きっとこのページを見ている人は、なにかしら「懺悔したい」と思っていることがあるのでしょう。
懺悔したいと考えているからには、なにかしら罪の意識を抱えているはず。
罪の大きさや内容は人それぞれだとは思いますが、きっとその罪を抱えていることが辛くなってきたことで、懺悔という選択肢を選ぼうとしているに違いありません。
悪いことをした人、罪を犯した人が、そのまま何の障害もなく幸せになっていいのかと問われれば、答えはNOです。
罪は罰せられるべきであり、容易に忘れていいものではありません。
人には罪悪感を感じるための心があります。
罪悪感は、どんなにその根本となる罪を忘れようとしても、意識の奥底に根付き、本心から罪を償って許されない限り一生ついてまわるでしょう。
しかし、罪を抱える人が「幸せになりたい」「解放されたい」と願うことが悪なのかと言うと、そうではありません。
罪を犯してしまったことを悔いて、罪を潔く認めて改めたいと思うようになった心境の変化はとても前向きで素晴らしいことです。
今回はそんな「懺悔」をテーマに、皆さんが懺悔をしようと思うに至った気持ちの変化や懺悔することで得られる新しいビジョンについて考えていきたいと思います。
懺悔をすると気持ちが安らぐ10個の理由
なぜ人は懺悔するのか。
それはごく単純な理由です。
自分の背にのしかかる罪から解放されたいから、罪の意識を捨て去って安らぎを得たいと願うからです。
懺悔とは、まず自分自身と本気で向き合うところが出発点。
自分が犯してしまった過ちがどんなものであろうと、正直に見つめ直すことが第一歩です。
その折、暗く辛い気持ちにもなるでしょう。
しかし、その過ちを一生抱えて生きていくのは、罪と向き合う時間以上に酷く重いものです。
忘れ去ってしまいたい、でも忘れることができない、そんな過ちを全て清算して、新しい自分へ生まれ変わりたいという強い意思を持って臨まねばなりません。
懺悔によって本当の安らぎを手に入れられるかはその人次第です。
懺悔をした人は、罪を抱えていた頃とは打って変わって身も心も洗われたように見違えます。
ずっと閉ざしていた心を開放し、気持ちが安らぎに満たされるようだと言う人も多くいます。
その理由は何故なのでしょうか。
まずは、懺悔をしたいと考える人たちの気持ちを一つずつ紐解くと共に安らぎをもたらす感情の変化を見ていきましょう。
1.気持ちが楽になるから
懺悔したいと思う全員が望むのは、罪からの開放、精算。
いわゆる禊というものでしょう。
懺悔によって罪を清算することで、それまで罪の意識に苛まれていた気持ちを楽にしたいと強く望んでいます。
毎日のように忘れられない過ちを心に抱え、鬱々とした日々を送っている人たちは、なにをするにしても本当の意味での幸福を得られません。
どんなに楽しいことがあっても、どんなに笑えることがあっても、自分の中にある罪悪感や後悔の念が全てを無に還してしまいます。
人の持つ陰の感情は陽の感情よりもはるかに強く、根深いものです。
瞬間的には、暗い感情を忘れることができても、ふとした瞬間に気持ちは陰り、楽しかった想い出や、そうした明るい感情を抱く自分自身の楽観的な姿勢をも罪だと考えてしまうのでしょう。
懺悔をすることで、純粋な喜怒哀楽を受け入れられるようになり、気持ちはとても晴れやかになります。
2.客観的に考えられるから
懺悔するという行為は、まず自分の罪を全て洗い晒い打ち明けることからはじまります。
胸の内に秘めていた後悔を白日の下に曝け出すことはとても勇気が必要です。
ですが、ずっとひた隠しにしてきた事実を人に打ち明けるという行為を通じて、物事を客観的に考えることができるようになります。
何も知らない相手に自分の頭の中を伝える時は、一つずつ筋道を立てて伝えるでしょう。
何がどうしてそうなったのか、その時の感情はどんなものなのかなど、事細かに言葉にすることで、自分で自分を知ることに繋がります。