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フィリピン人女性の特徴9個!彼女に...(続き3)

最も気温が高くなるのは3~5月です。

この時期の最高温度は平均すると約32℃で、日本の真夏に比べると乾燥しているので日本よりは過ごしやすいようです。

6月から11月は雨季と言われる時期で、どんよりとした雨雲が広がり、時折凄まじいスコールがあるのです。

約1時間ぐらいでこの雨は上がり、晴れてくるのです。

日本でも、最近はこんなイメージの雨が降りだすこともあるようです。

日本も熱帯性の気候に近づいてきたのでしょうか。

12~2月は最も涼しくなる時期です。

温度も湿度も低くなり、乾燥するので最も過ごしやすい時期とも言えます。

日本の夏に近い季節は5月で、冬に近い季節は1月、それ以外の6~11月は雨季ということです。

しかし、フィリピンで一番人気の高いセブ島では、この雨季というハッキリとした季節は見られなくて、年間を通して比較的晴天に恵まれ気候も安定しているので、リゾート地として人気が高い理由かも知れません。

貧富の差が激しい

フィリピンが抱えている大きな問題は、貧富の差が激しいことです。

初めてフィリピンを訪問した人ならすぐに目につくのですが、貧しい人が多く住む住居の様子です。

空港からホテルへの道中でも、バラックのような住居が見えるはずです。

それに対して、裕福な人達が住む居住地では、周りを高い塀で囲った入り口には、出入りを監視するガードマンを常駐させているのです。

このことは、明らかに貧富の差によって住むところが分かれていることを証明しているのです。

富裕層と貧困層を年間の所帯収入で比較すると、違いが良く分かります。

富裕層と言われる人達のクラスでは、1年間の世帯収入は約185万7千ペソ(約420万円)で、貧困層の年間の世帯収入は約19万1千ペソ(約44万円)なのです。

中間層と言われるクラスは、1年間の世帯収入は60万3千ペソ(約188万円)です。

これらのクラスのフィリピンの全世帯に占める割合は、富裕層が約1%、中間層が約9%、貧困層は残りの約90%なのです。

(以上の資料は、民間調査機関「SWS」の2013年の資料を参照、1ペソ=約2.3円)フィリピンの世帯の平均人数は5人ですから、貧困層では家族5人で月に約1万5千ペソ(約3万5千円)で生活をしていくことになるのです。

今日の食べるものを何とか手に入れることが一番の目的で、それ以外の余裕も全く無いのです。

子供も幼い時から何かの働き口を見つけて稼ぐのです。

日本に来るフィリピン人が増えている

経済成長率を見ると、フィリピンはアジア地区でも抜群の成長率を示しているのです。

最近著しい発展をしているブラジル、ロシア、インド、中国の4ヵ国BRICsに次いで、高い成長を遂げているのです。

それなのに、なぜ貧困層が多いのか不思議なのです。

しかしこの理由は、経済成長によって潤っている人達は、わずか1%の富裕層なのです。

富裕層が政治をコントロールして、富裕層はさらに富み、貧困層はさらに貧しくなるように仕組まれていると言っていいでしょう。

貧困が連鎖する悪循環になっているのです。

日本に来る理由は?

フィリピンでは、昔のマルコス政権の時代には、海外に出稼ぎに行くことを奨励していたのです。

家族の人数が多いので、そのうちの何人かは海外に出稼ぎに出る子供がいたようです。

フィリピンでは、地方の言葉以外に英語を話すことができる人が多かったこともあり、言葉の障壁があまりなかったことも海外に出ていく動機にもなったようです。

当初は、出稼ぎというと男性は中東の建設関係の仕事に出かけ、女性は香港やシンガポールに家政婦として出かけたそうです。

しかし、家政婦で働くには既婚者が条件であったことから、独身でも自由に働ける日本がターゲットになったようです。

当時の日本は、景気も良かったし人手不足であったことから、歓迎されました。

しかも、スタイルも良くて愛嬌が良く、歌ったり踊ったりという接客業に向いていたことから、フィリピン人女性をタレントとして興行ビザで入国させていたのです。

日本は、安全で充分なお金を稼げるし、歌ったり踊ったりと彼女達の好きなことができることもあって、次々に希望者が増えてきたのです。

そのうちに、フィリピン政府も芸能人としての認定書を発行することにもなって、この認定書があればほぼ無条件に日本の興行ビザが取得できるので、多い年には年間で6万人以上が来日するようになったのです。