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3種の神器って何?神話や家電などパ...(続き2)

その為、熱田神宮は天叢雲剣の御神体として祀られており、レプリカは皇居吹上新御殿所にある、剣璽の間に安置されています。

熱田神宮の祭神は天叢雲剣を神体とする天照大神と言われていますが、天叢雲剣と深い関わりのあるヤマトタケルを祭神とするという説もあります。

尚、熱田神宮は現在の愛知県名古屋市にあります。

八咫鏡(やたのかがみ)

八咫鏡は日本神話において、天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、この世がの全てが闇に包まれてしまった時に登場したと言われています。

天照大神とは太陽を意味する存在だったのです。

そんな暗闇が支配する世の中に困り果てた神々は、天の安河に集まって儀式を行ったり、騒いだりしましたが、天照大神は一向に天の岩戸から出てくる気配がありませんでした。

そしてアメノウズメという女神が岩戸のそばで衣を脱ぎ、妖艶な踊りを披露すると周りの神々が大笑いをしたのでした。

すると、外の様子が気になった天照大神がそっと岩戸を開けた時に、アメノウズメが「あなたより優れた神が見つかった」と言ったのです。

天照大神はどんな神なのか顔が見たくなり、岩戸を開けたその時に力持ちの男神、アメノタヂカラオが一瞬の隙をついて、天照大神を岩戸から引きずり出してしまうのでした。

こうして、この世はまた明るくなりましたが、天照大神が気になって岩戸から見た神の顔とは、鏡に映った自分自身の姿だったのです。

その、鏡こそが八咫鏡だったと言われています。

八咫鏡は天の岩戸の舞台となった、天の安河の河原にあった岩や鉄を金敷にして作ったものだったのでした。

その後は、ニニギノミコトが地上に降り立った際に、天照大神から八咫鏡を授ける事となります。

その時に天照大神が八咫鏡を私の事だと思って大事にしなさいとニニギノミコトへ伝えたのだそうです。

伊勢神宮

八咫鏡は現在の三重県伊勢市にある神社で、神宮内宮に御神体として祀られており、レプリカは皇居賢所に安置されています。

伊勢神宮は日本に存在する神社のほぼ全てが加盟している神社本庁の本宗でもある、まさに神社の総本山と言えるべき存在です。

伊勢神宮は内宮と外宮の二つの正宮が存在しており、内宮に天照大御神を祀った皇大神宮と、豊受大御神がそれぞれ祭神としています。

伊勢神宮と言えば、毎年年始に内閣総理大臣が参拝をしています。

これは天皇家の祖先を祀っている神社であり、古くから皇室とも深い関わりがあると言われています。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

八尺瓊勾玉は上の記事でもご紹介した、天照大神が天の岩戸にお隠れになった際に、タマノオヤノミコトが作った勾玉であり、八咫鏡と一緒に榊の木に掛けられたと言われています。

つまり、八咫鏡と八尺瓊勾玉は地上ではなく、神々が住んでいた高天原で作られたものでした。

八尺瓊勾玉は、大きな勾玉や長い緒に繋いだ勾玉とも言われていますが、正確な形状は明らかになっていません。

八尺は約180cmの長さになりますが、八尺瓊勾玉が作られた当時の尺は現在より短いものであり、そもそも八尺が勾玉のどの部分の長さなのか、繋いだ緒の部分も含まれるのか不明な点があります。

また、「瓊」とは赤い色の玉を意味する文字である事から、メノウであるという説もあるようです。

皇居

八尺瓊勾玉は上の記事でもご紹介した天叢雲剣のレプリカと同じ皇居吹上新御殿所の剣璽の間に安置されています。

八尺瓊勾玉は璽とも言い、剣と合わせて剣璽と称される事からなのかも知れませんね。

八尺瓊勾玉は八咫鏡、天叢雲剣とともに天照大神からニニギノミコトへ授けました。

その後については、日本書紀の記述によると、690年に女帝、持統天皇が即位した後も、忌部氏が神璽の剣鏡を奉ったと言われています。

更に、平家物語でも有名な平安時代末期に起こったと言われる壇ノ浦の戦いで二位の尼(平清盛の正室)が安徳天皇を抱いたまま入水し自害してしまいます。

その時に二位の尼は八尺瓊勾玉と天叢雲剣も一緒に抱えていました。

しかし、八尺瓊勾玉は箱に入っていた為に、沈まずに浮かび上がったところを源氏に回収されたと言われています。

戦後の三種の神器

昔の三種の神器には長い歴史があった事がお分かり頂けたと思います。

神話を超えて現実社会にも三種の神器と呼ばれるものが誕生しました。

有名なものでは第二次世界大戦後。

当時貧しかった日本人の暮らしから、新しい時代の生活必需品とされていた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が歴代の皇位継承に欠かせないものであった三種の神器になぞらえたものでした。