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善行をするべき4個の理由(続き3)

善行を積もうとするような場合には、憎しみから解き放たれた広い心の状態で行うようにしましょう。

最初の内はそれが難しいかもしれませんが、それを心がけていることで、いつかできるようになるのではないでしょうか。

許しながら善行を行う

 相手のことを許しながら善行を行うというのも大切です。

許しというのは広い心がなければできないことです。

善行を積もうとする場合には、そうした広い心で相手のことを許すようにしてください。

どうしても憎しみを抱いてしまうようなときには、相手のことを許しているのだと思い、憎しみを打ち消すようにして見てくださいね。

善行したことってありますか?

 善行を積むことが良いことだというイメージを持っていても、実際に善行を積むようなことをしたことがある人は少ないものです。

それでは、しようと思っているのに、どうしてできないのでしょうか。

善行をしたことがある人が少ないのはなぜなのでしょうか。

そもそも興味がない人が多いのでしょうか。

しなきゃと思っても出来ない人は多いはず

 善行というと良いイメージがありますし、善行を積むべきだという道徳的な授業を聞いたことがある人もいるでしょう。

そのために、しなければと思っている人も少なくないはずです。

ですが、実際に善行をしようと思っている人が多かったとしても、それを実行できる人は少なくありません。

心のどこかで、善行を積むことが良いことだということを知っていながらも、それをできる人は少ないのです。

知っているだけで、実際にできないとの方が多いのです。

興味がないわけではないのです。

しなきゃと思ってもできない人が多いのです。

その理由には、善行がそもそもどのような行いであるのかを考えると分かるでしょう。

善行ってどういう行い?

 基本に立ち返ってみましょう。

善行とはどのような意味合いがあって行われるものなのでしょうか。

善行の意味が分からなければ、自分行っているものが本当に善行であるのかということが判断できないですよね。

そもそも善行とはどのような意味のものであるのかをまとめました。

お礼や見返りを求めない行為や行動

 善行というのは、相手に対してのお礼や見返りを求めない行為や行動のことを指します。

お礼の言葉さえも求めないというのが難しいところだと言えるでしょう。

見返りを求めるのが良い行動であるとはもちろん、言えません。

ですが、お礼の言葉さえも求めないというと、なかなかできていない人も多いのではないでしょうか。

誰でも、お礼の言葉を求めないというのは難しいもので、自然と相手から「ありがとう」と言われることを前提に動いてしまっていることがほとんどなのです。

何も求めずに与えるだけというのは、精神的な余裕がなければできない側面もあるかもしれませんね。

そのために、善行を施すのはそう簡単なことではないというイメージを持っている人も多いのでしょう。

偽善とどう違うの?

 善行と良く勘違いされるのが、偽善です。

偽善と善行は全く正反対のものに思えますが、実はこれらはとても似通っています。

善行を積んでいたはずなのに、それがいつの間にか偽善になってしまっているということも珍しくありません。

偽善は見返りを求める行為

 善行と偽善の大きな違いは、偽善が見返りを求める行為であるということです。