「自尊心を高める」ということは、自分が持つ自分という人格を大切にする気持ちを高めることや、自分の思想や言動にもっとプライドを持つ、ということを意味しているでしょう。
よく、自尊心が低い人向けに「自尊心を高める方法」や「自尊心を高めるには」というテーマの本や、記事を見かけます。
「自尊心」という言葉には、「高い」あるいは「低い」という表現が使われます。
自尊心を「上げる」とか、自尊心を「下げる」という表現を使うこともありますが、「高い」「低い」という方がよく使われていますね。
自尊心を満たす
「自尊心を満たす」という使い方もあります。
自尊心を満たすとは、他人に誇れる自分だと感じて満足する、といった意味があります。
しかし、「自分のほうが他の人よりも優れていると感じて満足する」という意味で使われることもあります。
これは優越感に浸っているということになります。
なので、あまり周りの人からは好感を持たれない気持ちですね。
相手よりも自分が優れていると考える事自体が、ただの思い上がりかもしれませんからね。
そして、そんな気持ちの人は、他の人を侮るような態度をとったり、勝ち誇ったような態度をとったりすることが多いので、嫌われ者になってしまうこともあるでしょう。
特に、自分のプライドを満たすためだけに、人の上に立とうとする人もいます。
しかし、このように他の人よりも自分が優れているということで満足感を覚えるのではなく、最初に出た意味の『自分という存在には価値があるんだ』と考えるという意味で「自尊心を満たす」ということもあります。
例えば、「自分なんてどうしようもない人間だ」「自分なんてダメな人間だ」と思っている人は、自分の人格をあまり大切に思えないかもしれません。
でも、自分を必要としてくれる人が現れたり、自分で自分の価値を認める事ができるように助けてくれるような存在がいるときに、「自尊心を満たす」事ができることもあります。
他の人にどう言われようと、自分という人間に自信を持てたときや自分に誇りを持つことができたときに、「自尊心が満たされている」と表現することもできるでしょう。
自尊心が強い
「自尊心が強い」という表現は、いい意味でも、ちょっと皮肉な意味でも使われる事があります。
自尊心が強いとは、自己を大切にする思いや、自分を尊重する傾向が強いということを意味しています。
それで、「誇り高い人」という褒め言葉として「自尊心が強い人」ということもあります。
「誇り高き勇者」は、自分の信念を貫いて誇りをいだいて人生を歩んだ勇者、という感じですよね。
しかし一方で、自分を尊重する傾向が強いということで「お高くとまっている」とか「高慢ちき」という意味で、「自尊心が強い」と表現されることもあります。
つまり、自分という人間を大切にしているあまり、ちょっと周りから見たらうざい人という事になってしまいますよね。
人とはちょっと違った信念を持っていたり、人とは違う態度を示す人は、「お高くとまっている」と皮肉を言われることもあるでしょう。
なので、「自尊心が強い」というのは、多くの場合、ちょっと批判的な意味で使われる事が多いかもしれません。
でもだからといって、その人が間違っているということでもなさそうですね。
周りから非難されたり、皮肉を言われても、自分の持つ信念を貫いている人はすごく強いし、それが正しい事であれば、かっこいいことです。
自尊心がのぼせ上がる
「自尊心がのぼせ上がっている」人を見たことがありますか?
この表現は、あまり良くない意味で「自尊心」が使われています。
「自尊心」という言葉が、「うぬぼれ」という意味で使われているということです。
「自尊心がのぼせ上がる」とは、他の表現で言えば「うぬぼれている」、「調子に乗っている」ということになるでしょうね。
「のぼせ上がる」という表現には、盛り上がった雰囲気に影響されて自分も盛り上がると言った意義素があるようです。
なので、周りからチヤホヤされたり、過度の賞賛を受けたりしたときに、それを真に受けてうぬぼれの気持ちが出てしまっている状態です。
「自分ってすごい!!」ととにかく調子に乗っているときには、「自尊心がのぼせ上げっている」と表現されてしまいます。
自尊心を失う
「自尊心を失う」という表現はよく使われています。
自分に自身がなくなったときとか、自分の誇りが打ち崩されてしまったときなどに、そう言うことがあります。
例えば、大きな失敗をしてしまったとき、大切な人が自分を裏切ったとき、他の人から馬鹿にされたり、いじめられたとき、自分の誇りとしていたものを失ってしまったときなどです。