精神的なものの欲求が強い
精神的なものの欲求が強い人ほど、周りの人に何かをして欲しいと望んだり、周囲に対する不満があったりします。
「こんなに努力しているのだから、自分を認めて欲しい」「物じゃなくて、相手からの愛情が欲しい」
目に見える功績を望む人もいれば、目に見えない精神的な安心を望む人も多いです。
具体的になにが欲しい、などの物欲の場合は単純です。
しかし、精神的なものの欲求に関しては、相手が望むものを与えてくれない限りは満たされることがありません。
そのため、物欲に比べて満足出来る人と満足出来ない人との差が大きいです。
欲しいものがない人必見!こう思ったら危険かも
たいして欲しいものがない、という人の中でも、単純に面倒だから行動しない人や、誰かに譲る、また協調性の強さから欲しいものを我慢する人など、さまざまなタイプに分かれます。
しかしその中でも、以下のことに当てはまり、ものが欲しい気にならない人は、少々注意が必要かもしれません。
欲しいものがあっても諦めている
「欲しいものがない」というよりは、欲しいものがあっても「どうせ手に入らない」と思って、最初から諦めていませんか?
例えばその欲しいものが、「一億円」や「超高級車」、「芸能人と結婚する」など、一見途方もない望みであれば、諦めても仕方がないかもしれません。
しかし、少し努力して手を伸ばせば手に入れることが出来るかもしれないものに対してまで、最初から諦めてしまっていては、この先もし自分が心底から欲しいと思うものに出会っても、努力して手に入れることは難しいでしょう。
一度諦め癖をつけてしまうと、何に対しても直ぐに投げ出して、「どうせ手に入らないから」「どうせ出来ないから」と簡単に諦めてしまいます。
途中で妥協をして、適当なものを手に入れて一見満足したように思えても、心の奥底では不満となってずっと残ります。
人は何かを望むからこそ懸命に努力をしますし、また行動の原動力となります。
それを自ら直ぐに諦める人は、いつまで経っても本当に欲しいものを手に入れることは出来ないでしょう。
結局何も手に入らない
諦め癖のある人は、自分が本当に欲しいものは決して手に入れることは出来ません。
それどころか、欲求を押し込めることによって行動力もなくなるため、心底欲しいわけではなく、ちょっと「良いな」と思うものに対しても、手に入れることは難しくなります。
例え自分なりに努力をしてみたとしても、手に入れるまでの道のりが困難そうだなと感じれば、「どうせ〇〇だから」と自分に言い訳をして直ぐに諦めてしまいます。
その回数が増えれば増えるほどに、結局は何を望んだところで何ひとつ手に入らない結果を迎えてしまうかもしれません。
大げさに聞こえるかもしれませんが、諦め癖というのはそれほどまでに厄介なものです。
誰かに強く指摘をされたり、自分で「これではいけない」と思い直さない限りは、この癖は中々なくなることはないでしょう。
気力がなくて疲れ切っている
いつもだったらいいものを見つければ欲しいと思うのに、最近はまったく欲しいものがなく、また良さそうなものを見つけても欲しいとまでは思わないという人は、気力がなく疲れ切った状態なのかもしれません。
人は心身ともに疲れきってしまうと、ぐったりとして何事にも関心が持てなくなってしまいます。
真新しいものや自分がそれまで好きだったもの、興味があるものにも何の関心もなくなってしまい、無気力な状態になってしまいます。
そんな状態で欲しいものなど何も見つかるはずはなく、結果として「何も欲しいものがない」ということになるのです。
気力がなく、疲れ切ってしまっている人は、今は何かが欲しいと思う心の余裕がないだけで、元々はちゃんとした物欲も欲求もある人がほとんどです。
心身ともに疲れを感じるときには、ゆっくりと休養をとるようにしましょう。
自分を無価値だと思っている
自分のことを「なんの価値もない存在だ」などと思っている人は、自分には価値がないゆえに、物を欲しがる権利などないと思い込んでいることがあります。
これはネガティブな思考の人や、精神的に落ち込んでいる状態の人に特に多くみられるかもしれません。
「自分は物を与えられるようなたいした人間ではない。そんな無価値な自分が何かを欲しがることなど許されない」
こんな風に考えてしまい、自分から何かを求めることが出来なくなっているのです。
このようなタイプの人は、物欲に限らず、あらゆることで自分の権利を否定します。
例えば食事をする権利や、誰かに頼み事をする権利、社会の中で認められる権利など、本心では求めているのに自分でそれらを否定してしまうのです。