たとえば朝のニュース番組の最後に流れる星座占いを見て「今日のアンラッキーは○○座のアナタ!」と言われると一日中気分が落ち込んでしまいます。
そして、普段なら目にとまらないような些細な出来事に過剰反応してアンラッキーな日だったと思い込むのです。
人を疑わない人になるためには?
まずは自分を信じることです。
自分を信じていないのに他人を信じてしまっては、それは占いを信じる人と変わらず、自分の軸がないただのYESマンで依存的です。
そうすると自分の中に判断基準がないので良からぬ考えの持ち主を引き寄せて良いように使われてしまうので気を付けたいところです。
自分を信じるには、自分が自分のことを裏切らないようにすることが大切です。
自分でやると決めたことはちゃんと最後までやる、自分の考えを肯定する、自分へのご褒美もちゃんとあげる、これらを行って自分を信じることができたら他人を信じることも考えていきます。
他人を信じる上で大切なことをご紹介しますので、自分のことは信じているという人は読み進めてみましょう。
許す心をもつ
寛大であるより無関心である方がやりやすいので意識としては無関心がおすすめです。
もちろん良い意味での無関心です。
そもそも「許す」ということ自体が上から目線なんです。
恩を仇で返された、裏切られたという心境は「こんなにしてやったのに」という自己満足の裏返しで、相手からすればそんなこと全然ありがたくもなかったということが多くあります。
にも関わらず、恩を返すべきなのに返さない、と損を被ったような気でいるから、許す許さないの感情になってくるのです。
自分が良かれと思ってやったことを相手が受け入れなくても「相手にとっては嬉しいことではなかったんだな」と素直に受け止めたり、相手が失敗や失礼をしても単なる事実として受け流せばいいのです。
あるいは、相手に良くしてあげることが自己満足だと理解していて恩を売ったと思っていなくても、相手がそれを恩に感じてくれていて返してくれたらより一層嬉しく感じられるでしょう。
もちろん悪意を持って徹底的にやり込めてくるようなおかしな人はバッサリ切り捨ててしまいましょう。
許すも許さないも、そんな人は必要ありません。
罰してやろうとすることすら時間の無駄です。
そんな人は知らないところで滅びていってくれればいいのです。
相手のする行為に対して無関心でいながら、良いことをしてくれた時だけ感謝するようになれば気持ちがだいぶ楽になります。
要は、人の悪いところに目くじらをたてずに、良いところだけに目を向けていれば自然と許すことができていたり、寛大な心も持ってるように見えるということです。
嘘をつかない
嘘はいつかどこかで絶対にバレます。
だからこそ言われた相手を確実に傷つける未来が待っています。
たとえその場しのぎで嘘が良い方向に行ったとしても、いつか関係にヒビをいれることになるのです。
そして、嘘をつく上で一番騙しているのは自分自身です。
嘘をついた瞬間に自分は傷ついています。
できない約束をして破ったり、虚栄心から嘘をついたりすると、相手が被る迷惑以上に自分のことを傷つけ裏切っているのだと理解しましょう。
そうしてどんどん自分が信じられなくなってくると、自分すら信じられないのにもっとわからない他人のことなんて当然信じられなくなってしまいます。
嘘をつく行為は認知的不協和によるものである場合があります。
認知的不協和は、自身の中で矛盾することを抱えること、それによって覚える不快感を表す言葉です。
有名なのはイソップ物語の『すっぱい葡萄』のお話しです。
キツネがおいしそうな葡萄を見つけて食べようとするも、どんなに飛び上がっても手が届かないので、どうせすっぱい葡萄だからまずいだろう、と諦めるという内容です。
これは、葡萄を食べたいという自己と、手が届かないという現実がマッチしないので、葡萄はすっぱくてまずい、という嘘の情報を作り上げて「食べる気がない」に持ち込み不協和な状態を除去しようとしています。
現実の世界でいうと、恋人が欲しいのに恋人がいない、という矛盾に対し「異性に興味がない」という嘘を言ったり、仕事が全然できないのにデキる人に見られたいがために、嘘の仕事自慢をしなりするなどです。
これらの嘘をつくよりも、「恋人がほしいけど全然できないんだよね。どうすればいいかな。」「仕事ができないんだけどアドバイスくれないかな」と矛盾を生まないように正直に言った方がよっぽど気が楽になります。
そして、正直に言ってくれる方が相手もその人を信じられるようになります。
小さいことからはじめてみる
人の意見を素直に聞き入れたり、疑ってかからないことは口で言うほど簡単なことではありません。