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踏み絵とはどういう意味?現代でも使...(続き3)

例えばキリシタン禁令ということを考えると日本においてキリスト教を禁じるという命令になります。

なので、当然ながら日本にいるキリシタンを判別する必要があるということにつながります。

キリシタンを禁止しているのにキリシタンとして存在しているものは、処罰する必要があるので、先ほどお伝えした踏み絵を用いて判別するということが判別が行われた経緯となります。

徳川秀忠が発令。

禁教令を行った人物は徳川秀忠といわれています。

徳川秀忠は安土桃山時代から江戸時代にかけての武将になり江戸幕府の第二代征夷大将軍として活躍しています。

徳川家康の三男として誕生しており当時からとてつもない力を持っている国人でありました。

征夷大将軍として活躍している徳川秀忠がなぜキリスト教を禁止したのかその背景についても知っていただく必要があると言えます。

キリスト教禁令。

キリスト教禁令とは1612年に第2代将軍徳川秀忠が幕府の直轄地と直属の家臣に対して命令した禁止令です。

キリスト教の信仰を禁じる内容の命令で、次の年には日本全国にまで命令を及ぼしています。

なぜキリスト教を信じることを廃止させようとしたのかというと、最初は幕府はキリスト教を信じているという事を黙認していました。

誰がどんな宗教を信じようと個人の自由だという風に黙認をしていましたが、ある時から、宗教を信じる事を禁じるように考えを改めました。

なぜ考えを改めるようになったのかと言いますと、キリスト教徒がどんどん増加してきたということが理由の一つだと言えます。

キリスト教徒の数がどんどん増加するということは当然ながら危機感を感じる事となります。

キリスト教を信じるがゆえにキリスト教の言いなりになってしまい、もしかすると江戸幕府の支配の妨げになってしまうのではないかという懸念をしたからです。

もし自分が幕府の立場の人間と考えた時に、自分たちの支配が及ばない集団ができてしまうとやはり不安な気持ちに駆られると思います。

だからこそ早い段階でキリスト教の支配を止めることを先決しなければならない、と判断した結果キリスト教を禁止する命令を出すということに至った理由です。

またもうひとつの理由として西の国の大名が貿易をすることによって利益を得ることを抑えようとしようと考えていたということだけの一つとして挙げられています。

キリスト教は海外の宗教なので、海外からやってくる人からもたらされているので、貿易などもその影響で盛んに行われていたので、貿易に関する利益を出さないようにするには、海外の接触を防ぐ事が第一と考えた為です。

二港制限令。

徳永秀忠が発令した命令には二港制限令も含まれています。

この命令は、 徳永家康の死後徳永秀忠が鎖国をするために出した命令になります。

鎖国についてはある程度の方々が歴史で勉強していらっしゃるかと思いますが、他の国との関わりを断つと言う目的をもって行われた政策が鎖国と言われています。

1616年にキリスト禁教令とヨーロッパ船の来航を長崎と平戸の二つの港に制限するという目的で二港制限令を制限が出されています。

外国からの必要な物資は供給しつつ、必要最低限の事以外は接触を禁じるという目的をもっていたとされます。

キリスト教禁教令と今お伝えした二港制限令を発してから、徳永秀忠はキリスト教徒の弾圧政策を次々に実行していくようになります。

最終的には、翌年の1617年に長崎住民に対しての命令として、キリスト宣教師を宿泊させることを禁止にしたり、各地に潜んでいる宣教師などの関係者を摘発するようになっていくのです。

実際に1619年には将軍秀忠が伏見を訪れた時に頭の中にいたキリシタンと、そのキリシタンと関わりなった信者たちを全て処刑するように命令したという事もわかっています。

そのほかにも、幼い子供も含めた50人以上の信者を火あぶりに処すなど、秀忠の断固としたキリシタンに対する弾圧の姿勢がわかるエピソードも存在しています。

踏み絵を発案したのは誰⁉︎

ここまで弾圧される事となったキリシタンですが、キリシタンを判別するための踏み絵を発案した方が誰なのか気になる所ですよね。

踏み絵を開発した人物は、オランダ人と言われる説もありますが、沢野忠庵が作ったと言われる説などがあります。

しかしながら、この説に関しては証拠がなく、いまだ判明されていないので、誰が作ったかについては謎になっていると判断するしかできません。

隠れキリシタンの増加。

キリシタンを見つけるために踏み絵という残酷な手法を取ってきた江戸幕府ですが、キリシタンも黙って処刑される事を是としない人も当然存在します。

人間ですので、自分自身の命がかかった状況になると、これまで信じてきた神の存在も、命の方が上回ってしまう事があります。

いわゆる、隠れキリシタンという存在と言われています。

隠れキリシタンは、踏み絵を求められたときに、キリストやマリアの書かれた絵を踏んでいたそうですが、実際は隠れて祈りを捧げていたり、絵を踏んでしまった事を祈りによって許しをこうなどの行動を取っていました。