あなたの周りで、「マイノリティっぽいなぁ」と感じる人はいますか?

いわゆる社会的な少数派の人を指しますが、周りと比べてとても変わった考え方の人や、行動が読めない人、集団の中で浮いている人は、もしかしたらマイノリティな人なのかもしれません。

そんなマイノリティとはどんな人なのか、その特徴や事例をご紹介します!

マイノリティを分析しよう

マイノリティという言葉を聞いたことがありますか?

時々ニュースや何かの議論で耳にすることのある言葉ですが、意識して聴いていないとなかなかマイノリティについて知る機会は多くはないかもしれません。

それもそのはずで、マイノリティとはいわゆる「社会的な少数派」の人を指す言葉であって、日常で普段使いする言葉ではないからです。

マイノリティについて議論をし合ったり、当事者となって意思を表明したりする人以外は、そこまで日頃から触れる機会はないのでしょう。

しかし、私たちが社会の中で生活していく上で、どこかできっと関わりのある言葉でもあります。

周囲から浮いている人を見た時や、一般常識からは離れた言動を自らしている人を見た時に、その人に対して「どうしてあんな風に行動しているのだろう?」と疑問に感じる瞬間があることでしょう。

多数の人と違った行動を取る人の心理は、その人にしか分からないものですが、「知りたい」という気持ちがあれば、分析することはできます。

もしかしたら将来、あなたの身近にマイノリティと思われる人が現れるかもしれません。

そうなった時にその人のことを冷静に見ることができるように、この機会にマイノリティについて分析してみましょう。

マイノリティとは?


マイノリティとは、どのようなものを意味するのでしょうか?辞書で翻訳すると、「少数」や「少数派」となっています。

このことから、「社会的少数者」「社会的少数集団」「社会的少数派」といったものを指す言葉だとされています。

「社会的少数派」と聞くと、マイナー好きな人や、個性がとても豊かな人を思い浮かべるかもしれません。

確かに皆が好きではないもののことを好きだという人がいれば、それは社会的に見て少数派でしょう。

しかし、マイノリティは個性とは違っています。

個性とは誰にでもあるもので、また同じように見えても一人ひとり違っています。

そのため、個性は全員違っていて当たり前のものであり、集団化したり、人数で分けたりするものではありません。

一方でマイノリティは、集団に対してそれにそぐわない少数の人たちや少数の集団のことを指しています。

少数派

例えばある個室に10人が集まっているとします。

その10人に対して具体的な例を挙げて、それを「好き」と「嫌い」のグループで分かれてもらうことにします。

そしてあるものを好きか嫌いかと尋ねた際に、8人は「好き」と答えて、残りの2人は「嫌い」と答えた場合、少数派の2人がマイノリティだとする考え方があります。

しかし、マイノリティが少数派だとは言っても、何でもかんでも少ない人数の方がマイノリティだと決めつけるのは少々暴論でしょう。

世界にその10人しか存在しないのであれば、少数派の2人はマイノリティなのかもしれません。

しかし実際には、世界にはもっとたくさんの人数が存在しています。

その一部分のみを切り取って分けてしまうのは、人数が多いものを「正常」だとし、少ないものを「異常」だと決めつけてしまう危険性をはらんでいます。

そのため、人数が少ないからといって必ずしもその人たちが絶対にマイノリティであると決めつけることは出来ないのです。

社会的少数者

限られた人数だけで、それを集団と少数派に分けて「少ない方がマイノリティだ」と決めつけるやり方は良くありませんが、それが社会的な集団として見た場合にはまた変わってきます。

社会的な集団は幼稚園や学校、会社などいくつかの大きなグループに分けられています。

そしてその一つひとつの社会の中で、大多数と少数派に別れた時には、少数派の意見はマイノリティだとされることが多いです。

例えば「部署内で一人でも残業している人がいれば、その人を手伝ってあげるのが同じ部署の仲間として当然だ」とする考え方を持つ人が、部署内で大多数だとします。

その考えに対して「残業になるやつは自己責任なのだから、手伝う必要はない」という考え方をしているのが部署内に数人いるとしたら、その少数派の人たちはマイノリティの扱いをされることでしょう。

マイノリティの反対は?


マイノリティが少数派や少数者を指すのなら、その反対は何でしょうか?マイノリティの反対は、「マジョリティ」といって、「多数者」や「多数派」を指す言葉です。

マイノリティは時々耳にすることがありますが、マジョリティはそんなに耳にする機会はないでしょう。

大多数の意見というのは社会ではごく当たり前のものとして捉えられているため、少数派のマイノリティは話題に上がっても、多数派のマジョリティはいちいち話題に上がることはそうないためです。

しかし、マイノリティとマジョリティがメインの議論がある時には、しばしば耳にする言葉です。

マイノリティを見る社会の眼は?

マイノリティを見る社会の眼は、残念ながら優しくはないものが多いです。

社会の中のあらゆる多数派は、中心に強烈なカリスマ性を持つ人がいたり、周囲に大きな影響力を持っている人がいたりすることが多いです。

その人が中心となって周りにも同じような意見を持つ人たちが集まったり、同調する人が増えたりすることで、社会的な多数の集団になる形がとても多いです。

それは決して悪いことではありませんが、集団の人数が増えることによって、少数派の人たちが虐げられたり、村八分のような目に遭ったりすることも少なからずあります。

多数派は自分と同じような意見を持つ人が周りにたくさんいることから、「自分たちの考え方が正しく、少数派の考えが間違っているのだ」と決めつけたり、思い込んだりすることがあります。

多数派と少数派で何かを決定する際には、人数が多い方を選択するのは必然でしょう。

しかし、そうでなく単なる意見の場合にも、多数派はしばしば少数派を攻撃することが残念ながらあるのです。

そのため、マイノリティを自覚している人は、それを隠したり、集団から自主的に離れたりすることが多いです。

奇異の眼で見る人も多い

多数派の中には、マイノリティな人たちを奇異の眼で見る人も多いです。

多数派は自分以外にもたくさんの仲間を得ているため、自分の考えや意見には絶対の自信を抱いていることも多いです。

また、自分の考えが正しいと思っているからこそ、そうでない意見の持ち主を奇異な眼で見てしまうのです。

マイノリティであることは何も悪いことではありません。

しかし多数派の人の中には「変な人だ」「あの人は頭がおかしい」「絶対に間違っている」と相手をよく知りもしないのに決めつけてしまう人もいます。

それこそが差別や虐めを生み出す原因ともなってしまっていますが、当人たちはその事実に気付くことはないのです。

また、多数派の中にはお節介な人もいます。

他人の意見に口を出したり、思想に勝手に介入しようとしたりします。

マイノリティな人の考えを「あなたは間違っている。私が正してあげる。」と強引に意見を変えさせようとする人もいますが、そこまでしてしまう人は、多数派の中でも浮いてしまうことが多いです。

個性豊かだと見る人も

マイノリティの人は社会から奇異な眼で見られることが多い反面、「個性豊かだ」と思われることも多いです。

日本では現代も集団社会で生活することに重きをおき、マイノリティな人は生き難い世の中であることが多いですが、それでもひと昔前までの日本に比べれば、大分個人の個性が認められるようになりました。

ひと昔前までの日本は、それこそ「全員一緒で当たり前」という考え方が主流でした。

皆が右へ倣えの状態で、昔ながらの伝統や習慣を大事にし、それをおざなりにする人や、人と違ったものの考え方をする人は容赦なく村八分の眼に遭うことが多かったです。

例えば会社で上司が残業していれば、部下も全員仕事がなくても残業するのが当たり前、家事や育児、下働きは女性がやるもの、二十歳を越えても結婚していなければいきおくれ、など、法律のように決まったルールではないものの、暗黙のルールが存在し、それが当たり前に全員に押し付けられていました。

少しでもそれと異なる行動や考え方をすれば、「あの人は頭がおかしい」「近づかない方が良い」とないがしろにされることが当たり前の時代だったのです。

しかし、西洋文化が流入し、現代ではそういった昔ながらの固定観念が大分薄れてきました。

一人ひとり考え方が違うのが当たり前で、個性を大事にしようという社会に変化してきています。

もちろん中にはまだ昔ながらの考えに囚われているところもありますが、大半の人はちょっと変わっている程度の人に対して、それを個人の個性だと認めることが出来る世の中になっています。

そのため、視野の広い見方や考え方が出来る人は、例え自分は多数派に属していても、少数派の人を奇異の眼で見ることはありません。

「個性豊かな人なんだな」とその人自身を受け入れることができるのです。

多数派に敵対心を持っているのでは?と感じる

マイノリティの人の中には、多数派に属することを嫌がって敢えてマイノリティな自分であることを貫く人がいます。

とくに若者のこうした傾向が強く、「皆と同じは嫌だ」「自分は人とは違う」「群れるのは格好悪い」という考えを持った人ほど、わざとマイノリティであることにこだわります。

単なる強がりでそうしている人もいますが、無理をしてマイノリティに属している人ほど、周りから見ればそれが案外バレてしまっているものです。

また、人とは違うことをアピールすることで自分を目立たせようとする人もいますが、そういう人も周囲から見ればわざとらしく思えてしまうことがあります。

無理をしたり強がったりしてマイノリティに属する人ほど、多数派からは「多数派に敵対心を持っているからそんな風にしているのかな?」と思えてしまうことがあります。

確かに人と違った個性を持つことは良いことですが、だからといって無理に人と違う生き方をしようとする必要はありません。

その時々で多数派になったり、または少数派になったりと、そうして生きている人が世の中の大半なのです。

一方で、何も意識せずに自然とマイノリティになっている人は、周りから見てもまったく違和感を覚えさせることはありません。

無理に演じることなく、自然な自分でいるからなのでしょう。

社会の起爆剤、変革者と見る人も

世の中の歴史を変えてきた偉人たちは、皆どこか多数の人とは違ったものの考え方をしていました。

人と違う思想を激しく音や言葉で表現した人たちは音楽家であり、または作家でありました。

また、自らの命をかけて、自分の信じる道を貫き革命を起こした人もいました。

私たちがよく歴史の教科書で見ていた偉人たちは、皆常人とは逸した部分を持っていたからこそ、歴史に名を遺すまでに至ったのです。

そうした偉人たちは、今の私たちから見れば立派なマイノリティと言えるでしょう。

そのため、同じく世の中の多数派とは異なることをするマイノリティの人たちに対して、社会の起爆剤や、変革者と見る人も少なくはありません。

とくに専門家のように詳しく他人を観察、考察できる人から見ると、マイノリティな人はただ「変わっている」だけでなく、何か人とは違った魅力があるように思えるのかもしれません。

マイノリティな人の12個の特徴

マイノリティな人は、良く言えば「個性豊か」悪く言えば「はみ出し者」に見られることが多いです。

それはその人の考えや行動以外にも、他人に対する振舞いや人間性によっても大きく左右されています。

例えばとても変わったものの考え方をする人でも、他人に対する振舞いが穏やかで上品ならば、「個性豊かな人」に思われるでしょう。

一方で、変わった行動に加えて他人にも粗暴な振る舞いをするような人は、「変な人」「頭のおかしい人」と思われるでしょう。

マイノリティという特徴を、良く見せるか悪く見せるかはその人自身の性格にもよりますが、マイノリティな人にはいくつかの共通する特徴が見られます。

それを以下に挙げていきます。

あなたの周りでもし以下の特徴が多くあてはまる人がいるとしたら、もしかしたらその人は世の中の少数派なのかもしれません。

自己主張が強い

マイノリティな人の中には、自己主張が強い人が多いです。

自己主張そのものは誰にでも備わっていますが、大抵の人はそれを表に出す場面と、そうでない場面とに分けています。

例えば仲の良い友達や、家族に対しては遠慮なく自己主張をする人は多いです。

自分が自己主張してもそれを容認してくれる人の前でのみ、自分を曝け出す傾向があります。

一方で、会社のように仕事の時や集団で行動している時には、規律を守って言われた通りに仕事をしたり、自己主張を抑えて周囲に合わせて行動したりします。

そうした時と場合に合わせて自己を抑えられる人が大人ですが、マイノリティな人はそうした場面によって自己主張を抑えることをあまりしない傾向にあります。

そのため、皆が空気を読んで発言を控えている時にも、平気で「これは〇〇ではないのですか?」と自分の意見をぶつけることをします。

皆が我慢している時に我慢しない、自己を貫く言動から、自己主張が強いとされています。

常に自分と人を比べる

多数派の人は、周りの人と同じ考えであることに安心して、それにより自分に自信を持つことが多いです。

一方で、マイノリティの人は皆と同じことには満足せずに、他人と違うことを求める傾向があります。

時には多数派と意見が被ることもありますが、常に他人と自分とを比べて、「あの人はああやっているのか。なら自分は別のやり方をしようかな。」と考える癖がついています。

そのため、周りの人とは違った行動や言動を取ることも少なくはありません。

自分と他人とを比較することで向上心を持ちやすくもなりますが、常に競い合っている状態にもなりますので、周囲からは疎ましく思われることもあります。

目立ちたがる

マイノリティの人の中には、目立ちたがる人がいます。

マイノリティであることを意識せずに、自然と人とは違う生き方をしている人の場合には、そこまで目立ちたがる傾向は見られません。

しかし、敢えてマイノリティに属している人は、何かと人と違うことをして目立とうとすることが多いです。

例えば皆が同じ服装でいる中で、一人だけ奇抜なファッションをしていたり、また皆が静かに仕事をしている中で、一人だけ携帯で話をしながら仕事をしていたりと、とにかく周りとは違った行動を取ろうとします。

他の人から見れば悪い意味で「浮いている」状態なのですが、当人はそれを良い意味で「目立っている」と思い込んでいるため、周囲が迷惑しても止めることはありません。

もし誰かが注意をすれば、「個性を殺す気か!」「これが自分なんだ!」と声高に主張します。

周りにとっては迷惑極まりないのですが、悪行を個性と勘違いしている人には何を言っても無駄でしょう。

敢えてマイノリティに属している人は、いずれそんな自分に飽きる時がやってきます。

そして、冷静になってから自分のしてきたことを振り返って、恥ずかしさに両手で顔を覆うようなことになりやすいのです。

一方で、自然体でマイノリティに属している人は、とくに意識をせずとも、自分の行動のために勝手に周囲から目立つことが多いです。

しかし、当人はそれをわざとやっているわけではないので、目立っていることに対して何も思わないことが多いです。

すぐ人の意見に反論する

マイノリティな人は、多数派に比べると自分の考えや意見を我慢せずに貫き通すことが多いです。

大抵の人が、本心では納得していなくても、その場を治めるために納得した振りをする時にも、マイノリティの人は周りに合わせることはせずに、遠慮なく自分の意見をぶつけます。

そのため、すぐ人の意見に反論すると周囲から思われることが多いです。

自分の考え方にこだわりを持っている人は多いですし、物の考え方も人それぞれです。

しかし、大人になるにつれて何でも自分の思うことを口にしていては、社会の中では上手くやっていけないということを学びます。

だからこそ、場の空気を読んだり発言すべき場面とそうでない場面とを使い分けたりすることで、上手に集団生活を送ることが出来ています。

しかし、マイノリティな人はそうした集団に合わせるということをしない人が多いため、思ったことは直ぐ口から出やすいですし、人の意見に思うところがあればそれに反論もします。

それを周りの人よりも遠慮なくやってしまうために、「ああ言えばこう言うタイプだ」と思われてしまうことが多いです。

価値観が個性的

敢えてマイノリティに属そうとする人ではなく、自分では無意識にマイノリティな考えを持ってしまう人は、多数派に比べて価値観が個性的であることが多いです。

価値観も人それぞれでもちろん違いますが、マイノリティな人は皆が皆「なんとなくこれはこうだろう」と考えていることに対して、「これはこうとは限らない」といった考え方をします。

決して捻くれているわけではなく、皆が当たり前に受け入れていることを、まったく別の視点から見たり、そもそも何故そうなるのかを疑問視したりと、人並み以上にあれこれと思考することが多いのです。

まさに「常識に囚われない」物の見方や考え方をするために、常人とは違った思考や価値観を持ちやすいのです。

それが思わぬところで社会を改革したり、起爆剤になったりすることもありますが、同時に多数派から追いやられて、まったくの孤立状態になってしまうこともあります。

普通や平凡を嫌う

マイノリティであることにこだわりを持つ人は、普通であることや平凡であることを嫌う人が多いです。

普通や平凡も人によって考えが分かれますが、多数の人たちが同じように感じていることが普通だったり、平凡だったりするため、それと同じように染まることに対して抵抗を感じている人も中にはいます。

「自分は人とは違っていたい」「普通や平凡ではない人生を送りたい」と思っているほど、常識や当たり前の物に背を向ける傾向があります。

例えば学校にバイクで登校しようとする、会社で上司に対して堂々と反論するなど、周りの人が普通ではしないことをやろうとすることも多いです。

ただし、マイノリティであることは、普通や平凡な人生を送ることよりも何倍も大変で、生き辛いことも多いです。

そのため、自然体でマイノリティの人に比べると、自らマイノリティであろうとする人は、自分の生き方に苦しむことも多いのです。

自分の気持ちに素直

マイノリティな人は、周囲に合わせて自分の気持ちや考えを殺すことはしません。

例え周囲から浮くと分かっていても、自己を貫き通す芯の強さを持っています。

それが時には仇となり、自分勝手だと言われたり、自己中心的だと非難されたりすることもあります。

しかし、マイノリティな人はそれだけ自分の気持ちに素直な人が多いです。

「良いものは良い」「悪いものは悪い」と、人目を気にせずに堂々と発言出来る強さは、周りに合わせることでしか生きていけない人にとっては、とても羨ましく思えることもあります。

敵対心が強い

敢えて少数派になろうとする意志はなくても、多数派を嫌う人は自然とマイノリティの括りに入っていることが多いです。

このタイプの人は、人とはちょっと違った考え方をしているがゆえに、過去に多数派から虐めに遭ったり、辛い経験をしていたりする人が少なくはありません。

反抗期を迎えた学生が普通や平凡を嫌うといった誰もが通る道ではなく、自分に起きた過去の辛い経験から、多数派に対して強い敵対心を持ってしまった人であることが多いです。

自分を理解して欲しいという意識が強い

マイノリティの人の中には、他の人と違う言動や行動を取ることで、他人に自分の気持ちを理解して欲しいと思っている人もいます。

わざと目立つ行動を取ることで周囲から注目を集めて、そこで自分のことを理解して欲しいと訴えているのです。

しかし、その気持ちを直接口にすることは少ないため、周囲からは「はた迷惑で悪目立ちする人」という悪印象を持たれてしまうこともあります。

承認欲求の強い人ほど、こうして枠から外れた行動を自ら進んで取ることがあります。

目的を達成しようとするエネルギーが強い

マイノリティな人は、多数派の人に比べて自己を抑制しようとする気持ちがそこまで強くありません。

周囲から浮いてしまっても、自分の考えや意見を曲げずに、自己を一貫させようとします。

それは目的を達成させようとするエネルギーの強さの表れでもあります。

「自分がこうしたいから」という気持ちがあると、それを周囲の都合で曲げることなく最後まで貫き通そうとします。

その芯の強さは見習いたいと思う人もいますが、同時に社会の中で生活する上で必要な和や協調性が少ないため、やはり悪目立ちして浮いてしまうことが多いです。

感情表現が豊か

マイノリティの人は自己を抑制しようとする気持ちが少ないため、常に自分の感情を素直に表に出すことが多いです。

面白ければ笑いますし、不快に思うことがあれば思い切り怒ります。

それはしばしば周囲から見ると、感情を上手く抑制できない子どものようだと思われることも少なくはないでしょう。

マイノリティの人は決して場の空気を読めないわけではありませんが、自分がそれに従う必要はないと考えています。

そのため、上司の理不尽な言い分にもおかしいと思ったら真っ向から反論しますし、悲しいことがあれば人目を憚らず泣くこともあるのです。

被害妄想が強め

マイノリティであることで過去に辛い経験をした人は、他の人よりも被害妄想が強くなっていることがあります。

自分が人とは違っていることを理解しながらも、そんな自分を変えることはないため、自分に対して誰かが何かを話していれば、それが自分に対する悪口だと思い込みやすいです。

社会の中ではどうしてもマイノリティの人は弾かれてしまいやすいため、そうしたネガティブな思い込みや被害妄想を抱く人も決して少なくはないのでしょう。

マイノリティの事例

マイノリティの人が持つ特徴をご紹介してきました。

マイノリティの人は、周囲から見た時には一見「変わっている人」と思われることが多いです。

場の空気を読んだり、感情を抑えたりすることをあまりしないため、時には「自分勝手で子どもみたいなやつ」と思われることもあるでしょう。

しかし、だからといって人間性が悪いというわけではないのです。

そんなマイノリティの人には様々な事例がありますので、マイノリティの人が持つ事例についてもご紹介していきます。

性的少数者

時折テレビで性的少数者が取り上げられる際に、マイノリティという言葉を使うことがあります。

性的少数者とは、一般的な男女の恋愛以外を好む傾向がある人のことを指します。

例えば同性愛者や児童への愛着を抱く人、死体に愛着を抱く人など、性的嗜好が少数派の人をマイノリティと呼ぶことがあります。

どのようなものに性的嗜好を抱くのかは個人の自由ですが、一般的(多数派)ではないために、マイノリティの事例として挙げられることが多いです。

新興宗教の信者

キリスト教や仏教のように、世界中に広く布教されていて信者も多い宗教ではなく、一部の新興宗教を信仰する人に対してもマイノリティと用いることがあります。

普段はあまり聞き慣れないような新興宗教や、日本ではそこまで流行っていない宗教を信仰している人をマイノリティの事例にした時、異端児扱いこそはされないものの、やはり普通の人は一線を引いてしまうことが多いでしょう。

宗教はその人自身の人格にも大きな影響を与えますので、より一線を引かれやすいのかもしれません。

少数民族

トータルの人口から見て、少数の民族に分類される人たちもマイノリティの事例とされることが少なくはありません。

民族に対する差別がほとんどなくなってきている現代社会においては、少数民族に対して「マイノリティ」と言葉を用いる際には、差別的な意味合いではなく、あくまでも人数の統計を示すために用いられていることが多いです。

しかし残念ながら、国や地域によっては差別の意味としてマイノリティの言葉を用いているところもあります。

日本でもかつては自分たちの地域以外の人間に対して、村八分を当たり前に行う習慣がありました。

その習慣が現代も残っているのなら差別の意味としてマイノリティの言葉を用いていたかもしれませんが、現代では数字の上でのみこの言葉を用いています。

在日外国人

現代社会では、当たり前に外国人が日本にやってきているため、外国人に対する差別の感情はない人が多いでしょう。

しかし、それはあくまでも観光客に対してのみであり、日本に住む在日外国人に対しては、未だにネガティブな意味としてマイノリティの事例になることがあります。

例えば在日外国人が何かトラブルを起こした時には、一人の人間としてではなく、「外国人だから」と色眼鏡で見る人も少なくはないでしょう。

日本で生まれ育った人でも、外見が外国人そのものだったら、何かあるたびに「やっぱり血の違いがあるから・・・」などと、差別的な眼で見られてしまうこともあります。

もちろんそれが悪いことであることは誰もが分かっていますが、何かあるとそうしたマイノリティは不利になってしまうこともあるのです。

路上生活者

日本は海外に比べると、路上生活者が少ないです。

とはいえ、日本国内だけで見た時には、やはり路上生活者はネガティブな意味でのマイノリティになってしまうことが多いです。

現在路上生活者をしている人がどのような人生を経て今に至っているのかは、当人しか知らぬところです。

しかし、どれだけの事情があるにせよ、そうした「家で生活をしていない」人たちはマイノリティの事例としては槍玉に挙げられてしまいやすいです。

難病を抱えている人

人間は、病気もなく五体満足で生まれてくること自体が奇跡に近いです。

しかし、そうした健全な状態で生まれてくる子どもが多いため、生まれつき体が不自由な人や、難病を抱えている人は、マイノリティな存在として扱われてしまいやすいです。

同じ人間であることには何ら変わりはないものの、難病を抱えるゆえのリスクや生活の不自由さなどから、普通とは違う大変さを周りに想像させるため、マイノリティな存在になってしまいやすいのです。

まとめ

マイノリティはその数の少なさゆえに、多数派から奇異な眼で見られたり、追いやられたりすることがあります。

しかし、少数派だからといって何も悪いというわけではありません。

ただ、やはり社会人になったのなら、ある程度集団生活に馴染む努力をしなければ、周りと上手くやっていくことは出来ませんし、余計に周囲からは悪目立ちして、冷遇されてしまう可能性があります。

マイノリティでも「これは譲れない」という部分は大切にしながらも、一人の社会人として良識ある行動を取れる人が、理想的と言えるでしょう。