純愛を貫く男性はいないわけではありませんが、圧倒的に少ないと言えます。
ですがこれは現実社会でのことです。
今は時代がずいぶんと変化しました。
いわゆる草食系男子と呼ばれる男性が増え、恋愛に消極的だったり興味が無いという男性が増えました。
また現実の人よりも二次元の相手に恋をする人もいます。
現実の女性は疲れると言う男性が多くなっているのもこれまた現実です。
それを考えるとまったくのプラトニックな恋愛と呼べる純愛をする人が多くなっているのは否めません。
そこには決してバーチャルではない現実の恋愛がいかにストレスを溜めるものなのかを象徴していると言えるでしょう。
どうしても不安が出てくる
現実的に純愛が難しいこととして、どうしても不安が出てくるということです。
人は疑う生き物です。
疑い、そして思い込みも激しいです。
ですが純愛は疑うことはしませんし、相手を信用しているという信じて疑わないことが純愛の定義でもあります。
また自分は信用していても恋愛は相手がいることです。
相手も純愛主義者でなければ純愛の成就はしないのかもしれません。
自分が信じて相手も信じてくれる、実はそれはゆるぎないものではないのです。
どちらかが信じる気持ちが無くなれば純愛は成立しなくなります。
つまり相手も同じ思いでいてくれなければ純愛はとても壊れやすいものであり、どちらか一方の思いだけではある意味純愛とは言えないのかもしれません。
感情を完璧にコントロールするのは難しい
人の気持ちは移り気です。
どんなに好きな相手だと確信していても、それを見事に自分によって打ち砕かれることもあるのです。
それは自分の感情を完璧にコントロールするのは難しいからだと言えます。
なにより自分の気持ちに相手が応えてくれなければ、相手に対して苛立ちや憎しみのような感情を抱くこともあるでしょう。
純愛の定義からすればそれは食い違ってきてしまいます。
すでにその時点で純愛ではないということなのです。
また恋愛は気持ちの隙に食い込んできます。
自分の気持ちのちょっとした綻びに狙ったように入ってきます。
たまたま好きな人と喧嘩をして腹が立っているところに、そのときの自分の気持ちを満たす人が目の前に現れると気持ちは大きく揺らぎます。
そこで違う人へと気持ちがなびかなければいいのですが、残念ながら人の気持ちは移り気ということがあります。
自分の気持ちをコントロールすることすらできないのに、純愛を貫くことはいかに難しいかということでしょう。
初めは純愛でも状況によって関係が変化する
現実的に純愛が難しいこととして、初めは純愛でも状況によって関係が変化するということがあります。
では純愛は人の人生が終わるまで貫き通すことは可能なのでしょうか。
可能か否かであれば可能です。
実際に貫いている人はいることでしょう。
ですが人の人生は寄り道することもしばしです。
つまり純愛が叶わない相手だと感じた瞬間に純愛が終わることもあります。
そして現実を見たときに純愛を誓った相手だったはずなのに、諦めざるを得ない状況も人生には巡ってきます。
結果、純愛に挫折をすることになってしまうのです。
ましてや純愛は両想いもあれば片思いでもあることです。