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やらなければいけないことができない...(続き3)

まぁ、仕事の納期などが迫っているのになかなか進まないときには困ることもありますが・・。

しかし、その無気力症候群の人が側にいる人にとっては「どうしてこの人は何もやらなくなってしまったんだ?」と不思議に感じるようになります。

それにその人が無気力症候群になってしまったことで、その人に関係する人に悪い影響など何かしらの影響を及ぼしてしまいます。

2つ目のパターンは、自分にやる気が起きないことを自覚している状況です。

納期などがなければそこに危機感を感じることはないのですが、仕事をしている人にとっては決められたことを守ることが出来なくなってしまうので「自分はおかしいのかもしれない」と早い段階で気づけるんですよね。

それにどう頑張ろうとしても、どんなにやらなくちゃいけないし早く手につけなければならないと分かっているのにも関わらず、できないんです。

やりたくないんじゃなくて、できない。

”無”なんです。

そこに必要性を感じないような気がしてしまうことも。

でも心のどこかでは”やるべきことなんだ”と認識しているために、そのジレンマに苦しむことになってしまうんですよね。

特定の対象に無気力

これまでに何度かお伝えしてきましたが、無気力症候群とは特定のことだけに発症します。

すべてのことに対して無気力・無関心になってしまうのはうつ病です。

しかし、そこまでいかないのが無気力症候群なんですね。

例えば、仕事だけにやる気が起きない。

勉強にやる気が起きない。

それも特定の科目だけにまったくのやる気が起きなくなってしまったなんてことも。

家事や育児さえもやる気が起きなくなることもあります。

しかし、その特定の対象以外にことに関しては今までどおりのやる気も関心もあります。

そのため、今までは仕事も家事も育児もパーフェクトにこなすことのできていた女性が急に家事だけまったくできなくなってしまった。

まったくやる気が起きなくなってしまって、食事はできあいものを購入する日々が続いているし、掃除は行き届いていないし、洗濯物はたまる傾向にある。

ということになります。

誰かがやればいいのですが、自分しかやらなければならないとなると、それを行なうまでの時間がとってもかかってしまうんですよね。

それにこれまでは100%にこなせていたとしたのであれば、10%くらいしか満足に出来なくなってしまうんです。

上手にできなくなってしまうんです。

なぜなら、そこに気力を感じていないからなんです。

主体性がない

無気力症候群になると、主体性がなくなります。

主体性とは、自分で何かをやろうと決めたり、感じることですよね。

例えば、「私はお菓子つくりがすき。

だからこそ、お菓子を作る」場合。

これって本人がお菓子つくりを”したい”から”やっている”んですよね。

そこに主体性がありますし、やる気がみなぎっていることがわかります。

しかし、主体性がないというのは「お菓子は好き。

でも周りの人がつくれっていうから”作る”」となります。

この人は自分でお菓子を作りたい思っていないんです。

誰かが求めているからやっているだけ。

これは端的な例になりますが、主体性がないのは誰かの指示にばっかり従っていることです。

これまでだったら自分の意志で何かを決めて、何かを行なっていたのに誰かにいわれないとできなくなってしまうということになります。

子供であればこれは許されますが、大人になってまでもこんなことになっていると”人としてしっかりしていない””自立していない”なんて非難の対象になることも。

しかし、本人は以前までは主体性をもってなにかをすることができていたので、「私の一部分を見て判断しないでほしい」なんて思っていたりします。

あなたにこのような傾向はありませんか?

人間性がまだ確立されてない

また、無気力症候群というのは「誰かが求めているからやってきた」人がなりやすいといわれています。

それは人間性が確立されていないけれど、「これだけやっておけばまぁなんとか生きていくことが出来るだろう」と思うからなんですね。

最近の若者に増えてきているのがコレなんです。

また、人間性が確立していないということは”自分の軸となるもの”ができあがっていない状態です。

それだからこそ、自分のことがわからなくなってしまうんです。

本人は「自分はこういう人だ」と認識していたのかもしれませんが、第3者からみればそれは他人が求めている姿を演じているようにしかみえません。

だからこそ、その求めてくれていた人がいなくなってしまうととたんに「自分ってなんなんだろう」という疑問に襲われることになるんですよね。