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やらなければいけないことができない...(続き3)

無関心ということは、そこに興味を示さなくなってしまうこと。

無気力症候群というのは、だいたいはやらなくてはならないことに対してだけ無気力になってしまうことが多いです。

しかし、ちょっとひどくなりすぎていると好きなことだったり、今までだったらすすんでやっていたことにさえもまったく関心を感じなくなってしまうんですね。

そのため、仕事には手抜きが増えてしまいますし、仕事を終えることすら出来なくなってしまうことも。

また、身だしなみに気を遣わなくなるのであからさまなその変貌振りに周りの人が不思議に思って発覚することもあります。

無感動

人って素敵な景色を見たり、心揺さぶられる映画やドラマ・話を見聞きした際には、感動するものです。

もともと感動しにくい性格の方もいますが、無気力症候群は元々感動しやすかった・心が感動する瞬間を感じるのが好きだったなんていう方に起こりやすいんです。

これまでだったらちょっとした感動シーンで涙をすることがあったのに、まったく心に響かない。

また、これまでだったら心震えるほどに感動していた景色や話にもまったく何も思うことが出来なくなってしまうんです。

無感動になってしまうんですね。

無感動になっているときってそのことに気づかないものですが、過去のことをふと思い出したときに「これまでだったらこういうのに毎回感動していたのにな」なんてちょっと自分がおかしくなってしまったような気がするんですね。

おまけに何かに興味をもてなくなっていたり、何かに興味を持てるように行動してみてもそこによさを感じることが出来ないんです。

そのため「心がなくなってしまったのではないか」なんて心配になってしまうことも。

これまでだったら感動していたことに、あなたは今でも感動することが出来ますか?以前感じていたような心を揺さぶられる感情になりますか?

無気力に対して本人は困ってない

無気力症候群には、大きくわけて2つのパターンがあります。

ひとつめは、本人が無気力になっていることにまったく気づいていないことです。

いや、気づいているのですが「まぁゆっくりやればいいだろう」「明日やればいいだろう」「次の機会にならできるはず!」なんて思っているので、あまり困っていないんですよね。

まぁ、仕事の納期などが迫っているのになかなか進まないときには困ることもありますが・・。

しかし、その無気力症候群の人が側にいる人にとっては「どうしてこの人は何もやらなくなってしまったんだ?」と不思議に感じるようになります。

それにその人が無気力症候群になってしまったことで、その人に関係する人に悪い影響など何かしらの影響を及ぼしてしまいます。

2つ目のパターンは、自分にやる気が起きないことを自覚している状況です。

納期などがなければそこに危機感を感じることはないのですが、仕事をしている人にとっては決められたことを守ることが出来なくなってしまうので「自分はおかしいのかもしれない」と早い段階で気づけるんですよね。

それにどう頑張ろうとしても、どんなにやらなくちゃいけないし早く手につけなければならないと分かっているのにも関わらず、できないんです。

やりたくないんじゃなくて、できない。

”無”なんです。

そこに必要性を感じないような気がしてしまうことも。

でも心のどこかでは”やるべきことなんだ”と認識しているために、そのジレンマに苦しむことになってしまうんですよね。

特定の対象に無気力

これまでに何度かお伝えしてきましたが、無気力症候群とは特定のことだけに発症します。

すべてのことに対して無気力・無関心になってしまうのはうつ病です。

しかし、そこまでいかないのが無気力症候群なんですね。

例えば、仕事だけにやる気が起きない。

勉強にやる気が起きない。

それも特定の科目だけにまったくのやる気が起きなくなってしまったなんてことも。

家事や育児さえもやる気が起きなくなることもあります。

しかし、その特定の対象以外にことに関しては今までどおりのやる気も関心もあります。

そのため、今までは仕事も家事も育児もパーフェクトにこなすことのできていた女性が急に家事だけまったくできなくなってしまった。