みなさんこんにちは。

最近テレビでも「自由な社会」を謳った、いわゆる「リベラリズム」の思想・表現が増えてきたように思いますが皆さんはどう思いますでしょうか?確かに誰でも自分の意思や権利があり、周りはそれを幾分かは尊重していく社会の方が良い様にも思います。

 しかしそれも行き過ぎてしまうと、現在アメリカなどが陥っている「ポリティカルコレクトネス」と言ったような過剰な個人保護の考え方が蔓延し、社会が急速的に委縮してしまうということもあり得ます。

 そんな「ポリティカルコレクトネス」の状況の一歩手前にある今の日本は、「個人の権利」と言うものがどこからどの程度許され、守られなければならないのか?という重要な「基準の設定」を考えなければならない局面に相対しているのです。

 このような「個人の権利」を考える上で今回のテーマ「フェミニスト」という思想は重要な位置づけになるかと思います。

フェミニストは男女の性別に関わる価値観ですが、真の「自由な社会」を求めていくためには、「誰の考えも尊重する世の中」に成らなければなりません。

 今後日本がどのような「自由社会」に成っていくかは分かりません。

しかしその中で、「他者の考えをある程度受け入れる事」がその社会を形作る事と同義ならば、「フェミニスト」の価値観もある程度知っておく必要があるのかも知れません。

フェミニストとは?

 そもそも「フェミニスト」とは、女性の権利や男女平等を主張する方々の事を言い、一昔前までは「女性に甘い男性」などのように少しネガティブな表現も含んでいました。

 しかし今は「男女平等」が叫ばれる世の中ですので、何の理由もなしに「フェミニスト」を否定する事もまた、差別的な表現に成ってしまうのかも知れません。

 どちらにせよ、「いろんな人の考え方を尊重すること」が今の日本の社会では求められている訳ですから、「個人的かつ社会的な本音と建前」があっても、これを頭の片隅に置いておかないと自分が損してしまいかねません。

 私は女性蔑視をしたい訳ではありませんが、何でもかんでも「男女平等」というのも、「ちょっと待った」と思ってしまいます。

それはここ日本でも「男のくせに女々しい」とか、「女は結婚したら寿退社する」など、今の社会で口にしようものなら即座に「セクハラ」になってしまう事も、本音では思っている人は社会の中にたくさんいると思うのです。

 今の社会も「専業主婦」は許されても、「専業主夫」はまだまだ許されていない傾向にあると思います。

先の「男性保育士のお着替え手伝い問題」もその「性別による社会の本音」が見え隠れしたものであるように私は思います。

 何はともあれ、現代日本社会は、アメリカに続き「自由主義」を掲げて行くのでしょうから、個人的不満や意義があっても、一定レベルで「他者の考え方」を受け入れる体制を持っておかない事には現代社会を生き残っていく事は出来ないのかも知れませんね?
 「私はフェミニストだ」といっている人は信用ならないかもしれませんから、実際に社会の中で「フェミニスト」が居るとしたならば、「他の誰かに勝手に思われていること」が大半だと思います。

 ですから今回は他者から「フェミニスト認定される人の特徴」として記事を書いていきたいと思っております。

フェミニストと言われる人の12個の特徴を紹介!

 では少なくとも周りから「セクハラ」扱いされないために、「フェミニスト」とは一体どんな特徴があるのか、次から順番に合計12項目についてまとめていきますので最後までどうぞよろしくお願いいたします。

1.人が嫌がることはしない人

 「フェミニスト」とは「男女平等」、「女性人権の向上」を主張する人物の事を言いました。

しかしこの「フェミニスト」という言葉も、使われる内に徐々に変化していき、「弱者に寄り添う人」というニュアンスも含んでいるように思います。

 ですからとにかく現代の「フェミニスト」とは、「他者が嫌がる事をしない人」という意味合いも強い事を知っておく必要があると思います。

自分がされて嫌なことは決して人にしない

 よく子どもの頃親や先生に、「人の嫌がる事はするな」と教えられたご経験があると思います。

いわゆる「フェミニスト」もこれを徹底しています。

「人がやられて嫌な事は何か?」、考えてみると意外に難しいテーマのように思いますが、フェミニストは少なくともこの「人がやられて嫌な事は」、「自分がやられたら嫌な事」と理解しているようです。

 自由主義の下考えてみると、「自分と他人」とは本来違う存在のハズですが、フェミニストの考え方では、とりあえず自分がされて嫌な事は相手にもしない、例え自分がされる様な事があっても…。

というものなのです。

 自分の権利や利益が侵害されたら、それをきちんと相手に提言することが真の「自由主義」のような気もしますが、フェミニストからすると「自分がされても相手にするな」が回答のようです。

2.いつも明るい人

 人の笑顔と言うものは他者を安心させたり、その楽しさを伝染させたりする人だけに与えられた大変素晴らしいものです。

 いつもネガティブで暗く、どんより毎日を送っている人よりも、明るく元気に接してくれる人の方が清々しくて良い様にも思います。

 あの人は「フェミニスト」と呼ばれる為には、この「明るさ」も重要な要素となってきます。

というのも表情が暗いと「楽しくないのでは?」、「誰かに否定的な考え方を持っているのでは?」と何かを勘繰られて「他者に対し否定的な態度の人」とも取られかねません。

 ですから真の「フェミニスト」を目指すのなら、この「明るく振舞う態度」が重要になってくるのです。

いつも笑顔で対応する

 明るさがある人は、同時に「笑顔」も印象的に働く場合が多いと思います。

他者がその人のイメージを考えた時、「いつも明るく、そして笑顔が印象的」となります。

 いつも笑顔であればそれだけ相手の警戒心や反発心なども解ける可能性が高く、下手な敵も周りで作ることなく、自分の居場所も確保できるので、どんな社会人でもこの「誰にも笑顔で」は重要になってくるでしょう。

言わば社会人の「ステータス」とも言えるかもしれません。

 その中でも「フェミニスト」の方々はもっと高尚な存在のはずなので、この「いつも明るく笑顔」が出来ていない訳がありません。

3.聞き上手な人

 相手の反発心を解く事でもう1つ重要になるのは、「相手の話を聞く事」です。

会話とは何の他愛もない雑談から、人生や仕事の行く末を決める重要な密談まで、幅広くその話しの重要度は異なります。

 しかしそれが例え雑談であっても、親身になって真剣に聞いてくれるという事は、話をしている側からすれば「自分が大切にされている」と思い、その聞き上手な相手を「信頼できる人物」と感じます。

 現代人は非常に忙しいと思います。

ですから時間がありません。

他者の悩みやたわ言に耳を傾けているような時間は無いのです。

ご自身の事で精一杯ですからね。

 ですがそんな忙しいせせこましい世の中だからこそ、自分の話を聞いてくれる人物は貴重なのです。

相手の信頼を勝ち得る為には、相手の言葉に耳を傾けて否定や説教をせず、一生懸命合いの手を入れて聞いて噛みしめていく事が重要なのでしょう。

口を挟まずずっと話を聞いてくれる

 話しの聞き上手な人は、「相手の話しに口を挟まない事」を重要視しています。

相手が真剣に自分の言葉で相手の理解を賛同を求めて話しているのに、「いやいや違うでしょ…」とか、「でもそういえばさぁ、この前…」と急に話題を変えられたり、自分の話をし出したり、挙句の果てには意味不明に怒られたりしたら、そんな人と話すのは嫌になり、聞き上手とは程遠い人間にされてしまう事でしょう。

 しかし、かと言って何も返さない、リアクションもしないのも問題です。

それはむしろ「聞いていない」とされてしまうのです。

ですから聞き上手な人は、絶妙のタイミングで話しに合いの手を入れ、相手の話を邪魔せず、かつリアクションもして、「きちんと聞いている事」を相手と確認しながら話を進めていくのです。

 もし相手が言葉に詰まったら、「あぁ○○の事ね?」と言って、「そうそうそれそれ…」と相手の失った言葉を代わりに見つけてあげる事くらいしか間に言葉を挟みません。

それにこれが出来るのは、その人の話しを理解し、先々の事まである程度予測できていないと、相手の思いつかない言葉を「○○でしょ?」と代わりに提示する事は出来ません。

 ですからきちんと相手の話を聞いているということですね。

相手を理解し、尊重する「フェミニスト」の方は、それが例え自分にとって耳の痛い話でも「相手の話に耳を傾ける事」を徹底して頂きたいです。

4.男友達が多い人

 フェミニストは「男女平等」なので、男や女と性別に対する「友情の優劣」はありません。

ですから男性であっても女性であってもその性別に関わらずどんな人に対しても優しく接する価値観を持っています。

 ですから女性からしてみたら、性別を越えた「男性にも」友達が多く、交友関係も広いのが特徴と言えるでしょう。

男友達にも優しい人は下心の無い優しさがある

 フェミニストと言われる人は性別に差別感情が無いと言いましたが、女性の場合、男性に対する対応も「下心なく」優しく接せられる人が多いようです。

 ですから男性フェミニストの場合は、女性友達が多いという事に成りますので、世間の皆さまはこの状況はどのように目に映るでしょうか?
 本当に性別差別感がない人は、異性に対しても「下心なく」平等に接する事が出来るでしょう。

しかし性別差別がない事を良い事に、友情が恋愛感情とごちゃ混ぜになり、自由奔放な恋愛をするのはナンセンスです。

 飽くまでも、気に入られたいだけの八方美人と言う訳でなく、相手を大切にする「誠実な人間」が真のフェミニストと認定されるのでしょう。

5.常に気にかけてくれる人

 次にフェミニストは、他者の心配事を自分の事のように考える事も、周りの人間にとって「差別感の無い人」と映り、フェミニスト認定させる条件に成る場合があります。

 他者を気に掛ける事は容易ではありません。

きちんとした「問題解決能力」がないと気に掛けた所で相手にとっては「大きなお世話」となってしまう場合もあるからです。

 相手がどんな事で悩み、何が解決すればいいのか?などをきちんと情報整理し、順序良く解決していく必要があります。

何でもかんでも首を突っ込む、「お節介な人」は周りからフェミニストと重宝される事は無いのかも知れません。

 

落ち込んでる人を見つけると声を掛けてくれる

 落ち込む人間を放っておくと、周りに知らず知らず伝染して悪影響を及ぼしてしまう事もあり得ます。

そういった意味でも誰かが声を掛け、悩みを解決した方が周囲の人間にとっても良く働くこともあるかとは思いますが、これがなかなか難しいのが現実ですよね?
 人によっては、「落ち込んでいる事も気がつかなかった」なんて人もいるのかも知れません。

落ち込んでいるように見えても「放っておいてくれ」と思っている人もいるかも知れません。

 ですから気に掛ける方も幾分かの「洞察力」が必要になるでしょう。

相手の気持ちに立って、本当に今この人に寄り添うべきかどうか?相手の求めている事は何か?それは自分が出来るような事なのか?考えてみると大変難しいことのような気がします。

6.彼女のことを一番に考えている人

 フェミニストは誰にでも優しいからこそ、自分の恋人には一番優しくあるべきなのです。

彼女を大切にいする事は他者に優しくすることの始まりになると思います。

一番近い人間に深い愛情を注げることができるからこそ、周りの人間に同じ様な愛情が与えられるのですから。

 もっと言えば、家族を大切に出来ない人間は、友人も恋人も恩師も大切に出来ないのかも知れません。

「彼女が一番」と言ったからといって、「結局自分ばっかりじゃん…」と言う事ではないのです。

自分にとって本当に大切な人たちがいて周りに支えてくれている多くの人が居る訳ですから、「平等社会・自由社会」におけるこの考え方に矛盾はありません。

 国だって隣国同士で助け合う事は大切ですが、全て平等と言って、他国の人間ばかり優遇していては自国の人間が無下に扱われ死に絶えてしまいます。

ですからまず、自分により近い人々を大切にする事はなんら「卑怯」でも、「筋違い」でもないのです。

逆にその身近な人たちを大切に出来ない人は、それよりも遠くの存在の人を最後まで大切に接する事なんて出来るはずもないし、そんな考えは決して成立しないと私は考えます。

 自分があるからこそ、相手に対し愛情が湧き、その存在を大切に愛おしく思えるのです。

その気持ちは何も「他者から強制的に思わされている」訳ではありません。

紛れもなあなた自身から発せられた「自発的な感情」であるはずなのです。

 そう考えると「自分」も非常に大切にしなければならない存在の一人ですよね?

浮気や不倫は絶対にしない

 「差別」と言うものを、「自分勝手な私利私欲の追求」と考えると、やはり昨今風当たりが強い「不倫や浮気」を絶対に許す事が出来ないのが「フェミニストの思考回路」でしょう。

 個人的には他人の浮気や不倫は自分とは関係ないはずなのでどうでも良いですが、世間の人はそれでは許してはくれません。

 まるで自分がされたように怒り狂い、その人をまるで犯罪者が如く一方的に責め立てる事でしょう。

 みなさんも周りから「フェミニスト」と認めてもらいたい場合は、この浮気や不倫といった行為も決して容認してはいけないことと考えておかなければなりません。

7.口だけじゃない人

 真の「フェミニスト」に成るためには、他者からの信頼性が非常に重要になってきます。

これはその人がどんなにイイ人に見えても、「信頼性」がなければ結局、その人の価値観や性格の良さが霞んでしまい、信用のならない人となってしまうのです。

 ですから他者の信用を勝ち得る為に、普段から「口だけ人間」にならないよう、ある程度「有言したなら、それに伴った実行」が備わっていることが重要になって来ると思います。

しっかり行動も伴っている

 「有言」したなら「実行」や結果がないと人は、「この人嘘付きだな」となり、それからどんなに良い事してみても一旦下がってしまったその悪い印象を挽回するのは難しいのが現実でしょう。

 ですので、少なくとも「嘘付き」とはならないように、普段から口を開いたら、きちんと行動を起こせる人間に成ることがフェミニスト認定されるためには重要になります。

 ある程度「言葉に行動が伴っていれば」、「言葉だけ」のときのも一定の信頼性がそれまでの実績によりついてくる事に成ります。

8.尽くしてくれる人

 人の評価とは時に残酷なもので、自分がどんなに尽くしているように振舞っても、相手は分かってくれない事は皆さんもこれまでの人生のご経験でたくさん感じてきた事なのではないでしょうか?
 つまりは「自分の頑張り量」と、それに対する「相手の評価」は常に異なり、しかも「自分の頑張り<相手の評価」となる事が悲しいかな世の常です。

自分にどれだけ尽くしてくれているかは、相手の頑張りで決める訳ではなく、「自分の主観で決めるから」です。

相手がどんなにいろんなものを犠牲にしていてもそれを知らない自分からしてみたら、その努力も水の泡なのです。

 本当に悲しい世の中ですよね?分かり合えないのですから…。

 私のような平凡な人間ならばここでドロップアウトしてしまいますが、「フェミニスト様」は違います。

どんなに自分を犠牲にしても相手に「尽くしていること」を理解されるまで徹底的に至れり尽くせり、奉仕してくれるのです。

自分のことよりも相手の気持ちを優先する

 上記でも書いた通り「フェミニスト」は、「自分よりも相手」というスタンスの人が多く認定されているように思います。

それが分かり易く周りに伝わるくらい奉仕しているわけですからそのストレスは半端ではない緻密な努力の積み重ねがあるのでしょう。

 ですから一日二日では真のフェミニストには成れないということなのでしょうね?モノ分かりの悪い、気持ちも汲んではくれない周りの人間に「あの人はフェミニストだ」と思わせるくらいの「尽くし方」な訳ですから相当なものなのでしょう。

9.落ち着きがある人

 人の信用について話をしましたが、嘘をつかないのと同じくらい重要なものとして、「ヒステリックにならない事」も重要でしょう。

これは先の通り、どんなにイイ人でも定期的にイライラして爆発する、いわゆる「時限爆弾」のような人なら周りが、「なんだかなぁ…」となってしまうのも仕方がないと思います。

 やはりヒステリックになるという事は、それだけ「冷静ではない」と言う事ですから、普段のその人にはない「判断違い」があるかもしれない訳です。

普段がどんなに良い人間かは知りませんが、事ある毎に冷静さを欠いているようでは、近づきがたくもありますし、ましてや重要な案件を任せるといった自分の利益にも深く関わるような事をその人に委ねるなんて事は普通無理があると思います。

 相手の信頼性を考える上で、最低限の冷静さは持っておかなければなりません。

少しの事でイライラしたりしない

 ではその「最低限」とはどこに線引きがあるのでしょうか?これは一つにその話が例えば大勢の人が集まる「会議」のときを例に出しましょう。

 あなたがカチンときて冷静では無くなりそうな時、周りの人も同じ様に「イライラしている人」はいらっしゃらないでしょうか?もしいらっしゃらないようでしたら、そこでキレてしまうことで周りから、「そんなことでイライラしてんじゃねぇよ…」と思われているかも知れません。

 ですから周りに自分も合わせ10人人が居るのなら、せめて3、4人は同じ事でイラつくような人が居ないと、キレない事が賢明でしょう。

しかし、キレる事に「重要な理由」、「聞けば納得できる理論」があれば一人だけイライラしていても、周りに「自分勝手」と変なレッテルを貼られる様な事は無いかもしれません。

10.店員さんにも優しい人

 よく恋人に優しいのに、店の店員に悪態をつく人っていらっしゃいますよね?これは「フェミニスト」からはとても遠い人であると思います。

 そもそも例え自分がお客さんであって、お金を払うことが前提であっても、それに対しサービスを提供する人が「奴隷」ではないんです。

「こっちは金払ってるんだからミスは許されない」、「俺たちは客なんだから言う事聞いて当り前」といった考えです。

 確かに一定レベルでは正しいと思います。

大切なお金を払っている訳ですから、それに対し相応のものを主張するのは当り前です。

しかしその主張というものも一体どれだけのものまで主張していいのでしょうか?
 例えば病気に成って病院にかかる時、あなたは医者に対し、「風邪をひいたから、○○の方法で今日中に治せ、薬は絶対に飲まない」といった、「患者から細かく条件を付けて要求するような事」をするでしょうか?医者は言わば病気の「専門家」なのです。

その分野について精通している人達なのです。

何にも知識がない患者が現れて、無理な注文を付けて、果たして病気が治るのでしょうか?
 ですから決してお金を払っていたとしても、店側の「プロに任せること」が非常に重要な物の考え方なのです。

よって店の店員は「奴隷」ではありません。

お金を払ったからといってあなたの下僕に成る訳ではないのです。

店員さんと対等の立場で対応する

 このように真の「フェミニスト」はお金を支払う関係性、ある種の「主従関係」がある客と店の関係性でも、「対等に事を運ぶ」ことを重要視してします。

 「誰にでも優しい」という言葉の中に「店員さん」も入っていないのならば、世間の人、つまり自分とはそこまで接点のない人は、「誰」には該当しない、つまりは人間じゃないとしている証拠ではないでしょうか?そんな人に「フェミニスト」を語らせているのならば、もうフェミニストとはまやかしの言葉でしかないでしょう。

11.人の悪口を言わない人

 人は絶対に何かしら「欠点」があります。

これは人間である以上避けては通れないものごとです。

だとするならばその「誰でも持っているはずの欠点」は、ある程度周りが受け入れてあげなくては健全な人間関係を形成していく事は出来ないでしょう。

 その「自由主義」が人の欠点をも認めることならば、「人の悪口を言うこと」はその間逆の世界の人間がやる事です。

そういったことからも「フェミニスト」は絶対に人の悪口は語らないでしょう。

欠点よりも良いところを見てくれる

 人の悪口を言わない代わりに「フェミニスト」はとても素敵なプレゼントを与えてくれます。

それは、「長所の称賛」です。

欠点は誰にでもあるのだから、取敢えずそこには目を瞑り、誰にもは無いかも知れないより良い事、すなわちその人の「長所」を示して讃えることで、聞かされる相手も反抗することなくその嬉しい響きに耳を貸し、フェミニストの言葉を信用するようになるのではないでしょうか?
 人は通常、自分の事を悪く言わないような人を同じ様に悪くは言えません。

その手口が見え見えなら別ですが…。

よく押し売りの常套手段で、昼下がりベンチに座った人に「買い過ぎてしまったので…」と、缶コーヒーを見ず知らずの人に渡すのだと言います。

 当然渡された人は警戒しますが、普通の人なら、断り過ぎるのも失礼と缶コーヒーを受け取り飲みます。

そして飲んだのを観て、押し売り業者が「話しの本題に入る」のです。

 缶コーヒーを振舞ってもらった手前、その人はお金の話も断り切れない状況に成ります。

どこかで「後ろめたさ」があるのです。

そういった人の良心を逆手に取るのが押し売りの常套手段だと言います。

 ですから人は相手が自分を悪く言わないのならば、自分も相手を悪くは言えないのが人情なのです。

12.時には怒ってくれる人

 しかし、その欠点が大きな失敗を招くこともあります。

そうしたとき真の「フェミニスト」は、あなたをきっと説教する事でしょう。

それは矛盾しているかのように思えて、実に筋の通った振舞いなのです。

 というのもその大きな失敗はきっと周りの人も巻き込んで「大きな損害」を出している事だと思います。

つまり「誰にでも優しい」フェミニストは、失敗をしたあなただけではなく、周りの人の事も総合的に考えて、「みんなの権利を守っている」のです。

ですから怒る事も当然なんですね。

間違ったことがあれば相手の事を思って怒ってくれる

 それに周りの人だけではなく、失敗をしたあなた自身にも「有益な事があるだろう」と感じ、フェミニストは怒ってくれているのです。

 これは当然ミスはミスなので、放っておいたのならばきっとまた同じミスをするのだと思います。

まぁ人間ですからね?ですから同じ様なミスを繰り返ししてしまっては、当然周りからのあなたの評価は右肩下がりで、地の底まで失墜してしまう事でしょう。

そうなれば「あなたが可哀そう」となり、あなたの事を思って怒ってくれるのです。

 ときに自分の事を真剣に観てくれている人に限って気を遣って「怒ってくれる」のだとも思いますので、人の向上のため、環境の向上のため、みんなのため、怒る人がいるのもとても良い事だと感じてなりません。

 みなさんいかがだったでしょうか?真の「フェミニスト」とは、あらゆることに男女平等を考えられる人の事を言います。

これは一筋縄ではいかない事だと思います。

普通は出来ない事だとも思います。

ですから私は記事の冒頭、フェミニストに対し少し否定的な表現を使って文章を書かせて頂きました。

 今の世の中、「弱者に寄り添うこと」をアピールし自分よりもか弱き人間を矢面に立たせ、それをダシに自身の意見や行動に対し合理性や正義感を誇張する「まがい物」が多過ぎると私は思います。

自分の都合のいい時だけ「弱者の救世主」のような顔をして「レイシスト」、「言論弾圧だ」、「差別だ差別」とそれはそれは高々に大口を叩き相手の意見を封殺し、一転都合が悪くなればそそくさと逃げていくような人が世の中には多過ぎる。

自分の為に、自分の為だけに水戸黄門様の「印籠」を掲げているようなものなのです。

弱者を守るなど、そんな考えも毛頭ないまがい物の「偽フェミニスト」にはどうか、絶対に成らないで下さい。

 本当に意味での「フェミニスト」は寛大で、他者のいろいろな考えにも配慮して、間違った事だけに抗議する客観性に富む人の事を言うのだと思います。

また自分の間違いにもきちんと猛省できる事も重要な条件に成るかと思います。

 これは何度も言いますがとても難しい事です。

簡単には出来ません。

いろいろとフェミニストの方に対し否定的な文面を並べたてましたが、大変申し訳ありませんでした。

悪気はありません。

しかし、この世の中の「建前だけの表面上の上っ面だけの平和を語る人間」が許せなかったのです。

そんな社会になったらどうなるか?私は夜も寝られません。

きっとそんな「上っ面だけの社会」は皆さまにとっても「生きづらい社会」になるに違いありません。

 あなたが思っている「平等な社会」とは果たして、「皆が幸せになる社会」なのでしょうか?「自分の事だけを尊重する社会」に成ってはいませんか?これの答えを出すのは容易ではありません。

私もこれからの人生の時間を使い、いろんな人の意見を噛みしめながら考えていきたいと思います。

「自分に都合のいい社会」だけはまっぴらごめんです。

最後まで有難うございました。