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懺悔をすると気持ちが安らぐ10個の理由(続き5)

「やってあげる」という気持ちで無く「やらせてもらう」という気持ちで励まねばなりません。

仮に、どこかでお年寄りに手を貸した時「助けてあげた」というより「頼っていただけた」と考えるほうが良いと思いませんか?他人の為に善い行いをすることを、幸せだと心得て、素直で純粋な気持ちを持ち続けましょう。

陰徳を積む

「陰徳を積む」というのは、「善い行いをしていれば、いつかは必ず報われる」という意味を持つ言葉。

中国に古くから伝わる逸話から生まれたものです。

懺悔したところで、その場で本当の意味の許しを得られるかと言うと、皆が皆そうではないかもしれません。

気の持ちようは変わってもどこか不安な部分を抱え続ける人もいるでしょう。

そんな人は、陰徳を積むことで、いつの日か報われることを信じて日々自分を救う道を探し続けます。

人前でもそうでなくても、いかなる時も人に言えないような行いはしないこと。

そして善い行いをすること。

誰かの目を気にするのではなく、どんな時も正直に自分の正しいと思うこと善いと思うことを全うすることで、自分を誇れるようになるはずです。

世のために祈る

自分が為に何かを望むのではなく、誰かの為に望み、祈ることは非常に大変なことです。

自分本意ではなく、人を優先し愛する心がなければできないことですので、懺悔のように心の内に抱える後ろめたい部分があっては成し得ません。

謝る

懺悔は謝るという行為と似ているようで異なるものです。

懺悔は罪を告白して許しを請うこと、謝罪は被害者に対して罪を詫びる事です。

謝罪の対象は人、懺悔の対象は神、こうした違いから、具体性にも違いが生まれます。

懺悔は言ってしまえば自分の為、自分を満足させる行為と言えますが、謝罪は違います。

対象者がいなければ成り立たず、一人でどうこうできる問題ではなくなるのです。

双方の気持ちがきちんと通い合い、謝罪する相手から許して
もらえなければ物事は進みません。

過ちを悔い改め告白することで、気持ちに変化が起こり、それまでできなかった「謝る」という行動を起こす人も多く居ます。

謝ることはイコール許されることにはなりませんが、決して後退する行動ではなく、確実に人として正しい方向へと向かう行為です。

謙虚になる

懺悔することで、人としての在り方を改め、驕りや虚像を全て捨て去って謙虚な姿勢を貫こうというのは大切なことです。

決して派手な行いや誰かに迷惑をかける様な行いをせず、慎ましやかに、控えめに、という謙虚な人として静かに穏やかに過ごしていくのが良いでしょう。

ホ・オポノポノとは?

「ホ・オポノポノ」はハワイ語で「心の洗浄」という意味を持つ言葉です。

その意味の通り、心を洗浄し綺麗状態でいるために、祈り、告白し、後悔するというルーティンを通じて互いを補償し合い、清々しい関係を整え継続させていくもの。

ハワイでは家族会議として、または個人の癒す方法として使われます。

このホ・オポノポノは潜在意識をクリーニングする手段として、現代社会にも受け継が出ています。

「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」この4つの言葉を繰り返すことで潜在意識、すなわち記憶を消去してくれていると言われています。

至って単純なことですが、このルーティンを繰り返すことで自分の奥深くにあるインナーチャイルドへ働きかけ癒しをもたらすんだとか。

そうしてゆくゆくは固執していた記憶を手放すことができると信じられています。

まとめ

あなたの中に、懺悔したいという気持ちがほんの少しでもあるのであれば、そのまましまい込んで問題を先延ばしにせずしっかり向き合うことが重要です。

タイミングを見計らっているのはもうやめにしましょう。

悩み疲れるほど悩み、苦しむことも、時には必要です。

自分なりの解決方法を見出してみてください。