お礼を言わない
傲慢な人は、自分のための舞台は常に準備されていて当たり前、という主演俳優の感覚で生きています。
周囲の人たちがそのために、苦心の段取りを重ねていたことにまで、思いの及ぶことはありません。
かなり鈍いといっていいでしょう。
当然、いちいち人に頭を下げ、お礼を述べるという感性を持ち合わせていません。
そうしているうちに無礼な人という評は、確固としたものに育っていきます。
こうした無礼が重なると、取り返しがつかない事態を招くことも十分あり得ます。
気を遣わない
傲慢な人は、上下関係をはじめ、社会的な人間関係の感覚をあまり身につけていません。
こうした面においては、比較的のんびりと過ごして来た人が多いのでしょう。
恵まれて育ち、あまり周囲に対して気を遣う必要はなかったと考えられます。
しかしその反対に、他人には自分を気にかけるように求めます。
これは明らかに一方通行です。
それでも天真爛漫さや誠実さの持ち合わせさえあれば、多少の不作法は帳消しにすることも可能でしょう。
しかし傲慢という評判をとるような人にとっては、ないものねだりに過ぎないかも知れません。
協調性がない
傲慢な人は、一般的に集団行動を苦手としています。
一匹狼またはお山の大将的な気質を持っていて、対等な立場においての協力はあまり得意とはしていません。
そうかといってすぐれたリーダーシップがあるというわけでもなく、またリーダーとして期待されているわけでもありません。
結局のところ協調性とはいつまでたっても無縁のままです。
傍目にはあまり必要な人間のように感じられません。
ときに人数合わせのために存在しているだけのようにも見えます。
とにかく当人の信じているほど、周囲にとって重要な存在ではなさそうです。
孤立している
傲慢な人は、これまでのさまざまな検討から考えても、本人の感覚と周囲の感覚に大きなギャップのあることは明らかです。
本人は自分を中心にすべてのプロジェクトが回っている、と考えているかも知れません。
しかし周囲の人にとって、そのようなグループは架空の存在に過ぎません。
本当は誰からも当てにされていないことが多いのです。
そして孤立しているのに気付かないのは、当の人だけです。
こういうの状況が、傲慢な人を取り巻く一般的な状況ではないでしょうか。
️傲慢な人、周りにいませんか?
以前にくらべると、傲慢でむさくるしい人は、かなり急速に減少しているように思います。
ハラスメントなどにより世間からむりやり退場を強いられた人もいるかもしれません。
、しかし一番大きな原因は定年による引退でしょう。
世代交代による社会風土の変化です。
かわりに社会に登場してきた若い世代には、少し危なっかしくても、傲慢という感じは少ないように思います。
むしろ打たれ弱さの方が気にかかりります。
ただし、傲慢というのは、尊大な態度や語り口だけに限りません。
結果としてこれは傲慢だった、ということは十分あり得ます。
東北で良かったと発言した今村復興相の外にも、台風が東京をそれた状況に対して「良かった」と発言したアナウンサーもいました。