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懺悔をすると気持ちが安らぐ10個の理由(続き4)

そして、神からの許しがあることを「信じる」ことが不可欠となります。

後ろめたいことがあったり、信じる心が無い人は懺悔をしたところで何の変化ももたらされないでしょう。

反省と懺悔と後悔の違い

反省することと、懺悔することは同じようで全く違うことです。

どういった部分が異なるのか、詳しく見てみましょう。

反省とは?

反省とは自分の行動や言動を「振り返り評価」をすることです。

反省というのは自らの行いを改めるためにすべき「改善行動」です。

他人ではなく自分のためにするもの

反省というのは、あくまで自分の為にするものです。

現在の自分をありのまま受け入れ、顧みる自己分析・自己評価は自らをより高め、向上するためなどポジティブな動機からおこなう行動と言えます。

過去ではなく未来のためにするもの

反省は現状から未来に向けてより飛躍するための手段です。

この行動は、主に未来に向けた「自分への期待」が原動力となっているでしょう。

懺悔とは?

懺悔は、自らの行いが「悪いこと」「罪」であると自覚し、悔いること。

そしてそれを打ち明け許されたいと願うことです。

反省では自らの現状を受け入れたうえで行う行為ですが、懺悔は現状を受け入れることができずにいる状況で、改めて直視しなおすことで過去の過ちを精算しようとする行為となります。

周りの目を気にしてするもの

反省と大きく異なる点は、懺悔は周りの目を気にして行う行為です。

懺悔をする動機は「自分への後悔」という非常にネガティブなもの。

自分が抱いている罪の意識を払拭したいと思う気持ちから、周りから許されたいと考えています。

後悔とは?

後悔というのは、過去に対して思いをはせるどうしようもない罪の念です。

やるせなさに苛まれて、過去を悲観するだけの非生産的な行為だと言えるでしょう。

過去に対してどうしようもないもの

もう変えることができないもの、取り返しのつかないことにたいして、ただただ過去を悔やむだけでは、現状に何の変化もありません。

後悔する時間があるのならば、反省をするべきでしょう。

「後悔先に立たず」というように、終わった後にいくら悔やんでも、なにも生まれません。

懺悔の仕方とは

では、実際に懺悔をするためにはどんな方法があるのでしょうか。

前文にて宗教によってその行いには違いがあると紹介しましたが、今回は仏教的な教えに基づいて懺悔の仕方をいくつか取り上げてみました。

善行を行う

懺悔しなければならない過ちを犯してしまった過去は変えられません。

ですので、ただただ懺悔し心を入れ替えるだけでなく、行動でも償うよう努めていくべきでしょう。

「善行」というのは、道徳にかなった善い行いのことです。

不道徳だった自分を切り離し、善い行いに励むことで人生そのものの歩み方を変化させていくのです。

善行とは、簡単に言うと損得を考えないボランティア活動などのこと。

対価や代償を求めず、自分の気持ちのみを原動力として、周りのためになることをするのは、世の中に貢献したい、役立ちたいという純粋な気持ちが無ければできることではありません。

とはいえ、ただ参加するのでは意味がなく、参加する際の意識の持ち方が重要です。