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神隠しって本当にあるの?昔から伝わ...(続き2)

しかしながらそれでも知っている部屋の中から知らない間に櫛が取られてしまうということもあると言われており、理由としては神を祀るものに関しては櫛を必要としていると昔から言われておりもの隠しにあったものについてはそういった理由から櫛を取りに戻ると言われています。

行方不明の数

神隠しと言う言葉は結局のところが行方不明という状況と同じ意味合いだと認識することができます。

どこへ行ったかわからなくなり消息がつかないという状況を何らかの言葉で意味しようと考えた時に神隠しと言う言葉が適切であったと考えるのが自然な例ですよね。

では実際に行方不明として処理されている件数はどれくらいあるのか気になりませんか?
正確な数字ではないかもしれませんが警察が発表している日本の行方不明者に貸した毎年8万人を超えていると言われています。

毎年8万人を超えた行方不明者がいると考えるととても怖いことですよね。

8万人という数字を1年間では生きると219人という数字に近くなるので、1日に換算すると1日219人の人が行方不明になっているという計算になります。

そう考えてみるととてつもなく怖い状況だと考えられますよね。

特に日本に関しては島国なので、隣接している国がないという状況もあるので他の国に行ったということもなかなか可能性としては低いでしょうし、島などにに移り住んだとしても家族に報告もせずに行くと言う事は考えにくいですよね。

なんとなくちょっと考えただけでもぞっとしてしまう様な数字です。

神隠しの実話

ここまでは具体的に神隠しという言葉の意味はについてご紹介していきました。

それではここからは実際に起きた神隠しの実話についてご紹介をしていきたいと思います。

怖い話不思議な話に関して恐怖を覚えてしまう方もいると思いますので比較的柔らかくお話をしていきたいと思いますので、安心して興味がある方は閲覧してください。

①志塚法子さん行方不明事件

まずご紹介するのは1998年に起きた事件であり、神隠しと呼ばれている志塚法子さん行方不明事件です。

事件の発端としては1998年に千葉県の主婦である志塚法子さんが家族と赤城神社に訪れてそのまま行方不明になってしまうという内容になっています。

もともとその日は雨が降っていたそうで、雨を防ぐために家族が車の中に止まっていたそうですが、志塚法子さんはせっかくだからお賽銭を上げて来ようと思い立ち一人で神社へ向かったそうです。

しかしながら最終的に志塚法子さんは戻ってくることはなく結局志塚法子さんを心配した家族が警察に通報して100人態勢で捜索を行っていたそうですが志塚法子さんが見つかる言葉なかったそうです。

どこか危険な場所に足を踏み入れてなくなってしまった可能性がないかどうかも踏まえた上で探していたそうですが元々その付近の山道に関しては綺麗に整理されている山道で蟻掛けなどの危険な場所に迷い込むということも考えにくく不審な人物の目撃情報などもなかったことからなぜいなくなってしまったのか全く見当がつかないという結論に至ってしまいました。

一つだけになる点としては志塚法子さんがお賽銭を上げてくると言い残して一人で神社へ向かった後に娘さんがなぜか境内とは別の方向で佇む志塚法子さんの姿を目にしているという証言が唯一残っており、この件を考えると何かしら不可思議な点が湧いてくるといえますが、結局事件解決には至っていないという状況になっています。

しかしながら事件に関して不審な点は存在しているといえます。

元々志塚法子さんの姿がピンクのシャツに黒のスカートそして赤い傘というかなり目立つ格好をしていたので、人目に付きやすい格好でもありました。

そして志塚法子さんがいなくなった神社ではゴールデンウィーク期間中ということもあってかなりの参拝客が存在しており、その参拝客の中にホームビデオとして撮影をしていた人が警察に対して何らかの有力な証拠に結びつくのではないかということで動画を提供してくれたそうなのですが、その動画の中には志塚法子さんと思しき人物が何者かに傘を差し出す様な形で小さく映り込んでいたと言われています。

冷静に考えてみると自分の持ってる傘を差し出すような姿というのはどういう状況なのか見当もつかないですよね。

雨が降っていたとするのであれば誰かに対してこの傘を使って下さいを言うような親切心で喋りかけているのかどうか定かではありませんが、想像できるとすればその程度のことしか考えることができませんね。

そしてもう一つ気になる点としては失踪した後に数回ほど無言電話が自宅にかかってきているという点です。

ちなみにその無言電話がどこからかかってきたのかと考えると大阪と米子からの電話だったそうです。

実際にこの事件に関しては失踪から10年経った後の2008年に関しても入らを500枚配布して情報提供呼びかけたりテレビ番組などでも使われたりしていたので、かなり人々の関心も高くなおかつ家族の本気の気持ちも伺えるのでそんな状況で急になくなってしまうというのは考えにくい事なので、何らかの事件に巻き込まれたと考える方が可能性としては高いと言えます。

②徳島県貞光町で起こった事件

次にご紹介するのは松岡伸矢くん行方不明事件です。

これは徳島県貞光町で起こった事件です。

元々松岡伸矢くんの一家は茨城県牛久市に住んでおり、父と母そして長女と松岡伸矢くんと次男の5人暮らしであり、お父さんがソフトウェア技術者として勤務していたためなかなか深夜まで残業を行ったり休日出勤ばかりで子供と遊ぶ時間がなかったということを気にしていたので 、子供達と過ごす時間を少しでも多くするために転職して新しい仕事に就いたばかりだったといわれています。

この位置から徳島県に行ってきた理由としては奥さんのお母様が急になくなってしまい葬儀に参列するために徳島県に行って来た事が発端であり親戚の家を訪れて親戚の家に泊まっている間に事件は起こったそうです。

葬儀が行われた翌々日の午前中にお父さんが子供といとこの子供を連れて近所に散歩に出かけたそうなのですが、もともとその場所の土地柄として標高200m ほどの山間部の林道の終点近くに存在する場所であり、行動から山の斜面に向けて私道が伸びておりその斜面に親戚の家の建てられていたので、近所に他の家が存在する訳ではありませんでした。

ちなみに朝食前の時間帯だったので10分ほどで散歩を切り上げて自宅に戻ってきた時には子供全員がはしゃぎながらお父さんについてきており、家の玄関で前の10メートルほどの石段を登った玄関先まで子供たちの姿をお父さんは全て確認していると言います。