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スカートめくりを男子小学生がやる理由(続き2)

女子のスカートをめくることで、今まで単なる友達としての存在でしかなかった女子が、『女の子』となり、男子にとっては『異性』の存在として男子の好奇心の対象になってきたことを物語っています。

今までの遊び友達の女子が『異性』の存在になることで、男子の性への目覚めのキッカケとなって、好奇心をクスグル対象になったのです。

異性の存在となった女の子が『秘めている』面を知ろうとする好奇心がスカートめくりの行動となって表われ、『自分の目』で確かめているのです。

大人の目から見ると男子の行動は、スカートをめくるイタズラとして映るのです。

イタズラは、好奇心を満たす行為と言えます。

しかし、スカートめくりをされた繊細な心をもつ女の子にとっては、心を傷つけられるショックな出来事になることもあります。

女の子にとって、スカートめくりは、イタズラでは済まされない出来事になることがあります。

ですから、『イタズラ』という表現は、スカートをめくる男子の視点に立った表現になります。

男子の中で流行していた


性に目覚めた男子小学生が抱く『もっと知りたい』という感情がスカートめくりの行動に走らせているのです。

一部の男子がスカートめくりを始めると、他の男子も興味を抑えきれずにスカートめくりを始めて、男子の中で流行っていく状況がありました。

当時の女子は、今よりも大らかであったこともあり、スカートめくりが流行ったと言えます。

今の時代、女子がスカートめくりに強い拒絶反応を示して『セクハラ』行為として受けとめることがあります。

ですから、冷静に周りの反応を観ている男子は、スカートめくりの行動に走ることが少ないため、スカートめくりは減ってきていると言えます。

スカートめくりは、女子への興味が強い男子の中で流行していた行為です。

スカートめくりをする男子の心理は、性への『目覚め』も手伝って、一度経験すると好奇心が膨らみ、二度・三度とエスカレートすることがありました。

小学生男子がみんな通る道

スカートめくりが小学生の間で流行っていた時代では、『小学生男子がみんな通る道』と言えました。

しかし、世の中の閉塞感が深まるにつれて、男子の性への興味を表現した行動であるスカートめくりは減ってしまいました。

今の時代、小学生男子の性への好奇心が減った訳ではなく、興味を表に出さない傾向が強くなってきたと言えます。

マンガ雑誌や大人の会話の世界に溢れている『性』に関わる情報に囲まれている男子にとって、性への好奇心を表わすスカートめくりの行動が減ってきたと言えます。

スカートめくりが減ってきた理由としては、今の時代、日常生活における人間関係の希薄さが子供の世界にも広がっていることを物語っていると言えます。

今の時代では、スカートめくりはセクハラ行為として見てしまいます。

しかし、スカートめくりが出来た時代には、スカートめくりをイタズラとして『見過ごす』心の余裕を持てた時代であったと言えます。

ですから、『男子がみんな通る道』と言えたのです。

なぜ小学生男子はスカートめくりをするの?

小学性男子にとって、遊び友達の中に、いつも女子が身近に存在していることが、スカートめくりをし易くしています。

巷に溢れている『性』に関する情報に接することが多い中で、男子の性への好奇心が高まる中、『もっと知りたい』、『自分の目で確かめたい』という感情がスカートめくりの行動へと駆り立てるのです。

スカートめくりは『性』への興味が膨らんできたことを表わすサインと言えます。

小学生男子は、スカートめくりを繰り返すことで、『性』に関する『情報を自ら集めよう』としているのです。

嫌われそうなのにナゼ?

男子にとっては、いつも一緒に遊んでいる友達の女子に嫌われるという自制心よりも、『もっと知りたい』という好奇心の方が勝るため、スカートめくりの行動に走ってしまうのです。

いつも一緒に遊んでいる友達だから、『大目に見てくれる』、『許してくれる』という甘えや安心感もあって、自制心が影を潜めてしまうのです。

しかし、男子にとって大好きな女子にはスカートめくりはしません。

スカートめくりをすることで、大好きな女子から嫌われては困るため自制心が働き、スカートめくりはしません。

ですから、男子は嫌われてもいい女子に向かってスカートめくりをするのです。

男子のスカートめくりがキッカケとなり、女子から嫌われることを承知で、あえて実行することがあります。

女子から嫌われることを承知でスカートめくりをする心境は、スカートの中の『秘密の園』を見たい好奇心を抑えることができない心理状態を表わしています。

彼らの心理を徹底解説します

小学生男子がスカートめくりに興味を示す大きな理由は、日常生活の中で見聞きする大人の世界に溢れている『性』に関する事柄を『自分の目で確かめたい』心理状態になっているためです。