みなさんは三種の神器と聞くとどんなものが思い浮かびますか。

三種の神器は時代によって全く別のものに変わるものなので、人によってはそれぞれ違ったものが思い浮かぶかも知れませんね。

今回はそんな三種の神器についてまとめてみました。

三種の神器って聞いたことありますか?

そもそも、みなさんは三種の神器という言葉を聞いた事があるでしょうか。

三種の神器とは元々、日本古来から伝わる言葉で、歴代天皇家にまつわるものです。

学生時代に歴史の授業などでもしかしたら触れた事があるという人もいるかも知れませんね。

その後も日本では時代の移り変わりとともに、様々な三種の神器と呼ばれるもが誕生しました。

ここからはそんな三種の神器の詳しい内容についてご紹介します。

三種の神器について知ろう!


これまで色々な三種の神器が誕生しましたが、三種の神器と呼ばれるものにはちゃんと意味や使い方があります。

一体どんなものが三種の神器となるのか、以下を参考に見ていきましょう。

意味

現在でも日常生活の中や色々な場面で三種の神器になぞらえる事があります。

日常会話の中などで聞く事がある三種の神器の使い方としては、何かをする為には欠かせないもの、あるとより便利とされるものなどです。

使い方

三種の神器の現在の主な使い方としては、例えば現代人がビジネスシーンで必要なもの、スキルであったり、モテる女子に必要なファッションやメイクなど、個人的に必須と思われるものも、三種の神器としてなぞらえれる事もあります。

類語

三種の神器と同じような言葉の中には、三種の神宝、みくさのたからなどがあります。

昔の三種の神器と祀られている場所


三種の神器の歴史はとても古く、今でも明らかになっていない事があると言われていますが、古事記や日本書紀にその記載によると、遥か昔に天照大神(アマテラス)の孫、ニニギノミコトが神々が住んでいたと言われる場所、高天原から地上に降り立った時に天照大神から鏡、勾玉、剣をそれぞれ授かりました。

まさにそれこそが三種の神器と呼ばれるものであり、神の宝だったのです。

この三種の神器はとても貴重な神宝であった為、その後は初代天皇として即位する事となった神武天皇のもとへ贈られ、保持する事となりました。

そして現在も歴代天皇から代々受け継がれているものであり、三種の神器を所持している事こそが正当な皇位継承者である証になっているのです。

このように、元々三種の神器とは神の創造物であり、その実態については謎に包まれている部分がたくさんあります。

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)

天叢雲剣は日本神話に登場するスサノオという神が手にしたと言われる剣です。

出雲国のヤマタノオロチという8本の頭と尾を持った怪物をスサノオが退治したという話は有名ですよね。

そのヤマタノオロチの尾から現れたというのが天叢雲剣と言われています。

その後、スサノオは姉である天照大神にその剣を献上し、ニニギノミコトが地上に降り立った際に、ほかの神器と一緒に託されました。

更に時は過ぎて八咫鏡と共に天叢雲剣は天皇家に祀られていましたが、途中で八咫鏡と共に垂仁天皇の皇女が引き継ぐ事となり、現在の伊勢神宮に祀られるようになりました。

その後、ヤマトタケルが伊勢神宮を訪れた際に、皇女から天叢雲剣を手渡されましたが、駿河で火攻めにあった際にこの剣が勝手に鞘から飛び出して、目の前の草を薙ぎ払いヤマトタケルの命を救った事から、草薙の剣と呼ぶようになったと言われています。

但し、草薙の剣の記述については異説とされており、他にもヤマトタケル自身が剣で草を薙ぎ払って生き延びる事ができたという説もある他、天叢雲剣と草薙の剣は全くの別物であるという説もあります。

熱田神宮

ヤマトタケルは後に病死してしまいますが、妻がその剣を祀った事から、熱田神宮が誕生したと伝えれられています。

その為、熱田神宮は天叢雲剣の御神体として祀られており、レプリカは皇居吹上新御殿所にある、剣璽の間に安置されています。

熱田神宮の祭神は天叢雲剣を神体とする天照大神と言われていますが、天叢雲剣と深い関わりのあるヤマトタケルを祭神とするという説もあります。

尚、熱田神宮は現在の愛知県名古屋市にあります。

八咫鏡(やたのかがみ)

八咫鏡は日本神話において、天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、この世がの全てが闇に包まれてしまった時に登場したと言われています。

天照大神とは太陽を意味する存在だったのです。

そんな暗闇が支配する世の中に困り果てた神々は、天の安河に集まって儀式を行ったり、騒いだりしましたが、天照大神は一向に天の岩戸から出てくる気配がありませんでした。

そしてアメノウズメという女神が岩戸のそばで衣を脱ぎ、妖艶な踊りを披露すると周りの神々が大笑いをしたのでした。

すると、外の様子が気になった天照大神がそっと岩戸を開けた時に、アメノウズメが「あなたより優れた神が見つかった」と言い、天照大神はどんな神なのか顔が見たくなり、岩戸を開けたその時に力持ちの男神、アメノタヂカラオが一瞬の隙をついて、天照大神を岩戸から引きずり出してしまうのでした。

こうして、この世はまた明るくなりましたが、天照大神が気になって岩戸から見た神の顔とは、鏡に映った自分自身の姿だったのです。

その、鏡こそが八咫鏡だったと言われています。

八咫鏡は天の岩戸の舞台となった、天の安河の河原にあった岩や鉄を金敷にして作ったものだったのでした。

その後は、ニニギノミコトが地上に降り立った際に、天照大神から八咫鏡を授ける事となりますが、その時に天照大神が八咫鏡を私の事だと思って大事にしなさいとニニギノミコトへ伝えたのだそうです。

伊勢神宮

八咫鏡は現在の三重県伊勢市にある神社で、神宮内宮に御神体として祀られており、レプリカは皇居賢所に安置されています。

伊勢神宮は日本に存在する神社のほぼ全てが加盟している神社本庁の本宗でもある、まさに神社の総本山と言えるべき存在です。

伊勢神宮は内宮と外宮の二つの正宮が存在しており、内宮に天照大御神を祀った皇大神宮と、豊受大御神がそれぞれ祭神としています。

伊勢神宮と言えば、毎年年始に内閣総理大臣が参拝をしていますが、これは天皇家の祖先を祀っている神社であり、古くから皇室とも深い関わりがあると言われています。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

八尺瓊勾玉は上の記事でもご紹介した、天照大神が天の岩戸にお隠れになった際に、タマノオヤノミコトが作った勾玉であり、八咫鏡と一緒に榊の木に掛けられたと言われています。

つまり、八咫鏡と八尺瓊勾玉は地上ではなく、神々が住んでいた高天原で作られたものでした。

八尺瓊勾玉は、大きな勾玉や長い緒に繋いだ勾玉とも言われていますが、正確な形状は明らかになっていません。

八尺は約180cmの長さになりますが、八尺瓊勾玉が作られた当時の尺は現在より短いものであり、そもそも八尺が勾玉のどの部分の長さなのか、繋いだ緒の部分も含まれるのか不明な点があります。

また、「瓊」とは赤い色の玉を意味する文字である事から、メノウであるという説もあるようです。

皇居

八尺瓊勾玉は上の記事でもご紹介した天叢雲剣のレプリカと同じ皇居吹上新御殿所の剣璽の間に安置されています。

八尺瓊勾玉は璽とも言い、剣と合わせて剣璽と称される事からなのかも知れませんね。

八尺瓊勾玉は八咫鏡、天叢雲剣とともに天照大神からニニギノミコトへ授けました。

その後については、日本書紀の記述によると、690年に女帝、持統天皇が即位した後も、忌部氏が神璽の剣鏡を奉ったと言われています。

更に、平家物語でも有名な平安時代末期に起こったと言われる壇ノ浦の戦いで二位の尼(平清盛の正室)が安徳天皇を抱いたまま入水し自害してしまいますが、その時に二位の尼は八尺瓊勾玉と天叢雲剣も一緒に抱えていました。

しかし、八尺瓊勾玉は箱に入っていた為に、沈まずに浮かび上がったところを源氏に回収されたと言われています。

戦後の三種の神器

昔の三種の神器には長い歴史があった事がお分かり頂けたと思いますが、神話を超えて現実社会にも三種の神器と呼ばれるものが誕生しました。

有名なものでは第二次世界大戦後、当時貧しかった日本人の暮らしから、新しい時代の生活必需品とされていた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が歴代の皇位継承に欠かせないものであった三種の神器になぞらえたものでした。

しかしながら、1956年に内閣府が発行した経済白書には「もはや戦後ではない」という文章を発表し、戦後復興の終了を告げたのでした。

この頃から日本の経済が急成長をし始める事になります。

その後、1960年代に入ると高度成長期を迎えた日本では、その好景気からカラーテレビ、クーラー、自動車が新・三種の神器として選ばれ、それぞれアルファベットの頭文字であるCを取って3Cとも呼ばれていました。

更に冷戦後となる1990年代に入ると、その後も様々な新・三種の神器と呼ばれるものが誕生したのです。

ここからは、そんな戦後の日本で新たに誕生した三種の神器についてご紹介します。

白黒テレビ

戦後において家電の三種の神器として最も早く普及したものがこの白黒テレビだったと言われています。

と言っても、当時の白黒テレビは大変高価な代物であり、一般家庭には手の届かない存在でありました。

その為、街中に設置されていた街頭テレビや、比較的に集客力が高い店舗などが早期に設置されるようになり、多くの人はそのような場所で白黒テレビを楽しんでいました。

そんな貴重な白黒テレビを購入できた裕福な家庭には、近所の住民達が集まり、皆で一緒に白黒テレビを鑑賞するのも珍しくありませんでした。

しばらくすると、白黒テレビの価格が下がるようになり、1958年に完成した東京タワーとミッチーブーム(現在の天皇皇后両陛下のご成婚)を境に急激に普及し始めるようになったと言われています。

洗濯機

日本では1930年に洗濯機が誕生し、それまでたらいと洗濯板でゴシゴシと衣服を洗濯していた長い時代もようやく終わりましたが、まだまだ当時の市民には高価で普及するまでには至りませんでした。

それからしばらく経った1953年になると、三洋電機から噴流式洗濯機が誕生しました。

これは洗濯機の底が回転する構造になっており、シンプルながらに洗濯時間も短い上に比較的低価格であった事から、当時の主婦層に人気商品となって一気に普及し始めるようになりました。

尚、一槽式であった為、脱水は手で絞るか付属のローラー部分で行う必要がありましたが、この電気洗濯機の誕生によって、当時の主婦の手荒れの心配が無くなくなりました。

この噴流式洗濯機の誕生はまさに現在の洗濯機の原点とも言えるものであり、その後の洗濯機の開発に大きな影響を与えたと言われています。

冷蔵庫

戦後の家電三種の神器と呼ばれた中で最も普及が遅かったのがこの冷蔵庫だったと言われています。

冷蔵庫の歴史は古く、1834年にアメリカの発明家パーキンスによって世界初の冷凍庫が開発されました。

揮発材となる冷媒を空気ポンプで冷凍庫内の気圧を下げる事によって、冷媒を蒸発させて気化熱を下げるというしくみのものでした。

そして、1870年に高熱で苦しんでいた福沢諭吉の為に、日本で最初の冷凍庫の開発に成功。

少量の氷を作る事で、熱冷ましとして使われた事が始まりだったのでした。

そして、国産として最初に冷蔵庫が誕生したのは1930年の事でしたが、当時は庭付きの家が買えてしまうくらいの高級品であった為、一般家庭に普及するまでには至りませんでした。

それから各電気メーカーによる開発が進むと、次第に量産化されるようになり1950年代後半になると、ようやく一般家庭にも普及が及ぶようになりました。

この頃には現在の冷蔵庫にあるような、冷凍機能もあるタイプが販売されるようになった為、これまで悩まされていた食材の保存も可能になり、子供たちの間ではアイスクリームがおやつとして人気となりました。

2003年「新・三種の神器」

2003年頃から普及し始めたデジタル家電が注目されるようになった事から、新・三種の神器と呼ばれるものが誕生しました。

戦後にあった三種の神器と呼ばれる家電製品との違いは何と言ってもデジタル化された家電製品であるというところです。

時代の流れを感じますよね。

尚、翌年の2004年には食器洗い乾燥機、IHクッキングヒーター、生ごみ処理機がキッチン三種の神器などと呼ばれるものもありました。

これらはすべてテレビやマスコミ、家電メーカーなどが提唱したものです。

デジタルカメラ

便利で使いやすいデジタルカメラも、現在では一般的にも知られるようになり、旅行や趣味にも大活躍の家電製品ですよね。

そんなデジタルカメラの歴史は意外と古く、1975年にイーストマン・コダック社が世界で初めてのデジタルカメラの開発に成功したと言われています。

日本での最初に誕生したデジタルカメラは1981年にソニーが磁気記録方式を用いたマピカという名前のものでしたが、この時点では製品化には至りませんでした。

その後、1986年にキヤノンのRC-701というデジタルカメラが初の製品化に成功しましたが、高額であった為に一般向けとはとても言えない代物でした。

そして1995年にカシオがQV-10の発売しました。

当時の定価で65,000円でありましたが、歴史に残ると言われるほどの大ヒット商品となりました。

何と言ってもこの商品の魅力は撮影したその場で、画像を確認できるという事と、画像をパソコンに保存できるという点であり、フィルム式カメラには無い機能を持っていました。

写真愛好家としては、まだまだ画質面では評価されないレベルの商品でしたが、このQV-10の登場はその後のデジタルカメラ開発に一石を投じる結果となり、他メーカーでもデジタルカメラが次々と発売されるようになりました。

それまでフィルム式カメラを性能面を超えるものはないと思われていたデジタルカメラでありましたが、より小型化、高画素数なデジタルカメラの開発が他メーカーで競争となり、その性能と価格の値下がりも実現できた事から、2005年頃には遂にその立場を逆転に成功。

その頃にはデジカルカメラが新・三種の神器の一つとしても知られるようになっており、フィルム式カメラの売り上げ販売台数をデジタルカメラが追い越す結果となりました。

現在でも、デジカルカメラの開発は更に続いており、利用できる範囲も広まっています。

DVDレコーダー

DVDレコーダーはDVDの再生や録画もできる一般家庭には欠かせない存在ですよね。

それまでテレビの録画はVHSアナログ式でビデオテープに記録をするビデオテープレコーダーが主流でした。

DVDレコーダーの販売当初は、まだHDDが搭載されていませんでしたが、後にDVDレコーダーにはHDDが搭載されているものが発売され、現在DVDレコーダーにはHDDが搭載されているものがほとんどです。

1999年にパイオニアが世界初となるDVDレコーダーDVR-1000を発売しましたが、価格が25万円とかなりの高額で、HDDは搭載されていませんでした。

その後も他のメーカーでDVDレコーダーの製品が開発されていましたが、まだ一般家庭に普及するまでには至りませんでした。

2001年になると東芝が世界初のHDD搭載型のDVDレコーダーRD-2000を発売しましたが、購入者からHDDに不具合が生じるなどの訴えが相次ぐなどのリコールの問題もありました。

また、同じ頃2000年に発売されたプレイステーション2にはゲームを楽しむだけでなく、DVD-ROMに対応していた為、市販のDVDビデオなども再生機能が搭載されていました。

また、当時販売されていたのDVDプレイヤーは10万円前後という価格でしたが、プレイテーション2は発売当初39,800円という価格で購入できる事から、DVDプレイヤー代わりに購入するユーザーも多数存在していました。

その後、BSやCSでのデジタル放送が開始される中で、2002年に松下電器産業がDMR-E30を発売。

低価格という事もあってVHSとの差を一気に離し、DVDレコーダーは徐々に一般化していくようになります。

そして2003年、ソニーが発表したスゴ録シリーズのDVDレコーダーがヒット商品となりました。

尚、ヒットの要因となったのは、当時NHK-BSで放送していた韓流ドラマ「冬のソナタ」を録画したいという視聴者が多数存在しており、特にアナログBSチューナーを内蔵したモデルがよく売れた事もあり、一般家庭には欠かせない存在として世間に認知されるようになった為と言われています。

また、2003年は地上デジタル放送が開始された年でもあります。