デリケートな人のように、最初から嫌われることを恐れ顔色を伺うような性質とは、やはり違うのです。
むしろ周囲の人が、ナイーブな人だけに傷つけてしまったんじゃないかと怖れ、純粋な物を穢してしまったんじゃないかと不安になる。
それが、デリケートな人への感情と同じになり、ナイーブな人は傷つきやすいから、人の顔色を伺うのではないかと、勝手に思っているだけだと思うんですよね。
人の顔色を伺うのは、ナイーブな人ではなく、デリケートな人なのです。
人の表情で察する
人の顔色を伺うのがデリケートな人の特徴だとするなら、「人の表情で察する」のも、ナイーブな人ではなく、デリケートな人の特徴と言えますよね。
もちろん、ナイーブな人でも、人の表情で察することが得意な人も居るかもしれません。
だけど本来、素直でうぶなナイーブな人は、察するというよりは、相手の表情を素直に受け止めるといった感じになるはずです。
ですので、相手が泣いているなら、持ち前の素直さで一緒に悲しむことが出来るし、楽しそうにしていれば一緒に楽しめちゃう。
それが、混じりけのない素直さがなせる行動なのだと思います。
人の表情を見て、あれこれと相手の考えていることを想像して察するというようなことは、むしろ感受性の強い、デリケートな人の方が得意でしょう。
人の気持ちに敏感
この流れで行くと、「人の気持ちに敏感」という特徴も、ナイーブではなくデリケートな人の特徴だということが、もう分かりますよね。
ナイーブな人の特徴は、これだけ、デリケートな人の特徴と一緒にされてしまっているんですよね。
ナイーブな人は、本来の「生まれたまま」の意味から考えれば、デリケートな人の特徴までを含めるのは、飛躍し過ぎだと思います。
私たちが想像で、こねくり回した結果、ナイーブな人はデリケートであると勝手に決めてしまったんですよね。
それこそ、人の気持ちに敏感である人が、ナイーブな人柄から気持ちを想像し、デリケートなのだろうと思ったことが、意味が混合される原因になっているのかもしれません。
そもそも、ナイーブな人を繊細な人…つまりデリケートな人だとしているのは、日本独自の意味づけです。
これって、日本人のデリケートさを、よく表わしているとも思うんですよね。
日本人は、人の気持ちに敏感で、人の顔色を伺う控えめな性格の人が多いです。
純粋な人が、繊細で傷つきやすい人だと思うのも、デリケートな人の価値観と言えます。
人の気持ちに敏感なのも、本来ナイーブな人の特徴とは言えません。
デリケートな人の特徴です。
ナイーブな人は、どちらかといえば“天然”の意味に近いものがあると、筆者は思います。
気遣いができる
ナイーブな人の特徴とされる「気遣いができる」ところ。
これも、「思いやりがある」特徴と似た特徴だと捉えることが出来ます。
そう考えれば、ナイーブな人が気遣いのある行動をしているのだとしたら、それは純粋な気持ちで、当たり前に行っている行動が、周囲から見て気遣いがあるように見えるだけのことでしょう。
人に気を遣うという点で考えれば、どちらかというと、デリケートな人の特徴と言った方がしっくりきます。
ナイーブな人の気遣いは、気を遣っているのではなく、素直さがなせる業。
吐出した特徴としては、ちょっとズレているように思います。
細かいところもこだわる
「細かいところもこだわる」という特徴も、ナイーブな人の特徴というよりは、デリケートな人の特徴ですよね。
だけど、ナイーブな人の特徴だと、日本人は理解していたりするのです。
純粋で素直なナイーブな人は、自分の心の向くままに、興味のあることにこだわるようなところもあるかもしれません。
だけどそれは、細かいところにこだわっているのではなく、純粋な気持ちのままに熱中していると言った方が、的確なのではないでしょうか。
細かいところが気になり、こだわってしまうのだとしたら、それは繊細な心の持ち主である、デリケートな人なのです。
デリケートな人は、ある意味神経質な人でもありますよね。
それは、ナイーブな人とは言えないでしょう。
自分より人を優先する
ナイーブな人には、「自分より人を優先する」特徴があるとも言われています。