マイノリティの反対は、「マジョリティ」といって、「多数者」や「多数派」を指す言葉です。
マイノリティは時々耳にすることがありますが、マジョリティはそんなに耳にする機会はないでしょう。
大多数の意見というのは社会ではごく当たり前のものとして捉えられているため、少数派のマイノリティは話題に上がっても、多数派のマジョリティはいちいち話題に上がることはそうないためです。
しかし、マイノリティとマジョリティがメインの議論がある時には、しばしば耳にする言葉です。
マイノリティを見る社会の眼は?
マイノリティを見る社会の眼は、残念ながら優しくはないものが多いです。
社会の中のあらゆる多数派は、中心に強烈なカリスマ性を持つ人がいたり、周囲に大きな影響力を持っている人がいたりすることが多いです。
その人が中心となって周りにも同じような意見を持つ人たちが集まったり、同調する人が増えたりすることで、社会的な多数の集団になる形がとても多いです。
それは決して悪いことではありませんが、集団の人数が増えることによって、少数派の人たちが虐げられたり、村八分のような目に遭ったりすることも少なからずあります。
多数派は自分と同じような意見を持つ人が周りにたくさんいることから、「自分たちの考え方が正しく、少数派の考えが間違っているのだ」と決めつけたり、思い込んだりすることがあります。
多数派と少数派で何かを決定する際には、人数が多い方を選択するのは必然でしょう。
しかし、そうでなく単なる意見の場合にも、多数派はしばしば少数派を攻撃することが残念ながらあるのです。
そのため、マイノリティを自覚している人は、それを隠したり、集団から自主的に離れたりすることが多いです。
奇異の眼で見る人も多い
多数派の中には、マイノリティな人たちを奇異の眼で見る人も多いです。
多数派は自分以外にもたくさんの仲間を得ているため、自分の考えや意見には絶対の自信を抱いていることも多いです。
また、自分の考えが正しいと思っているからこそ、そうでない意見の持ち主を奇異な眼で見てしまうのです。
マイノリティであることは何も悪いことではありません。
しかし多数派の人の中には「変な人だ」「あの人は頭がおかしい」「絶対に間違っている」と相手をよく知りもしないのに決めつけてしまう人もいます。
それこそが差別や虐めを生み出す原因ともなってしまっていますが、当人たちはその事実に気付くことはないのです。
また、多数派の中にはお節介な人もいます。
他人の意見に口を出したり、思想に勝手に介入しようとしたりします。
マイノリティな人の考えを「あなたは間違っている。私が正してあげる。」と強引に意見を変えさせようとする人もいますが、そこまでしてしまう人は、多数派の中でも浮いてしまうことが多いです。
個性豊かだと見る人も
マイノリティの人は社会から奇異な眼で見られることが多い反面、「個性豊かだ」と思われることも多いです。
日本では現代も集団社会で生活することに重きをおき、マイノリティな人は生き難い世の中であることが多いですが、それでもひと昔前までの日本に比べれば、大分個人の個性が認められるようになりました。
ひと昔前までの日本は、それこそ「全員一緒で当たり前」という考え方が主流でした。
皆が右へ倣えの状態で、昔ながらの伝統や習慣を大事にし、それをおざなりにする人や、人と違ったものの考え方をする人は容赦なく村八分の眼に遭うことが多かったです。
例えば会社で上司が残業していれば、部下も全員仕事がなくても残業するのが当たり前、家事や育児、下働きは女性がやるもの、二十歳を越えても結婚していなければいきおくれ、など、法律のように決まったルールではないものの、暗黙のルールが存在し、それが当たり前に全員に押し付けられていました。
少しでもそれと異なる行動や考え方をすれば、「あの人は頭がおかしい」「近づかない方が良い」とないがしろにされることが当たり前の時代だったのです。
しかし、西洋文化が流入し、現代ではそういった昔ながらの固定観念が大分薄れてきました。
一人ひとり考え方が違うのが当たり前で、個性を大事にしようという社会に変化してきています。
もちろん中にはまだ昔ながらの考えに囚われているところもありますが、大半の人はちょっと変わっている程度の人に対して、それを個人の個性だと認めることが出来る世の中になっています。
そのため、視野の広い見方や考え方が出来る人は、例え自分は多数派に属していても、少数派の人を奇異の眼で見ることはありません。
「個性豊かな人なんだな」とその人自身を受け入れることができるのです。
多数派に敵対心を持っているのでは?と感じる
マイノリティの人の中には、多数派に属することを嫌がって敢えてマイノリティな自分であることを貫く人がいます。
とくに若者のこうした傾向が強く、「皆と同じは嫌だ」「自分は人とは違う」「群れるのは格好悪い」という考えを持った人ほど、わざとマイノリティであることにこだわります。
単なる強がりでそうしている人もいますが、無理をしてマイノリティに属している人ほど、周りから見ればそれが案外バレてしまっているものです。
また、人とは違うことをアピールすることで自分を目立たせようとする人もいますが、そういう人も周囲から見ればわざとらしく思えてしまうことがあります。