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フェミニストと言われる人の12個の特徴(続き4)

 本当に悲しい世の中ですよね?分かり合えないのですから…。

 私のような平凡な人間ならばここでドロップアウトしてしまいますが、「フェミニスト様」は違います。

どんなに自分を犠牲にしても相手に「尽くしていること」を理解されるまで徹底的に至れり尽くせり、奉仕してくれるのです。

自分のことよりも相手の気持ちを優先する

 上記でも書いた通り「フェミニスト」は、「自分よりも相手」というスタンスの人が多く認定されているように思います。

それが分かり易く周りに伝わるくらい奉仕しているわけですからそのストレスは半端ではない緻密な努力の積み重ねがあるのでしょう。

 ですから一日二日では真のフェミニストには成れないということなのでしょうね?モノ分かりの悪い、気持ちも汲んではくれない周りの人間に「あの人はフェミニストだ」と思わせるくらいの「尽くし方」な訳ですから相当なものなのでしょう。

9.落ち着きがある人

 人の信用について話をしましたが、嘘をつかないのと同じくらい重要なものとして、「ヒステリックにならない事」も重要でしょう。

これは先の通り、どんなにイイ人でも定期的にイライラして爆発する、いわゆる「時限爆弾」のような人なら周りが、「なんだかなぁ…」となってしまうのも仕方がないと思います。

 やはりヒステリックになるという事は、それだけ「冷静ではない」と言う事ですから、普段のその人にはない「判断違い」があるかもしれない訳です。

普段がどんなに良い人間かは知りませんが、事ある毎に冷静さを欠いているようでは、近づきがたくもありますし、ましてや重要な案件を任せるといった自分の利益にも深く関わるような事をその人に委ねるなんて事は普通無理があると思います。

 相手の信頼性を考える上で、最低限の冷静さは持っておかなければなりません。

少しの事でイライラしたりしない

 ではその「最低限」とはどこに線引きがあるのでしょうか?これは一つにその話が例えば大勢の人が集まる「会議」のときを例に出しましょう。

 あなたがカチンときて冷静では無くなりそうな時、周りの人も同じ様に「イライラしている人」はいらっしゃらないでしょうか?もしいらっしゃらないようでしたら、そこでキレてしまうことで周りから、「そんなことでイライラしてんじゃねぇよ…」と思われているかも知れません。

 ですから周りに自分も合わせ10人人が居るのなら、せめて3、4人は同じ事でイラつくような人が居ないと、キレない事が賢明でしょう。

しかし、キレる事に「重要な理由」、「聞けば納得できる理論」があれば一人だけイライラしていても、周りに「自分勝手」と変なレッテルを貼られる様な事は無いかもしれません。

10.店員さんにも優しい人

 よく恋人に優しいのに、店の店員に悪態をつく人っていらっしゃいますよね?これは「フェミニスト」からはとても遠い人であると思います。

 そもそも例え自分がお客さんであって、お金を払うことが前提であっても、それに対しサービスを提供する人が「奴隷」ではないんです。

「こっちは金払ってるんだからミスは許されない」、「俺たちは客なんだから言う事聞いて当り前」といった考えです。

 確かに一定レベルでは正しいと思います。

大切なお金を払っている訳ですから、それに対し相応のものを主張するのは当り前です。

しかしその主張というものも一体どれだけのものまで主張していいのでしょうか?
 例えば病気に成って病院にかかる時、あなたは医者に対し、「風邪をひいたから、○○の方法で今日中に治せ、薬は絶対に飲まない」といった、「患者から細かく条件を付けて要求するような事」をするでしょうか?医者は言わば病気の「専門家」なのです。

その分野について精通している人達なのです。

何にも知識がない患者が現れて、無理な注文を付けて、果たして病気が治るのでしょうか?
 ですから決してお金を払っていたとしても、店側の「プロに任せること」が非常に重要な物の考え方なのです。

よって店の店員は「奴隷」ではありません。

お金を払ったからといってあなたの下僕に成る訳ではないのです。

店員さんと対等の立場で対応する

 このように真の「フェミニスト」はお金を支払う関係性、ある種の「主従関係」がある客と店の関係性でも、「対等に事を運ぶ」ことを重要視してします。

 「誰にでも優しい」という言葉の中に「店員さん」も入っていないのならば、世間の人、つまり自分とはそこまで接点のない人は、「誰」には該当しない、つまりは人間じゃないとしている証拠ではないでしょうか?そんな人に「フェミニスト」を語らせているのならば、もうフェミニストとはまやかしの言葉でしかないでしょう。

11.人の悪口を言わない人

 人は絶対に何かしら「欠点」があります。

これは人間である以上避けては通れないものごとです。

だとするならばその「誰でも持っているはずの欠点」は、ある程度周りが受け入れてあげなくては健全な人間関係を形成していく事は出来ないでしょう。

 その「自由主義」が人の欠点をも認めることならば、「人の悪口を言うこと」はその間逆の世界の人間がやる事です。

そういったことからも「フェミニスト」は絶対に人の悪口は語らないでしょう。