みなさんの周りにも、不義理な人っていますか!?

人間同士が付き合っていくうえで、義理と人情ってやっぱりいくらかは必要ですよね??

江戸っ子気質まではいかなくても、人間関係を築いていくうえではやはり人としての守るべきマナーとか、気遣いとか、感謝とかがないと、いつまでも仲良く良い関係を築いていくことは難しいでしょう。

もし、利害関係だけの関係ならいいのかもしれませんが、それでも、人との関わりの中で信頼というものはかなり大切です。

その信頼を得るか得ないかということにも、義理が関係してくるでしょう。

義理を大切にしている人にとったら、不義理な人の態度とか行動というのは、いちいちイライラさせられたり、がっかりさせられることも多いかもしれません。

では、不義理な人の特徴というのはいったい何なのでしょうか?

そして、あなた自身は不義理な人になっていないでしょうか!?

不義理なことをする人について

「あの人、本当に不義理なんだけど!!」って思ったこと、ありますか?

自分としては人として当然、と思っている事をだえrかがしてくれなかったりすると、すごくイライラしたり、裏切られた感がありますよね。

他人への接し方において、義理と人情を大切にしているタイプの人からすると、「不義理だな!」とイライラさせてくる人は結構多いのではないでしょうか?

しかし、義理っていったい何なのでしょうか?

不義理な人がいるのはどうしてなのでしょうか??

どうして、不義理な人がいるとイライラしたり、がっかりしたりしてしまうのでしょうか?

人間の感情や、価値観というものがそこには大きく関係しているのかもしれませんが、今回は”不義理な人”について、ちょっと調べてみたいと思います。

不義理とは

「あの人は不義理な人だな~。もう仲良くするのはやめよう」。

そんな風に思うことがあるかもしれません。

でも、この「不義理」っていったいなんなのでしょうか??

まずは、言葉としての意味をちょっと調べてみたいと思います。

義理を欠いていること

辞書で「不義理」と調べてみると、それは「義理を欠くこと、またそのさま。」という説明が出てきます。

特にお金が関係している場合が多いようです。

お金を借りたけど、返さない人は「不義理な人」と言われます。

でも、お金だけの問題ではありません。

「そんな不義理なことは、人様に対してできないよ!」というような例文からもわかる通り、不義理というのは、人様に対する行動や態度という面で義理が欠けていること全般を指しているようです。

でも、じゃあ「義理」って何??って思いますよね?

義理がわからないと、義理が欠ける、つまり不義理とは何か、どうすることが不義理になるのかということは全く分からないのです。

義理とは

なので、義理とは何なのかということもはっきりと理解しなくては、「不義理な人」の正体は明らかになりそうもありません。

よく、「義理と人情」はセットにされていますけど、人情というのは人としての自然な心の感情、動きを意味しているそうです。

特に、人間が本来持っている人に対する思いやりとか、慈しみ、情けの心を意味しています。

人情のあつい人というのは、思いやりがあって、人間として温かい人ということなんですね。

では、義理とは何でしょうか?

物事の正しい筋道

義理とは、物事の正しい道筋と説明されています。

物事の正しい道筋・・・、ちょっと難しいですね。

「道筋」というのは、つまり物事を達成するための方法や手段を表すこともありますし、進んでいく物事の過程でもあります。

思考や判断などの展開の順序と説明することもできます。

さらに、物事の道理ということもできるでしょう。

つまり、道理にあった考え方とか物事の行い方ということを指していると言えます。

人として守るべき正しい道

さらに、人として守るべき正しい道、を意味しているようです。

では、人として正し道とはいったい何??と考えてしまうかもしれません。

人として何が正しくて、何が間違っているのかというのは、その人それぞれの価値観によって違ってくることでもありますよね?

しかし、社会生活を営むうえで、守るべき道理や、筋を通すべきところがあるのです。

それで、対人関係においての礼儀正しいさ問いうものをさして「義理」と言ったりします。

先ほどの「物事の正しい道筋」という意味として「義理」という言葉が使われていたのは、今昔物語集などの平安時代です。

しかし、中世の末期ごろには、この意味に礼儀正しさや律儀さという意味が加わりました。

そして、近世社会になってからは「義理」という言葉は、対人関係において守り実践するべき道義を意味するようになりました。

例えば、昔村には相互関係を守るために、村社会における「義理」というものが定められていたそうです。

それは、冠婚葬祭の時や田植えや家の新式などの時には、村の人たちがお互いに協力することが含まれていまいた。

さらに、冠婚葬祭の時に贈り物を受け取ったなら、それに対して必ず返礼をするということも、一般に義理として必要とされていますよね。

それで、今では「義理」というのは、特に人間関係において、立場上必要とされる行為を指しているということになります。

つまり不義理なこととは

それで、不義理なことというのは、社会生活を営む上で、立場上務めるべき行為をしないということになります。

付き合い上、他の人に対して返礼をしたり、何かの労力を惜しまずに提供することが道義とされている場合、それを達成することが「義理」です。

しかし、それをしないということは、「不義理」ということになります。

なので、「義理」には必ずしも自分の感情が乗らないこともあるし、めんどくさいなと思うこともあるでしょう。

しかし、それでも「義理」というのは、道理やすじを通すための行為であり、人間関係を築くうえで必要とされる行為、務め、守るべき道理なので、それをしないと「義理に外れた人」とか「義理に外れた行為」として非難されたり、相手に不快な思いをさせてしまうことがあるのです。

不義理なことをしがちな人の15個の特徴

「義理」というのは、人が人と付き合う上で、守るべき正しい道理であったり、社会生活の中で守るべき道義であることがわかりました。

それで、不義理な人というのは、そのような道義を欠いた行動が目立つ人ということになります。

この人間社会や対人関係の中で守るべき道義、ということですが、なかなかそれを箇条書きにして定めるというのは難しいことでしょう。

それぞれ、価値観や物事の考え方が違うので、何が道義に合っていて、何が必要のないことを考えるかは変わってきます。

何を「義理」として意識しているか、ということが違えば、他の人のことを自分勝手に「不義理な人」と判断することもあれば、他の人から自分が「不義理な人」と思われていることもあるでしょう。

相手が「これをやるのは人としての道理でしょ!」って思うことがあるなら、それをしないと不義理な人と見られるということです。

しかし、一般に対人関係を築くときに持つべき相手への礼儀や、相手への配慮というものは必要ですよね。

では、「不義理な人」と言われてしまう人の特徴とはいったいどんなものなのでしょうか??

感謝の気持ちがない


まず、感謝の気持ちがない人は「不義理な人」と見られます。

これは、多分大多数の人がうなづく点ではないでしょうか?

何かもらったなら、お返しをするということが基本です。

日本人は、古来から「恩義」という観念があるそうです。

「恩義」というのは、義理のある恩を感じることであり、報いなければならないと思う気持ちです。

何かをしてもらったことへの感謝の気持ちがあるからこそ、恩を感じて、相手に報いるということを意識します。

しかし、何かしてもらった、贈り物をしてもらったというのに、あとでお礼もせずに何もしないという人はたくさんいます。

つまり、相手が自分に示してくれた気遣いや、かけてくれた労力や時間やお金というものに対する、ありがたい、という感謝の気持ちがないんですね。

だから、そのような人は自分が困っているときにさんざん手伝ってもらったとしても、相手が困っている時には平気で知らん顔したりします。

相手に対する感謝の気持ちがないので、相手に少しでもお返しがしたいとは思わないのです。

「返報を期待するくらいならするなよ!」って思うのかもしれませんが、返報は期待しなくても、してもらったことに感謝するというのは、人としての礼儀であり道理ではないでしょうか?

それが物でのお返しとかではなくても、気持ちです。

確かに、恩着せがましい人は嫌われますけど、みんな感謝されることでお互いにもっと助け合いたいと思います。

感謝の気持ちがない人とある人では、言葉に出すことや態度が全然ちがってきます。

仕事でも、社会的な別の立場としてでも、人と関わっている以上みんな許し合い、みんなで協力しあって生きているわけなので、お互いい感謝の気持ちを持つ、自分が助けてもらったり、何かしてもらったら相手に少しでもお返しができるようにする、というのが道義なのです。

感謝の気持ちがない人には、誰ももう何もしてあげなくなってしまいます。

してもらって当然


感謝の気持ちが欠けている人というのは、人から何かをしてもらうのが当然!と思っているのかもしれません。

昔から自分だけ特別扱いを受けてきた人とか、わがままに育てられてきた人などは、人が自分に何かをするのが当然で、してもらえないことの方が大問題だと考えたりします。

それでもって、自分が他人に何かしてあげることはないのです・・・。

本当は、人がしてくれることに感謝し、自分もできることを行うという相互の助け合いが、人間関係の中で道義です。

人から何かをしてもらって当然、と思っている人は、してもらえないことにはさんざん文句をつけたり、相手のことを非難したりするのですが、してもらったことで相手に何か感謝をすることはないので、常に人に対して要求的な人ということになります。

要求的な人というのは、いつも不満とかばっかり思っていて、人に求めるばかりで相手を幸せにすることができないので、大体いつも幸せにはなれませんね。

人の目を気にしない

不義理な人の特徴の一つとして、人の目を気にしないということがあります。

人がどう思うか、どう感じるのか、何を求めているのかということに無頓着な傾向があるわけです。

それで、自分がしたくなければしない、道義とか義理とかよりも自分の今の気持ちの方が重要というタイプです。

そのような人は、義理などに縛られることなく自由に生きている雰囲気がカッコイイ、と思われることもあるでしょう。

確かに、何かに縛られることなく生きている人は自由に見えますけど、だからと言って人としての守るべき義理を欠くと、相手をがっかりさせたり、相手をイライラさせることもあるので、社会的に見てあまり人間関係を築くのが難しいかもしれませんね。

社会的な立場として、求められていることをしないわけですから、社会的に見て認めてもらえないということもあります。

人の目ばかりを気にして、本当に自分が正しいと思うことができないというのも嫌ですけど、人の目を気にしすぎないせいで、社会的にするべきことや礼儀というものを欠いてしまうのもよくありませんよね。

特に、マナーの問題なんかは難しいと言えます。

ある人にとっては、やめてほしい、こうしてほしいと思うようなことを、自分はどうも思わない場合に、それをしないでおくか、自分の考えのままにするのかというのは、何が違うのでしょうか?

それは他の人への配慮ではないでしょうか?

他の人への配慮があるなら、相手が「こうしてほしい」と思うことを尊重して、自分の行動を制御あるいは、変更することができます。

対人関係においても、相手が贈り物をしたらお返しするのが当たり前と考えている場合には、こちらもその気持ちを汲んで何らかのお返しをする、ということもあります。

逆に、そのようなことは絶対にしないでほしいと言われるなら、その意思を尊重して別の方法で感謝を表すということもあります。

これは、人の目を気にする、つまり相手の気持ちや考えを尊重するからこそ、デキル柔軟性ですよね。

義理とか道理に対する認識というのは、人それぞれ違うけど、人の目を気にしなさすぎる人は、他人への配慮が足りないことで、「不義理」って思われてしまうことが多いのではないでしょうか?

ものを返さない

貸したものを返さない、という人は不義理と言われます。

貸し借りに対してルーズな人っていますよね。

すごく仲のいい人同士なら、そんなに問題ないのかもしれませんけど、あまり親しくない人に何か物を借りて、そのまま忘れちゃう人というのは、ちょっと印象が悪いですよね。

たまたま、忘れちゃったというだけならいいのですが、いつもそうやって人から借りては返さない、という評判が立つくらいだと、これは信用問題になります。

貸し借りというのは、人の信頼関係のもとに成り立つ部分でもあります。

大きなものになればなるほど、信頼できない人には貸したくないですよね?

この人は、返さないとわかっている人には貸せません。

貸したものを大切にして、ちゃんと感謝の気持ちを込めて返してくれると思える人になら貸せるけど、どうでも良いかのように使うだけ使ってそのまま放置するような人は、義理に欠けるので貸したくないのです。

お金にルーズ

不義理な人=お金を返さない人、というくらいですから、お金にルーズな人は不義理な人決定ですね!

お金にルーズな人というのは、人からすぐにお金を借りるのに、全然返そうとしませんし、忘れていることもあります。

でも、お金を借りたほうは忘れているかもしれませんけど、貸したほうというのは覚えていますよね!

お金は人間関係での信用を簡単に崩すものでもあります。

すぐに返してくれる人は、他の事でも信用しやすいけど、お金にルーズな人はほかの面でもルーズなんじゃないかと思ってしまいます。

知らない人にすぐに人にお金を借りようとしたり、ちゃんと契約書とかを交わさずに金品をやり取りしようとする人は、本当に信頼できる人なのか要注意です。

まして、返すお金ができてもすぐに返さないで、自分のことに使っちゃっていたり、何食わぬ顔で遊んでいたりすることで有名な人なら、その人は義理も何も感じていないと思われます。

物事をすぐ忘れる

物事をすぐに忘れる人・・・いますよね?

すごくノリがよくて、人たらしな人とか、約束はするけど忘れていてすぐにそれをドタキャンして相手を困らせる人とかけっこういますよね。

悪気があるのかないのかは別として、物事をすぐに忘れる人、自分の発言に責任を持たない人というのは、あまり義理堅い人とは思えませんね。

そうゆう人って、相手が自分のためにしてくれたこともすぐに忘れちゃうのかもしれません。

義理堅い人は、誰かが自分のためにしてくれたことをちゃんと覚えていて、それに対して感謝の気持ちとか恩義をずっと持ち続けています。

だから、相手が困っている時には即座に力になろうとしたりします。

でも、物事を深く考えていない人とかいつもノリで生きている人の中には、相手がしてくれたこともすぐに忘れちゃうから、相手はがっかりすることも多いでしょう。

物事をすぐに忘れるというのは、それはそれでいいことでもあったりします。

嫌なことをクヨクヨ考えることもないし、人の嫌なところをずっと覚えているということもないかもしれません。

でも、他人の自分に対する親切や義理まで忘れちゃうのは、ちょっと残念ですね。

人付き合いを大事にしない

義理というのは、対人関係を良好に運ぶために意識されていることですよね。

それで、人付き合いを大事にしない人にとったら、義理なんてどうでもいいことに思えるでしょう。

そんな義理なんて、めんどくさくて古臭いと思うこともあるかもしれません。

そんな義理がないからということで離れていく人は自分にとって必要のない人だとか、対人関係の道理とかどうでもいいと思うかもしれません。

そのような人は、人付き合いというのはお互いの利害関係が一致した相手とだけするもの、という考えを持っているかもしれません。

そのような人は、会社でも義理としてだとしても、めんどくさい飲み会に行くこともないし、他の人と深く関わろうとはしないかもしれませんね。

自己中心的

自己中心的であることも、不義理な人の特徴です。

自己中心的な人というのは、相手を自分のために利用するような考えを持っていることが多く、自分に何が得となるのかということしか考えていません。

そして、関係する人たちの気持ちや立場、状況など考えないです。

【自己中な人については、こちらの記事もチェック!】

自分さえ良ければいい

つまり、自分さえ良ければそれでいいという考え方です。

自己中心的な人は、そのような自分の考え方が周りの人にどれだけ迷惑をかけたり、相手を傷つけたり、悲しませているかということを知ろうとしません。

だって、他の人のことなんて考えないのです。

自分の気持ち、自分のしたいことなど、とにかく自分のことで頭がいっぱいで、自分のことがなんでも間でも中心なのです。

それで、他人については考える隙もないし、考えようともしません。

そのような人は利己的なことばかりを求めて、自分勝手に行動するので、周りから嫌われることが多いです。

自分が物事の中心であり、周りの人のことは軽視したり、無視するわけですから、義理なんてどこにも見当たりません。

自分が今良ければそれでいいし、その時に自分のために動いてくれたり、自分にとって得となった人に対して、あとになってその人を大切にし続けるということもありません。

また、得となる時にはその人を求めるかもしれませんが、必要のない時には無視するし、軽視します。

損得勘定が強い

自己中心的な人の特徴でもありますけど、損得勘定が強い人というのは、義理よりもその時の損得で物事を考えます。

得になる時には利用しますけど、別に得にならない時に、義理で他人を助けたり、他人のために何か自分が犠牲を払うということはしません。

自分にとって損となるのだったら、行動する意味がないのです。

例え、それが今まで自分を大切にしてくれたような人のためでもです。

そのように、損得勘定で対人関係を築く人というのは、本当のところ信頼できる絆というものは持てないのではないでしょうか?

みんな、人間ですから損得関係なく助け合うときに、本当の友情や絆がはぐくまれていきます。

利己的で自分だけ得をするためだけに生きている人は、きっと孤独になります。

それで不義理な人、というのは、周りから信頼されずに孤立してしまうことが多くなるのです。

後々のことを考えない

義理を守ることの理由の一つには、その後の人間関係の悪化を招かないためとか、今度のその人との付き合いが円滑にいくように、ということを考えての行動だったりもしますよね。

だから、嫌だと思ったり面倒だと思っても、”義理”で行うこともたくさんあるわけです。

でも、後々のことをあまり考えない人は、そのように義理を固く守ることの必要性を感じないことも多いかもしれませんね。

義理と言われることをしないがために、その人との関係がどうなるかとか、自分の立場にそれがどう影響するかということを考えないのです。

なので、その時にめんどくさいとか、嫌だと思ったらしないという決定を取るかもしれません。

今老後に独りぼっちになって困窮する人が増えているそうですが、そのような人たちは人付き合いを避けてきた傾向にあるようです。

つまり、義理と人情でつなげてきた人脈がないので、老後になっても助けてくれる人が一人もいないという状況になってしまう人が多いようです。

そうなると、自分が病気になったり、何か想定外のことがあった時に、助けを求められる人がいなくて困ってしまうことになりかねません。

自分の将来を考えても、義理深く人付き合いを大切にしていくことも必要かもしれませんね。

常識を知らない

不義理と言われてしまう人の中には、単に常識を知らないという人もいるかもしれません。

例えば、こちらがわざわざお金を払って購入した観劇のチケット2枚のうちが1枚余ったので、とある友人を誘って行くことにしたとします。

つまり、その友人はただで観劇を楽しむことができた、ということになります。

みなさんがその友人だったらどうしますか?

きっと、多くの方は「ありがとう」と言葉で伝えることや、チケットのお金を支払うか、または食事をごちそうするというような形で、感謝をするでしょう。

なぜかというと、それが”常識”だと思っているからではないでしょうか?

何もせずに、そのまま帰るということでは、誘ってくれた友人に対してあまりにも非常識な態度を取っていることになるからでしょう。

しかし、この場合「ありがとう」と言葉で伝えるだけで終わりにすることが、非常識だと感じる人もいれば、感謝を伝えたのだから非常識ではないという人もいることでしょう。

それはその人の感覚の違いによって、何が常識なのかが違うからです。

なので、常識の共有というのはなかなか難しいことでもあります。

それで、もしかしたら相手の常識に沿わない行動を取ってしまったときに、誰もが不義理な人と思われる可能性があるということですね。

しかしまあ、「ありがとう」も言えないということなら、きっと誰でも非常識な人だなと感じるとは思います。

なので、最低限の常識や人としての相手への気遣いや配慮というものを持つことは必要なことですよね!

礼儀がなってない

礼儀知らずな人も、不義理な人として相手の気持ちを不快にさせてしまうことがあるでしょう。

礼儀というのは、辞書では、社会生活や人間関係の秩序を維持するために守るべき行動様式と説明されていました。

特に、相手への謝礼とか、敬意を表す作法が関係しています。

「親しき中にも礼儀あり」ということわざがある通り、人間が人間と気持ちよく接していく際には、相手への敬意や礼節というものを大切にしなくてはいけませんよね。

親しい仲でさえ、そのような相手に対する礼儀が必要なのですから、社会的な立場としては礼儀がなっていないと相手にいい印象を与えることもできませんし、信頼してもらうことも、認めてもらうこともできません。

親になると、子どもには「ありがとうございます」がちゃんと言える大人になってほしいと教育しますよね?

それは、他の人との関係で礼節をわきまえた、相手に感謝や敬意を表すことのできる、礼儀正しい大人として育ってほしいからでしょう。

そのような人は、人として自分も尊敬されます。

しかし、子どもの時にそのような礼節をわきまえることを教えてもらえなかった人は、礼儀というものを知らないので、無意識に不義理な人になってしまっているのかもしれません。

恩を仇で返す

「恩を仇で返す」という言葉がありますけど、受けた恩に対して感謝をするどころか、なんと相手に害を与えるような行為をすることを言います。

まさに、不義理な人です。

そんな人とは友達にもなりたくないし、付き合いをしたくないですよね。

「仇」というのは、ひどい仕打ちとか、恨みを指しているようです。

例えば、一生懸命に愛情を注いで育ててくれた親に対して、ひどい仕打ちをするような人は、かなり不義理な人ではないでしょうか?

自分が困っているときに、親身になって相談にも乗ったり、経済的にも助けてくれた人に対して、最後には自分の都合で裏切ったり、見捨てたりするというようなことをする人も、残念ですがけっこういますよね。

【恩を仇で返す人については、こちらの記事もチェック!】

人を利用する

結局、自己中心的で他人のことを気遣うことがないタイプの不義理な人にとって、他人というのは利用できるかできないか、という観点でしか見ていないのでしょう。

特に、損得感情でなんでも考える人にとっては、友人も恋人も自分にとっては利用できるかできないか、ということなのかもしれません。

だから、自分が損をするような場合に義理なんて全くもって関係ないし、というか義理って何?と思っているのかも。

そのような人を利用することしか考えていない人は、自分の都合のいい時だけはその人に頼ったりして、あとは必要なければ捨てるというひどいことをします。

自分が使い捨てみたいに、利用されるだけ利用されて捨てられたと思うと、すごく悲しくなるし、自尊心が傷つけられるし、怒りの感情が沸き起こりますよね。

そのように人を傷つけたり、悲しい気持ちや強い恨みの気持ちなどを引き起こさないためにも、人として取るべき正しい道義や礼節というものは守っていきたいですね。

美味しい部分だけ味わう

不義理な人は、おいしいところだけを自分のものにして、あとは逃げます。

イイとこどりなんです。

自分がいい思いをしたら、後の大変な部分は人に押し付けて終わりというずるさを持っている人がいます。

美味しい部分だけを味わうなんて、苦労してやっとそこまでたどり着いた方の身からしたら、ありえないことですよね!

怒りもMAXだし、やるせない気持ちになります。

でも、義理なんて感じない人からしたら、ラッキーとしか思わないわけです。

だから、そのような人に義理とか道理とか筋とかを期待しても無駄なことが多いですね。

人の苦労とか、人の努力などをどうも思わずに、自分だけ美味しければそれでいいというような、常識知らずの不義理な人はもう放っておいて、こちらは自分が正しいと思うことを大事にしているほうがいいのかもしれませんね。