しかしながら、1956年に内閣府が発行した経済白書には「もはや戦後ではない」という文章を発表し、戦後復興の終了を告げたのでした。
この頃から日本の経済が急成長をし始める事になります。
その後、1960年代に入ると高度成長期を迎えた日本では、その好景気からカラーテレビ、クーラー、自動車が新・三種の神器として選ばれ、それぞれアルファベットの頭文字であるCを取って3Cとも呼ばれていました。
更に冷戦後となる1990年代に入ると、その後も様々な新・三種の神器と呼ばれるものが誕生したのです。
ここからは、そんな戦後の日本で新たに誕生した三種の神器についてご紹介します。
白黒テレビ
戦後において家電の三種の神器として最も早く普及したものがこの白黒テレビだったと言われています。
と言っても、当時の白黒テレビは大変高価な代物であり、一般家庭には手の届かない存在でありました。
その為、街中に設置されていた街頭テレビや、比較的に集客力が高い店舗などが早期に設置されるようになり、多くの人はそのような場所で白黒テレビを楽しんでいました。
そんな貴重な白黒テレビを購入できた裕福な家庭には、近所の住民達が集まり、皆で一緒に白黒テレビを鑑賞するのも珍しくありませんでした。
しばらくすると、白黒テレビの価格が下がるようになり、1958年に完成した東京タワーとミッチーブーム(現在の天皇皇后両陛下のご成婚)を境に急激に普及し始めるようになったと言われています。
洗濯機
日本では1930年に洗濯機が誕生し、それまでたらいと洗濯板でゴシゴシと衣服を洗濯していた長い時代もようやく終わりました。
しかし、まだまだ当時の市民には高価で普及するまでには至りませんでした。
それからしばらく経った1953年になると、三洋電機から噴流式洗濯機が誕生しました。
これは洗濯機の底が回転する構造になっており、シンプルながらに洗濯時間も短い上に比較的低価格であった事から、当時の主婦層に人気商品となって一気に普及し始めるようになりました。
尚、一槽式であった為、脱水は手で絞るか付属のローラー部分で行う必要がありました。
この電気洗濯機の誕生によって、当時の主婦の手荒れの心配が無くなくなりました。
この噴流式洗濯機の誕生はまさに現在の洗濯機の原点とも言えるものであり、その後の洗濯機の開発に大きな影響を与えたと言われています。
冷蔵庫
戦後の家電三種の神器と呼ばれた中で最も普及が遅かったのがこの冷蔵庫だったと言われています。
冷蔵庫の歴史は古く、1834年にアメリカの発明家パーキンスによって世界初の冷凍庫が開発されました。
揮発材となる冷媒を空気ポンプで冷凍庫内の気圧を下げる事によって、冷媒を蒸発させて気化熱を下げるというしくみのものでした。
そして、1870年に高熱で苦しんでいた福沢諭吉の為に、日本で最初の冷凍庫の開発に成功。
少量の氷を作る事で、熱冷ましとして使われた事が始まりだったのでした。
そして、国産として最初に冷蔵庫が誕生したのは1930年の事でしたが、当時は庭付きの家が買えてしまうくらいの高級品であった為、一般家庭に普及するまでには至りませんでした。
それから各電気メーカーによる開発が進むと、次第に量産化されるようになり1950年代後半になると、ようやく一般家庭にも普及が及ぶようになりました。
この頃には現在の冷蔵庫にあるような、冷凍機能もあるタイプが販売されるようになった為、これまで悩まされていた食材の保存も可能になり、子供たちの間ではアイスクリームがおやつとして人気となりました。
2003年「新・三種の神器」
2003年頃から普及し始めたデジタル家電が注目されるようになった事から、新・三種の神器と呼ばれるものが誕生しました。
戦後にあった三種の神器と呼ばれる家電製品との違いは何と言ってもデジタル化された家電製品であるというところです。
時代の流れを感じますよね。
尚、翌年の2004年には食器洗い乾燥機、IHクッキングヒーター、生ごみ処理機がキッチン三種の神器などと呼ばれるものもありました。
これらはすべてテレビやマスコミ、家電メーカーなどが提唱したものです。
デジタルカメラ
便利で使いやすいデジタルカメラも、現在では一般的にも知られるようになり、旅行や趣味にも大活躍の家電製品ですよね。
そんなデジタルカメラの歴史は意外と古く、1975年にイーストマン・コダック社が世界で初めてのデジタルカメラの開発に成功したと言われています。
日本での最初に誕生したデジタルカメラは1981年にソニーが磁気記録方式を用いたマピカという名前のものでしたが、この時点では製品化には至りませんでした。