではありません。
ただし、島のケルトたちは、一部の地域では支配されることなく文化を創り出してきました。
それが現在のウェールズやスコットランド、アイルランドの地域です。
自ら記録を残さない文化があった
ケルト人の歴史は文字になって残っているものはほとんどありません。
それは、ケルト人が自らの記録を残さない文化だったからです。
どうしても何かを記録しなければいけない時にはアルファベットやガリアの言葉などを利用しました。
ですが、大事な情報は基本的に口頭で伝えていくのがケルトの民族の文化だったのです。
親から子へ、個から孫へと伝わっていく文化は特殊ではありますが、世界には同じように文字を使わずに過ごしていた文化がありますから、それほど珍しいものではありません。
ただし、やはり、文字を使わずに残していたことが研究の妨げになってしまうことには違いないようです。
ですが、この口頭で残していくという文化こそが、ケルト人の民族としての自らの埃や、自らの文化への愛着を作り出している可能性があるとも考えられるのではないでしょうか。
伝説の存在「アーサー王」
ケルトの民族の文化は言葉で伝えられてきたからこそ、その途中で失われてしまったものもたくさんあります。
ですが、未だにきちんと継承されているものもありますし、その中でも有名なものはアーサー王伝説ではないでしょうか。
日本でもアーサー王伝説については知っている人もいますし、ポップカルチャーとしてのアーサー王はとても有名ですよね。
映画にもなっていますし、舞台化されている作品もあります。
舞台化された作品の中には、ケルト音楽をベースにしたミュージカルもあります。