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フェミニストと言われる人の12個の特徴(続き3)

 

落ち込んでる人を見つけると声を掛けてくれる

 落ち込む人間を放っておくと、周りに知らず知らず伝染して悪影響を及ぼしてしまう事もあり得ます。

そういった意味でも誰かが声を掛け、悩みを解決した方が周囲の人間にとっても良く働くこともあるかとは思いますが、これがなかなか難しいのが現実ですよね?
 人によっては、「落ち込んでいる事も気がつかなかった」なんて人もいるのかも知れません。

落ち込んでいるように見えても「放っておいてくれ」と思っている人もいるかも知れません。

 ですから気に掛ける方も幾分かの「洞察力」が必要になるでしょう。

相手の気持ちに立って、本当に今この人に寄り添うべきかどうか?相手の求めている事は何か?それは自分が出来るような事なのか?考えてみると大変難しいことのような気がします。

6.彼女のことを一番に考えている人

 フェミニストは誰にでも優しいからこそ、自分の恋人には一番優しくあるべきなのです。

彼女を大切にいする事は他者に優しくすることの始まりになると思います。

一番近い人間に深い愛情を注げることができるからこそ、周りの人間に同じ様な愛情が与えられるのですから。

 もっと言えば、家族を大切に出来ない人間は、友人も恋人も恩師も大切に出来ないのかも知れません。

「彼女が一番」と言ったからといって、「結局自分ばっかりじゃん…」と言う事ではないのです。

自分にとって本当に大切な人たちがいて周りに支えてくれている多くの人が居る訳ですから、「平等社会・自由社会」におけるこの考え方に矛盾はありません。

 国だって隣国同士で助け合う事は大切ですが、全て平等と言って、他国の人間ばかり優遇していては自国の人間が無下に扱われ死に絶えてしまいます。

ですからまず、自分により近い人々を大切にする事はなんら「卑怯」でも、「筋違い」でもないのです。

逆にその身近な人たちを大切に出来ない人は、それよりも遠くの存在の人を最後まで大切に接する事なんて出来るはずもないし、そんな考えは決して成立しないと私は考えます。

 自分があるからこそ、相手に対し愛情が湧き、その存在を大切に愛おしく思えるのです。

その気持ちは何も「他者から強制的に思わされている」訳ではありません。

紛れもなあなた自身から発せられた「自発的な感情」であるはずなのです。

 そう考えると「自分」も非常に大切にしなければならない存在の一人ですよね?

浮気や不倫は絶対にしない

 「差別」と言うものを、「自分勝手な私利私欲の追求」と考えると、やはり昨今風当たりが強い「不倫や浮気」を絶対に許す事が出来ないのが「フェミニストの思考回路」でしょう。

 個人的には他人の浮気や不倫は自分とは関係ないはずなのでどうでも良いですが、世間の人はそれでは許してはくれません。

 まるで自分がされたように怒り狂い、その人をまるで犯罪者が如く一方的に責め立てる事でしょう。

 みなさんも周りから「フェミニスト」と認めてもらいたい場合は、この浮気や不倫といった行為も決して容認してはいけないことと考えておかなければなりません。

7.口だけじゃない人

 真の「フェミニスト」に成るためには、他者からの信頼性が非常に重要になってきます。

これはその人がどんなにイイ人に見えても、「信頼性」がなければ結局、その人の価値観や性格の良さが霞んでしまい、信用のならない人となってしまうのです。

 ですから他者の信用を勝ち得る為に、普段から「口だけ人間」にならないよう、ある程度「有言したなら、それに伴った実行」が備わっていることが重要になって来ると思います。

しっかり行動も伴っている

 「有言」したなら「実行」や結果がないと人は、「この人嘘付きだな」となり、それからどんなに良い事してみても一旦下がってしまったその悪い印象を挽回するのは難しいのが現実でしょう。

 ですので、少なくとも「嘘付き」とはならないように、普段から口を開いたら、きちんと行動を起こせる人間に成ることがフェミニスト認定されるためには重要になります。

 ある程度「言葉に行動が伴っていれば」、「言葉だけ」のときのも一定の信頼性がそれまでの実績によりついてくる事に成ります。

8.尽くしてくれる人

 人の評価とは時に残酷なもので、自分がどんなに尽くしているように振舞っても、相手は分かってくれない事は皆さんもこれまでの人生のご経験でたくさん感じてきた事なのではないでしょうか?
 つまりは「自分の頑張り量」と、それに対する「相手の評価」は常に異なり、しかも「自分の頑張り<相手の評価」となる事が悲しいかな世の常です。

自分にどれだけ尽くしてくれているかは、相手の頑張りで決める訳ではなく、「自分の主観で決めるから」です。

相手がどんなにいろんなものを犠牲にしていてもそれを知らない自分からしてみたら、その努力も水の泡なのです。