一人暮らしの母が不安がっている理由で、1年の半分は東京に戻って生活をしています。
何度か行き来を繰り返した結果、6ヶ月ごとに、シンガポールと東京を行ったり来たりするのではなく、2~3ヵ月単位で行ったり来たりするのがしっくり来たので、最近ではこのやり方を繰り返し、繰り返し、継続しています。
どうしてこのやり方がしっくり来たのかというと、シンガポールと東京を3度程行き来したくらいの時に、なんだか普段できていたはずのとてもシンプルなことに違和感を感じ始めてしまったからなんです。
その違和感は一体何なのかというと、「人との感覚」や「生活のリズム」のようなものがどうしてもしっくり来ない、常に「自分とは何かが違う」と違和感を感じてしまうのです。
私はしばらくして、海外での生活が私をそうさせていることに気が付きました。
シンガポールは日本と似ている国です。
英語だってそう上手でなくてもある程度は通じます。
人々は親切で穏やか、街は綺麗だしとても発展しています。
日本ほど広い場所ではないけれど、シンガポールの都心はお洒落で、治安もかなり良いのです。
シンガポールの都心は東京の六本木に似たようなところがたくさんあると思います。
外国人がたくさんいて、楽しそうで、活気があって・・・。
シンガポールにいる民族は主に中国、南アジア、そしてインドからの移民で作られています。
そんな多民族の国の治安を良くする為なのか、街の中でゴミをポイ捨てしたら罰金、電車の中で飲み物を飲んでも罰金です。
確か、罰金は5万円くらいだったと思います。
私は始めの内、そのことを全く知らなくて、街で買ったスムージーを飲みながら電車に乗ると、やたらと多くの人が私のことを見てくるのです。
「あれ・・・」違和感を感じながら電車に貼られたある張り紙みたいなものを見ると・・・「電車の中で飲食したら罰金5万円」と書いてあるのです。
日本だったら、電車の中で飲み物を飲んでいる人がいれば、お弁当みたいなものを食べているつわものまでいたりしますよね。
女性の中には電車の中で化粧をしている人もいたりします。
でもシンガポールではそんな人は一切いないし、静かだし、皆もの凄くマナーを守っているのです。
でも・・・本当に日本のように治安が良いのかというと、そうではありません。
電車の中などでは常にひったくりにあった時の対処法や、処罰がどれくらいになるかなどのCMが流れていたり、街の中を夜遅くに女性が一人で歩くことなど考えられません。
厳しい法律があるからこそ治安は維持されていますが、日本のように自分たちからそれを守っているという雰囲気ではないのです。
何度かシンガポールと東京を行き来していると、信じられないくらい日本人としての日本人らしさを忘れてしまうというブランクに見舞われてしまいます。
シンガポールと東京が似ているからこそ、本人はあまり気が付けないのですが、自己主張がやや強めになってしまっていたり、やたらと優しさが主張してしまう時があります。
シンガポールなら隣に座ろうとするお婆さんの荷物がたくさんあったり重そうなら「手伝いますね!」とすぐに手を差し伸べますが、東京ではあまり大袈裟にすると、周囲の視線を根こそぎ持ってきてしまうことになるのです。
その中でも私がシンガポールと東京にいることで、最も違うと感じることは、シンガポールだとリラックスしながら過ごせることも、東京ならなぜかとても神経質になってしまうということです。
東京の人は本当に親切な人が多いし、治安は良いし、多くの人が英語でいうところのマチュアと言った雰囲気で、とても大人らしく振舞っているのです。
しかし、その反面、少し目立つ行動をとってしまうと、急に自分だけが注目されてしまいます。
シンガポールの屋外ならたいていの場所で大きな声で笑うことができますが、東京だと、場所を選ばなくてはなりません。
派手な服装をすると目立つし、なんとなく、皆と同じようにするとか、近所の人に迷惑が掛からないように静かに生活しないといけないとか、暗黙のルールみたいなものの存在が凄く窮屈に感じてしまうのです。
私がシンガポールに行ってから今年で9年目になります。
友人の中には「最近日本語がちょっとおかしいよ(笑)」という人まで出て来てしまいました。
英語はそれ程上手くなっていないのに、とうとう日本語までおかしくなってしまったのです。
昔は、シンガポールに行く前は、日本が完璧に居心地の良い場所でした。
それなのに欲張って海外でも暮らしてみたいと選択したところ、今では世界のどこにも私が100%居心地の良い場所はなくなってしまったのです。
私の人生のブランクは、国際結婚をしてシンガポールに移ってから始まりました。
もちろんシンガポールに行ってからいいこともあります。
でも、失ったもの・取り返しのつかないものもあります。
年々自分が日本人としての日本人らしさを失っているようで、それと反発するかのように、日本人らしい人に憧れてしまうところがあります。
昔は海外の人に憧れていたはずなのに、今は自分の国、日本という国がいかに素晴らしいかということに気が付くことができました。