ですが、大事な情報は基本的に口頭で伝えていくのがケルトの民族の文化だったのです。
親から子へ、個から孫へと伝わっていく文化は特殊ではありますが、世界には同じように文字を使わずに過ごしていた文化がありますから、それほど珍しいものではありません。
ただし、やはり、文字を使わずに残していたことが研究の妨げになってしまうことには違いないようです。
ですが、この口頭で残していくという文化こそが、ケルト人の民族としての自らの埃や、自らの文化への愛着を作り出している可能性があるとも考えられるのではないでしょうか。
伝説の存在「アーサー王」
ケルトの民族の文化は言葉で伝えられてきたからこそ、その途中で失われてしまったものもたくさんあります。
ですが、未だにきちんと継承されているものもありますし、その中でも有名なものはアーサー王伝説ではないでしょうか。
日本でもアーサー王伝説については知っている人もいますし、ポップカルチャーとしてのアーサー王はとても有名ですよね。
映画にもなっていますし、舞台化されている作品もあります。
舞台化された作品の中には、ケルト音楽をベースにしたミュージカルもあります。
アーサー王伝説はイングランドの話ではありますが、その時代はブリテン島がローマの支配を受ける前であり、ケルト人が既にブリテン島に移ってきていた後だと考えられます。
アーサー王伝説の中にはアーサー王をヴァイキングだったとする説もありますが、それは違います。
ただし、アーサー王伝説は継承されている中で、かなりキリスト教の影響を濃く受けてしまいました。
今では、聖杯伝説などを組み合わせられてケルト的な色合いが薄くなってしまっている印象も受けます。
それでも、ケルト神話などと同じように受け継がれてきたアーサー王伝説がケルトの話の中では大切なものであったことには違いありません。
ケルト音楽の歴史
現在、ケルト人を有名にしているものはケルト音楽なのではないでしょうか。
厳密に言うと、ケルト音楽という定義があるわけではありません。
ただ、アイルランドやスコットランドなどのケルト民族が多くいるところから発信された民族的な音楽を中心とする音楽が、ケルト系の音楽であるとして世界的に受け入れられているのです。
ケルト人の音楽としての有名な楽器があるわけではなく、また、特徴的な音階があるわけではありません。
ただ、音楽の旋律に特徴的なものが見受けられることはよくありますね。
ただし、ポップスのような音楽になってしまうと、他の音楽との違いが分からないということもあります。
ケルト音楽の歴史とは言っても、それほどガチガチに定義づけられているものであるわけではないのです。
ただ、どこか北欧、スコットランドなどの深い森を思わせるような素朴な音楽を聞いていると、ケルトの民族の歴史に想いを馳せたくなってしまう人は多いのではないでしょうか。
世界の様々なアーティストが影響を受けている
ケルトの音楽には世界中のアーティストが影響を受けています。
ケルト音楽の代表的なミュージシャンとしては、ケルティック・ウーマンやエンヤがいますね。
彼女たちはとても有名なアーティストですし、ケルトの音楽を発信しているという自負もあるでしょう。
ケルティック・ウーマンの「ユー・レイズミー・アップ」は荒川静香が使ったことでも有名になり、それを機にケルト音楽が日本に入ってくることになりました。
この曲そのものがケルトの代表的な旋律をしているわけではありませんが、ケルティック・ウーマンの曲の中には、ケルトの民族的な特徴を思わせるような曲がたくさんあります。
ケルト語系の言葉で歌われたものもあり、彼女たちのツアーがケルトの音楽を伝えるのに一躍買っていることには違いありません。
これらのケルト的な音楽が影響を与えたのは、アメリカのミュージシャンにもそうですし、日本人にもそうです。
日本人のミュージシャンの中にもケルト音楽にインスパイアされて曲を作っている人がいます。
定義づけられた音楽ではないとはいえ、世界中に影響を与えられるというのはすごいですね。
ケルト人の現在
ケルト人は現在はどうしているのでしょうか。
ケルト人の国として国ができているわけではないのが現状です。
実際にケルト人の歴史を考えても、ひとところにとどまっていたわけではなく、純潔のケルト人として残っているわけではないというのが本当のところのようですね。
ただし、ケルト人が途絶えてしまったという意味でもありません。
今でもケルト人の文化は残っていますし、それを継承する人もいます。