欠点よりも良いところを見てくれる
人の悪口を言わない代わりに「フェミニスト」はとても素敵なプレゼントを与えてくれます。
それは、「長所の称賛」です。
欠点は誰にでもあるのだから、取敢えずそこには目を瞑り、誰にもは無いかも知れないより良い事、すなわちその人の「長所」を示して讃えることで、聞かされる相手も反抗することなくその嬉しい響きに耳を貸し、フェミニストの言葉を信用するようになるのではないでしょうか?
人は通常、自分の事を悪く言わないような人を同じ様に悪くは言えません。
その手口が見え見えなら別ですが…。
よく押し売りの常套手段で、昼下がりベンチに座った人に「買い過ぎてしまったので…」と、缶コーヒーを見ず知らずの人に渡すのだと言います。
当然渡された人は警戒しますが、普通の人なら、断り過ぎるのも失礼と缶コーヒーを受け取り飲みます。
そして飲んだのを観て、押し売り業者が「話しの本題に入る」のです。
缶コーヒーを振舞ってもらった手前、その人はお金の話も断り切れない状況に成ります。
どこかで「後ろめたさ」があるのです。
そういった人の良心を逆手に取るのが押し売りの常套手段だと言います。
ですから人は相手が自分を悪く言わないのならば、自分も相手を悪くは言えないのが人情なのです。
12.時には怒ってくれる人
しかし、その欠点が大きな失敗を招くこともあります。
そうしたとき真の「フェミニスト」は、あなたをきっと説教する事でしょう。
それは矛盾しているかのように思えて、実に筋の通った振舞いなのです。
というのもその大きな失敗はきっと周りの人も巻き込んで「大きな損害」を出している事だと思います。
つまり「誰にでも優しい」フェミニストは、失敗をしたあなただけではなく、周りの人の事も総合的に考えて、「みんなの権利を守っている」のです。
ですから怒る事も当然なんですね。
間違ったことがあれば相手の事を思って怒ってくれる
それに周りの人だけではなく、失敗をしたあなた自身にも「有益な事があるだろう」と感じ、フェミニストは怒ってくれているのです。
これは当然ミスはミスなので、放っておいたのならばきっとまた同じミスをするのだと思います。
まぁ人間ですからね?ですから同じ様なミスを繰り返ししてしまっては、当然周りからのあなたの評価は右肩下がりで、地の底まで失墜してしまう事でしょう。
そうなれば「あなたが可哀そう」となり、あなたの事を思って怒ってくれるのです。
ときに自分の事を真剣に観てくれている人に限って気を遣って「怒ってくれる」のだとも思いますので、人の向上のため、環境の向上のため、みんなのため、怒る人がいるのもとても良い事だと感じてなりません。
みなさんいかがだったでしょうか?真の「フェミニスト」とは、あらゆることに男女平等を考えられる人の事を言います。
これは一筋縄ではいかない事だと思います。
普通は出来ない事だとも思います。
ですから私は記事の冒頭、フェミニストに対し少し否定的な表現を使って文章を書かせて頂きました。
今の世の中、「弱者に寄り添うこと」をアピールし自分よりもか弱き人間を矢面に立たせ、それをダシに自身の意見や行動に対し合理性や正義感を誇張する「まがい物」が多過ぎると私は思います。
自分の都合のいい時だけ「弱者の救世主」のような顔をして「レイシスト」、「言論弾圧だ」、「差別だ差別」とそれはそれは高々に大口を叩き相手の意見を封殺し、一転都合が悪くなればそそくさと逃げていくような人が世の中には多過ぎる。
自分の為に、自分の為だけに水戸黄門様の「印籠」を掲げているようなものなのです。
弱者を守るなど、そんな考えも毛頭ないまがい物の「偽フェミニスト」にはどうか、絶対に成らないで下さい。
本当に意味での「フェミニスト」は寛大で、他者のいろいろな考えにも配慮して、間違った事だけに抗議する客観性に富む人の事を言うのだと思います。
また自分の間違いにもきちんと猛省できる事も重要な条件に成るかと思います。
これは何度も言いますがとても難しい事です。
簡単には出来ません。
いろいろとフェミニストの方に対し否定的な文面を並べたてましたが、大変申し訳ありませんでした。
悪気はありません。