自分に自信がある、つまりは、自分の思想とか言動が正しいと信じているのです。
自分の思想や言語が正しいと信じることが大切なこともあります。
そうじゃなければ、自分の思う道を進むことはできません。
しかし、もし自分を過度に信じる気持ちが強すぎて、あるいはその気持ちがエスカレートしたて、自分だけが正しいというような、高慢とも言えるレベルにまで達してしまったら、周りからの意見を全く聞けないということになり、独りよがりになってしまうこともありそうですね。
「他からの干渉を排除する態度」という説明からすると、他の人からあーだこーだ言われることを嫌がるという以上に、なしにする、気にも留めないというような、強い態度が見られる事がわかります。
自尊心というのは、他からの”干渉”に対してそのような態度を取る、ということなので、他人のことに立ち入って自分に従わせようとする人の意見や圧力対して、断固とした態度を取るということになります。
誰でも人から個人的なことに干渉されるのは嫌でしょう。
しかし、干渉を排除できるくらいになるには、やはり自分のやっていること、自分の思想というものにちゃんとした確信や自信を持っている必要があるでしょうね。
それがなければ、人の意見に振り回されたり、自分の思想や言動を批判したり否定したりする人が現れたらすぐに考えを変えてしまう、というような態度になるでしょう。
言い換えるとプライドのこと
自尊心を言い換えると、つまりは「プライド」です。
プライドを持つということは、自分に対する誇りを持っているということですよね。
よく、「自分の仕事にプライドを持ちなさい」と言われたり、「プライドを持って意見を述べてきなさい」など、自分のやっていること、考えなどに誇りを持って、堂々とそれを表現するということがアドバイスされることもあります。
つまりは、他の人に何と言われようと、思われようと自分に自信を持ちなさい、という心強いアドバイスなんですよね。
なので、プライドは自分に自身を持って仕事をしたり、人生を歩む上ですごく大切なことであることがわかります。
しかし一方で、「あの人プライド高すぎて嫌い」とか、「プライドの塊」というように、煙たがられることもあります。
その場合、その人の自尊心、自分に対する誇りは人を不快にするレベルになっているわけですよね。
多分、自分に自信を持ちすぎていたり、勘違いのレベルで「自分はすごい」と思っていたり、自分が大切すぎて、逆に他の人を大切にできていなかったり、認めることができない、ということなのかもしれません。
なので、自尊心つまり自分に対する誇りを持つのは、自分を大切に思ったり信じるという意味で、人として生きていく上で大切なことですが、それがあまりにも度を越してしまうと、人を不快にさせるような言動をしてしまうこともある、ということなんですね。
プライドは、他の人と自分を比較して、自分が上であるとか下であるという認識を意味することもあるようです。
それで、プライドが高い人、というのは他の人を自分よりも下に見ていて、自分がすごいと思っている人というイメージがあるかもしれませんね。
でも、プライドが高すぎるというレベルの人というのは、自分を過大評価しているという印象を受けますね。
基本的に自尊心というのは人が自分という人間を認め、自分を大切にし、自分の信じた道を進んでいき、自分の価値を自分で認められるので、とても大切なモノと言うことができます。
ですが、ちょっと間違うと、自分が人よりも上であるとか下だとか他者との評価で自分を見るようになってしまう危険があるのですね。
️自尊心の使い方
「自尊心」という言葉は、「自分の人格を大切に思う気持ち」や、「自分に自信を持ち、他の干渉を排除する態度」という意味を持っていることがわかりました。
では、普段の会話の中や書き言葉の中では、どのようにこの「自尊心」という言葉を使うことができるのでしょうか?
自尊心の使い方について見てみましょう♪
自尊心を傷つけられる
「自尊心を傷つけられた」経験をしたことのある人も多いでしょう。
「尊心を傷つけられた」あるいは、「プライドを傷つけられた」という表現は、何か自分の誇りを傷つけられたときに使いますね。
他人から侮辱されたり、軽蔑されたり、なめられたりしたときに、すごく悔しい思いをすることがあります。
特に、人前で恥をかかされたりするとすごく屈辱的な感情を味わいます。
好きな人の前で、自分の容姿についてバカにされたり、自分のメンツを保ちたい人の目で自分の失敗や失態を晒されて、笑いものにされたりすると、すごくイライラしますよね。
あるいは、そのような恥ずかしい思いや恥辱を受けたときには、自分の心が音を立てて崩れていくような感覚を味わうことがあり、精神的なダメージを受けることも多いでしょう。
別の言い方をすると、「プライドをズタズタにされた」とか、「誇りを踏みにじられる」というように表現することもあります。
さらに、誇りを傷つけられたというときには「面目が潰された」というような言い方をすることもありますね。
自分という存在、つまり生き方や能力、才能、性格など、人格を否定されることというのは、すごく人を傷つけることになります。
自尊心を高める
もっと自尊心を持ちたい、と言うときには「自尊心を高めたい」という表現を使うことがあります。